2018年03月04日

157.「女性の権利」を書いたベアテ女史ー憲法第24条ができるまでー(1)

ベアテ・シロタ・ゴードン(Beate Sirota Gordon:1923-2012)。日本国憲法GHQ草案作成メンバーで、憲法第24条(家族生活における個人の尊厳と両性の平等)を書いたとされる人物である。

ベアテさんいわく「日本の女性は戦争前には全然権利がなかったでしょ。だから私はできるだけいろんな権利のことを憲法に書きたかったんです」(『映画日本国憲法読本』p131)。
実際、大日本帝国憲法(=明治憲法)の下では、女性の権利など無いに等しかった。以下、ご参考までに見られたし。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
大日本帝国憲法下の明治民法では、「戸主」を頂点とする家制度が定められていました。戸主権は長男が相続し、女性と長男以外の男性は差別されました。結婚は家と家の間のもので、女性は結婚式で初めて夫の顔を見ることさえ珍しくありませんでした。結婚した女性は、一切の決定権を持たない「無能力者」として扱われ、自分の財産も持てず、選挙権もありませんでした。妻妾同居さえありました。子どもの教育権もなく、学校では、母親が来るのに「父兄会」と言っていました。母親は父や兄(長男)の代理にすぎなかったからです。
(2013/06/28「東京都公立学校教職員組合」のホームページ:「シリーズ 今、憲法が危ない!D 日本国憲法第24条―女性の権利―について(その1)」)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ベアテさんが書いた「女性の権利条項」たる24条はGHQの憲法草案に受け入れられ、これが新聞で発表されると、日本国民の多くが喜んだ(日本政府の方は強く反対していたが)。

24条を含むこのGHQ草案。選挙で選ばれた議員による国会で審議された後、日本国憲法として成立した。

あらためて憲法第24条である。

第24条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】
@ 婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
A 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。


※引用参考データ:『映画 日本国憲法 読本』(2005)有限会社フォイル
東京都公立学校教職員組合「シリーズ 今、憲法が危ない!D 日本国憲法第24条―女性の権利―について(その1)

posted by Lily at 19:23 | 政治と憲法
2018年02月25日

156.「9条は懲罰」か?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第9条は、まるで戦争を行なった懲罰として日本に科せられたもののように言われることがあります。右翼の人々が「あの侮辱的な清掃の懲罰にいつまで耐えなければならないのか。もう解き放たれてもいい時期ではないか」と言うのもそのためですね。
(『映画 日本国憲法 読本』p93)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

上記に対し、ジョン・ダワー氏はこう述べている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
保守的な評論家も、右翼的な評論家も、間違っているとは思いません。あの当時、日本に科せられた政策の中には、背景に懲罰的な意識が働いていたものがあります。

しかし、それらの懲罰も高邁(こうまい)な理想主義と無縁ではありませんでした。懲罰とは、すなわち日本から軍隊をもつ権利を剥奪することですが、マッカーサーも、そして当時の多くの人々も、それを懲罰とは考えませんでした。マッカーサーにとってそれは、日本が再度、信頼されるに値する国であることを世界に証明するための手段だったのです。

マッカーサーはまた、この第9条を、日本がアジアの中で違った性質のリーダーになるための手段とも考えていました。彼の見解には非常に興味深いものがあります。アメリカ側が日本の再軍備を望むようになったのは、冷戦が国際政治を支配し始め、朝鮮戦争が始まる前のことです。しかしマッカーサーは頑として首をタテに降りませんでした。

彼は「日本はアジアのスイスになれる」という、たいへん有名な言葉を残しています。日本は利害の衝突や侵略行為に巻き込まれることのない反軍事主義のシンボルになれる、アジアにおいてはスイス以上の意味を持つ非武装国家のモデルになれると考えたのです。

こうした考え方は懲罰とは違います。日本が世界の信頼を取り戻すために必要な思想でした。第2次世界大戦末期の1945年頃、日本は世界中から嫌われ、特にすべてのアジア人から憎まれていました。「日本は何を象徴している」と聞かれれば、誰だって戦争と侵略を思い浮かべたでしょう。

「この状況が変えられる」とマッカーサーが考えました。「あれほど軍事的だった国でも方向転換できる、世界の諸問題を平和解決するモデルを示せる。そういう意味で、日本は平和の象徴になれる」と。

この憲法は天皇を象徴として戴くだけではない。侵略的な力を所持したり、紛争解決を武力に頼らなくても大きな影響力をもつのは可能なのだ。この憲法はそれを世界に示すための象徴をも戴いていると考えたのです。懲罰ではありません。高邁な理想主義の産物です。
(『映画 日本国憲法 読本』p93-95)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いかがであろう? 「懲罰」と聞くと面白くない。不名誉かつ不快に思う。が、懲罰であろうがなかろうが、筆者はどちらでも良いと思っている。大したことではない。それより、9条が日本の180転換に大きく影響したということの方が重要だ。反感から好感へ。これは9条に負うところが大きい。「高邁な理想主義の産物」。いい響きではないか。

※引用参考データ:『映画 日本国憲法 読本』(2005)p93-95
posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2018年02月18日

155.ニクソンいわく「憲法9条は間違いだった」

改憲を望んだのはアメリカ側。こう語るのは歴史家のジョン・ダワー氏である。「理由は朝鮮戦争の勃発にあり」との説を、筆者は様々に耳にしてきた。ダワー氏もその1人であるが、シンプルに言えば、日本にもアメリカの戦争を手伝わせたい、といったところであろうか。以下、ダワー氏へのインタビューより。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本国憲法が施行されたのは1947年です。翌48年までに、中国の共産党政権が樹立されることが確実となりました。冷戦は目に見えて激化していきました。そして1949年、いよいよ中華人民共和国が誕生し、1950年には朝鮮戦争が勃発したのです。

その頃になると、アメリカ側は「日本非武装化の方針は好ましくない。再度、武装してアメリカと共に戦ってほしい」と考えるようになりました。朝鮮戦争に参加し、アメリカと共に戦ってほしかったのです。ヒロシマ・ナガサキ、終戦からわずか5年後のことですよ。アメリカが日本に対し、再軍備して共産主義者と戦ってほしいと望むようになったのは。

アメリカ側は日本国憲法を変えることを望み、かなり早い段階から日本に圧力をかけるようになりました。当時、副大統領だったリチャード・ニクソンは「第9条は間違いだった。改憲すべきだ」と公言しました。しかし、それは実現しませんでした。なぜでしょう。

その理由もまた複雑だと思います。政治的かつイデオロギー的だと思うのです。1945年から47年の日本には理想主義が根強く存在していました。民主的で反軍事的な国になること。戦争ではなく平和の象徴となること、そして世界にとって真のモデルとなること。日本がそういう特異な存在になることを目指していました。そうした理想主義はその後、何十年間も国民の間に生き続けました。しかし、その度合いは年々弱まっていきました。逆に反対論者が増え、今日の状況を迎えています。
(『映画 日本国憲法 読本』pp.92-93)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


※引用データ:『映画 日本国憲法 読本』(2005)有限会社フォイル
posted by Lily at 20:17 | 政治と憲法

アメブロ「政治&憲法つれづれ草 byリリー」より最新日記

下記にアメブロの最近の記事3件を抜粋表示しています。
アメブロ「政治&憲法つれづれ草 byリリー」もぜひお読みください。