2018年10月28日

191.日米関係さもあらん(8)〜孫崎享の『戦後史の正体』より〜

歴史にもしもは無いのだが、もしも朝鮮戦争が勃発しなければ、マッカーサーは解任されなかっただろうし、岸信介にしてもそのまま獄中にいたであろう。冷戦と朝鮮戦争が日本の運命を大きく変えたことになる。

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56. マッカーサーは朝鮮戦争に関する意見の衝突で、1951年4月11日にトルーマン大統領によって解任されました。それは、マッカーサーが進めた、
@非軍事化 
A戦争犯罪人の処分 
B民主化の最優先
を軸とする日本占領政策の終わりを意味していました。
 
57. マッカーサーに代わって連合国最高司令官となったリッジウェイは、政治家や将校たちに出されていた公職追放令をゆるめ、25万人以上の追放解除を行ないました。鳩山一郎や石橋湛山、岸信介といった著名な政治家たちが、このとき政治的権利を回復しました。1952年10月に行なわれた占領終結後、最初の国会議員選挙では、衆議院の議席の42%を追放解除者が占めることになります。
 
58. マッカーサーが解任されてから5カ月後の1951年9月8日、日本はサンフランシスコで講和条約(平和条約)と日米安保条約に調印しました。講和条約はサンフランシスコの華麗なオペラ・ハウスで、48カ国の代表が調印して結ばれました。では、日米安保条約はどうだったでしょう。米国側は、アチソン、ダレス、ワイリー、ブリッジスの4人が署名しています。では日本はと見ると、吉田首相ひとりです。
 
59. 「印象的な事実は、安保条約調印の場が、同じサンフランシスコでも、華麗なオペラ・ハウスではなく、米第六軍司令部の下士官クラブであったことである。これはいかにも印象的ではないか。下士官クラブで安保条約の調印式をあげたことは、吉田一行と日本国民に『敗戦国』としての身のほどを知らせるにはうってつけだったと考えたら思いすごしだろうか」(『寺崎太郎外交自伝』私家版)。 注;寺崎太郎;日米開戦前の外務省アメリカ局長。1946年に外務次官になった。
 
60. 「周知のように、日本が置かれているサンフランシスコ体制は、時間的には平和条約〔講和条約〕− 安保条約 − 行政協定の順序でできた。だが、それがもつ真の意義は、まさにその逆で、行政協定のための安保条約、安保条約のための平和条約でしかなかったことは、今日までに明らかになっている」「つまり本能寺〔本当の目的〕は最後の行政協定にこそあったのだ」(寺崎太郎の記述より)
 
61. 旧安保条約の最大の問題は、旧安保条約には米軍の日本駐留のあり方についての取り決めが、なにも書かれていないということです。それは「条約」が国会での審議や批准を必要とするのに対し、政府間の「協定」ではそれが必要ないため、都合の悪い取り決めは全部この行政協定のほうにいれてしまったからなのです。
 
62. 日米安全保障条約(日米安保条約);
1951年9月8日調印、翌年4月28日に発効した。日本全土における米軍基地の自由使用を認める一方、米国は日本の防衛義務は負わないとするきわめて不平等な条約だった。1960年に岸政権のもとで改定されたが、形式としては改定ではなく、新条約の締結という形をとったため、両者を区別するときは、それぞれ「旧安保条約」[新安保条約]などという。
 
63. 日米行政協定;
日米安保条約にもとづいて駐留する在日米軍と米兵他の法的地位を定めた協定。1952年2月28日調印、同年4月28日に発効した。占領中にしようしていた基地の継続使用や、米軍関係者への治外法権、密約として合意された有事での「統一指揮権(日本軍が米軍の指揮下に入る)」など、占領中の米軍の権利をほぼすべて認めるものだった。新安保条約の締結と同時に「日米地位協定」と名称を変えたが、「米軍が治外法権をもち、日本国内で基地を自由使用する」という実態はほとんど変わっていない。


posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2018年10月21日

190. 米軍駐留を正当化する「ハワード理論」

第二次大戦の終結から4年後、アメリカは日本の占領政策を大きく転換し、日本に軍事力をもたせて、それをみずからの指揮のもとで使いたいと考えるようになりました。アジアの民族運動をふせぐために米軍が出動するときは、日本の軍事力を利用したいというのがアメリカの本音でした。

