2019年02月10日

206.軍隊は国民の生命や財産を守らない、どころか...

「戦争遂行という至上目的もしくは至高思想が前面に出てくると、むしろ日本人を殺すということが論理的に正しくなるのである」「沖縄戦において県民が軍隊に虐殺されたというのも、よくいわれているようにあれが沖縄における特殊状況だったとどうにもおもえないのである」
[『歴史と視点ー私の雑記帖』(1980)]

上記は歴史小説家・司馬遼太郎さんの言である。司馬さんは戦時中、栃木県佐野の戦車第1連隊に所属していたそうだ。そこで大本営から来た少佐参謀と将校のこんなやりとりを聞く。

「われわれの連隊は、敵が上陸すると同時に南下して敵を水際で撃滅する任務をもっているが、しかし、敵上陸とともに、東京都の避難民が荷車に家財を積んで北上してくるであろうから、当然、街道の交通混雑が予想される。こういう場合、わが八十輛の中戦車は、戦場到着までに立ち往生してしまう。どうすればよいか」
「轢き殺してゆく」
[『歴史の中の日本』(1994)]

要するに、軍隊は国民を守らない。守らないどころか、国民を犠牲にしてでも国家を守ろうとするようだ。

以下、『9条の挑戦』(2018)p.20から。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
軍隊における優秀な指揮官とは、目の前の住民を捨てても、命令に従って行動できる者のことです。感情に流されて、部隊を危険にさらすことは戦争のプロのやることではありません。太平洋戦争中の沖縄戦では、足手まといになるとか食料不足の要因になるとかいう理由で、日本軍が住民を殺害したという説もあります。野戦病院にも民間人は入れてもらえませんでした。このことは戦後も現在も変わることはありません。1977年に米軍戦闘機が横浜の住宅地に墜落し、幼児ら市民9人が死傷した事故でも、自衛隊が救出したのは米軍乗務員だけでした。被害者の救出や被害状況の調査よりも、周辺の人たちを事故現場間で締め出すことが優先されたのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なんどでも確認しておこう。

軍隊は国民の生命や財産を守らない。軍隊が守るのは国家である。
posted by Lily at 17:30 | 政治と憲法
2019年02月03日

205.「地震大国」が「原発大国」である理由

なぜ日本は地震大国であるにもかかわらず世界で3番目の原発大国なのか。

なぜ日本は福島第一原発事故を経験したにもかかわらず原発を止められないのか。

日本はアメリカの同意なしに原発を止めることができないことになっている。その理由が上記の疑問の答えとなろう。以下、木村朗・高橋博子『核の戦後史』(2016)pp.268-269より。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
軍需産業と軍部との一体化した結びつきを「軍産複合体(または軍産官学複合隊)」と呼びます。この軍産複合体の萌芽は20世紀初頭にはできていましたが、アメリカにおける軍産複合体の構築に大きなきっかけを与えたのがマンハッタン計画でした。マンハッタン計画には約22億ドルが費やされ、ダウケミカル社、デュポン社、ユニオンカーバイド社、ウェスティングハウス社、ロッキード社、ダグラス社などの軍需産業、シカゴ大学、カリフォルニア大学などの大学が参加・協力しました。動員されたのは約12万人です。マンハッタン計画で生まれたアメリカの軍産複合体は、戦後、ソ連との激しい核軍拡競争を背景に、ますます肥大化していきました。

核兵器の開発にあたって軍部から注文を受けていた企業のいくつかは後に原発メーカーに変貌します(例えばウェスティングハウス社)。トルーマンの次に大統領となったアイゼンハワーが1953年12月に「原子力平和利用」の演説を行い、原子力エネルギーの民間利用を推進し、原発を積極的に輸出していく考えを明らかにしました。この政策には原発関連技術や核燃料を輸出することによって、その輸出した相手国をコントロールするとともに、肥大化したアメリカの軍需産業に儲ける仕掛け(特許を持つ原子炉技術と作りすぎた濃縮ウランを売ることによって利益を得る)を提供する狙いもあったと考えられます。

この仕掛けにからみとられている国の1つが日本です。日本は1988年にアメリカと結んだ日米原子力協定(第12条4項)によって、アメリカの同意なしには原発を止めることができません。地震大国であるにもかかわらず日本が54基もの原発を持つような世界で3番目の原発大国になったこと、また福島第一原発事故を経験したにもかかわらず、原発を止められない理由の1つがここにあります。

posted by Lily at 20:30 | 政治と憲法
2019年01月27日

204.武力衝突について歴史的事実から考える

例えば近隣国が軍事費を増やしているからといって、また近隣国が核実験に成功したからといって、日本はすぐさま軍隊で対抗しなければならないのだろうか。論理的に考えて可能性はゼロではないが、現実的に考えて蓋然性はどうであろう。確率として高いといえるのだろうか。

この問題を考える手初めに歴史をひもといておこう。以下、伊藤真氏による『9条の挑戦』(2018)p22-23より。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まず、日本と近隣諸国との歴史的な事実を確認しておきましょう。

近代史において、中国や朝鮮が日本を侵略しようとした事実はありません。逆に、日本は豊臣秀吉の朝鮮出兵のあとはしばらく静かにしていましたが、明治政府になってからは、1874年の台湾出兵、1875年の江華島(こうかとう)事件、1894年の日清戦争、1895年の台湾植民地戦争、1900年の義和団鎮圧戦争、1904年の日露戦争、1910年の韓国併合、1914年の第一次世界大戦、1931年の満州事変、1932年の平頂山事件、1937年の南京攻略、1941年の太平洋戦争開始と、間断なく領土拡張のために隣国への軍事介入を繰り返してきました。

そのような介入には様々な理由があったし、そうせざるを得ない状況だったという評価もあり得ます。しかし、それらの戦争の口火を切ったのはむしろ日本であったという歴史に照らすと、中国や朝鮮半島の国が日本に攻め込んでくる蓋然性は高いとは言えません。もちろん、責められる可能性はないわけではない。しかし、「低くても可能性がある印象が軍備に金をかけるべきだ」というのは、適切な優先順づけとは言えません。限られた資源の分配により、国民の命と生活を守ることが政治の本質であるとすれば、近隣諸国から攻撃される蓋然性よりも、自然災害により命と生活を奪われる危険性の方が格段に高い日本においては、災害への備えをむしろ優先すると考えることは合理的です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さもあらん。なればこの国の政府は、自然災害に対する差し迫った危機を放っておいて、蓋然性の低いことにせっせとお金を使っているのだろうか。


posted by Lily at 12:07 | 政治と憲法

アメブロ「政治&憲法つれづれ草 byリリー」より最新日記

下記にアメブロの最近の記事3件を抜粋表示しています。
アメブロ「政治&憲法つれづれ草 byリリー」もぜひお読みください。