けれども日本には、できたばかりの平和憲法があります。その矛盾をいったい、どうやって正当化すればいいのか。アメリカ政府内では1949年から、すでにそのための話しあいが始まっていました。

アメリカがもっとも重視したのは、米軍駐留の正当化をはかることでした。そのためにハワード国務長官特別補佐官は苦心して、米軍駐留がなぜ日本の憲法に違反しないかという「理論」を考え出します。その理論とは、「禁止しているのは日本の戦力であって、外国の戦力はいいのだ」というものです。

しかし、憲法9条2項はどのように読んでも、日本は戦力をもたないと定めています。ハワードの理屈は、とうてい通用するものではありません。

ところが日本では、このハワードの「理論」をそのまま採用する形で、最高裁判所が1959年12月16日に「米軍駐留は憲法違反ではない」とする判決(「砂川裁判・最高裁判決」)を出しているのです。その判決の理由は、憲法が「保持しない」と定めている軍隊には外国軍隊は含まれないというものでした。

もちろん憲法9条2項には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と、あらゆる戦力がダメだと書かれています。「外国軍隊を除く」とは書かれていません。

[末浪靖司著『「日米指揮権密約」の研究』(2017)創元社より]

posted by Lily at 18:41 | 政治と憲法
2018年10月14日

189.朝鮮戦争と「警察予備隊」

自衛隊の前身は「警察予備隊」であるが、「警察」とつくからには、おまわりさんの集団といったイメージをいだく向きもあろうかと思う。しかしその実態は事実上の軍隊であり、その背景には当時の米軍の「日本の再軍備」という暗黙の計画があったのだ。「朝鮮戦争は、米軍が日本軍を復活させ、その指揮権を握って海外の戦場で使うという軍部の計画を実行するための、大きなきっかけとなった」という。以下、末浪靖司さんの『「日米指揮権密約」の研究』より。
 
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朝鮮戦争の開戦を受けて、マッカーサーは吉田首相に警察予備隊の創設を命じ、はっきり再軍備へと方針転換しました。
 
マッカーサーが吉田内閣に警察予備隊をつくらせたのは、米軍基地を守らせるためでした。朝鮮戦争が始まると、日本を占領していた米軍は、ほとんど朝鮮半島に出動することになりました。そのため、アメリカは急遽、日本に「警察予備隊」という名の、実態は武装した軍隊をつくらせて、再軍備をスタートさせることになったのです。しかし、それはあくまで「警察力の延長」であるという建前が政府によってとられていたため、完全な憲法違反がおこなわれつつあることは、国民の目からは隠されたままでした。

マッカーサーが警察予備隊を創設した目的は、米軍が朝鮮半島に出動したあとの日本国内の治安を維持するためとされていましたが、実際は米軍がいなくなったあとの横須賀、横田、佐世保などの重要な米軍基地に日本人を配備し、それらの基地を守らせるためでした。

また、旧日本軍がすでに解体されたなかで、周辺海域に残る大量の機雷を掃海するために維持されていた海上保安庁の掃海部隊は、このとき米軍の命令を受け、朝鮮海域に出動し、機雷に接触し、死者まで出しています。

朝鮮戦争は、米軍が「日本軍」を復活させ、その指揮権を握って海外の戦場で使うという軍部の計画を実行するための、大きなきっかけとなりました。

[末浪靖司著『「日米指揮権密約」の研究』(2017)創元社pp.97-100]

 
posted by Lily at 00:00 | Comment(0) | 政治と憲法

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