2018年04月01日

161.韓洪九(ハン・ホング)さんの憲法観

韓洪九さんは1959年ソウル生まれ。「平和博物館の建立や良心的兵役拒否の運動などに関わるなど、韓国現代史を見直す活動を積極的に行い、心身の歴史家として注目される」というお人である[p43]。筆者は常日頃から日本人ではない人々がわが国の憲法をどう見ているかに相当な関心を抱いている。さらには、関心を抱くにとどまらず、彼らの考え方を多くの人に知らせたいとも思っている。そうした理由から、今回は韓洪九さんの憲法観を紹介することにする。以下、読まれたし。

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戦争を起こした日本が、その過去とどれだけ断絶しているのか。アジアの人々は、日本は過去と断絶していないのではないかと不安を抱きながらも、その不安を抑えることができたのは平和憲法があったからであり、それによって日本に対する根深い不信感をやわらげることができていました。しかし、その憲法の構造がいま、崩れようとしているのです。

靖国問題も、単なる追悼のための施設ではなく戦争を正当化する施設だから皆反対しているのです。A級戦犯14名がそこに合祀されている、ということだけで反対をしているわけではありません。戦争を起こした過去と断絶していない日本が、この9条をなくし、歴史を正当化し、何の妨害もなく海外に軍隊を送ることができたり、自衛軍を持てば、周辺の国が持つ不安感は増幅するでしょう。

より憂慮される状況は、日本の隣国事情もそれぞれ変わっているということです。かつて日本が戦争を起こしたときの隣国とは、隣国自体も変わっています。南北朝鮮、いまは分断されていますが、それぞれ両方が無視できない軍事力を持っています。19世紀末の侵略を受けた時とは違うわけですね。中国も19世紀末のあの中国ではありません。ロシアも20世紀のはじめに日露戦争で日本に負けたロシアではありません。

日本国憲法の崩壊は韓国、北朝鮮、中国、ロシアの軍備増強を招くことでしょう。日本の改憲が、自衛隊を自衛軍とするにとどまったとしても、心理的に他国に与える影響は、多大なる軍備増強をもたらすことになると思います。
[pp.236-237]
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そうなのだ。わが国の改憲が他国に与える「心理的影響」の影響だって、ちゃんと想像しておかななくちゃならない。そう思った。


※引用参考データ:『映画 日本国憲法 読本』pp138-140(2005)有限会社フォイル
posted by Lily at 16:20 | 政治と憲法
2018年03月25日

160.ベアテ女史の憲法観

親日派のアメリカ人であるベアテさん曰く。「第9条は全世界のために必要であると考えます。だから変えないで、ほか国々にも教えて、モデルとして認めてもらい、それぞれの国の憲法にも入れたらいいのではないかと思うんです」「日本が平和の指導者になればいいと思うんです」

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ーーーーーよく日本の憲法が占領軍に押しつけられたというように批判されますが、それについてどう思いますか。

ほかの人に何かを押しつけるときにですね、自分のものよりいいものを押しつけないでしょ。日本の憲法はアメリカの憲法よりすばらしい憲法ですから、「押しつけた」とは言えないだろうと思います。日本の国民はほんとうに喜んで受けました。前からそういう権利を望んでいたんです。男性もそうだった、明治憲法には男性もあんまり権利がなかったんですよね。女性はもちろん全然金がなかったですけど。男性もずいぶん困っていましたよ。だからほんとうに日本の国民が権利を望んでいたっていうことはよくわかりました。

もう一つ、外から来た憲法であるから改憲しなければならないと思う人たちがいますが、日本は歴史的にいろんな国からいろんなものを導入し、それを自分のものにして、もっといいものにしたこともずいぶんありますね。たとえば中国から漢字が来ましたでしょ。仏教はインドと中国から。そして陶器、雅楽などがありますね。みんな外から来て日本のものになりました。だからいい憲法だったらそれを受けて、いいように使えばいいじゃないかって私は思うんです。

ーーーーー第9条を米軍から押しつけられたということで、いま改憲の対象になっているんですけれど、それについてどう思いますか。

第9条は全世界のために必要であると考えます。だから変えないで、ほか国々にも教えて、モデルとして認めてもらい、それぞれの国の憲法にも入れたらいいのではないかと思うんです。いまは、チャンスです。日本が平和の指導者になればいいと思うんです。いまはどこに行っても戦争が起こっているので、新しい考え方で、何かしなければならないと思います。恐ろしくなりますよ。ほんとうに。「わあ、危ない、危ない」ていう感じなんですよね。
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※引用参考データ:『映画 日本国憲法 読本』pp138-140(2005)有限会社フォイル
posted by Lily at 14:16 | 政治と憲法
2018年03月18日

159.「女性の権利」を書いたベアテ女史ー憲法第24条ができるまでー(3)

ベアテ・シロタ・ゴードンさんは1945年12月に再来日し、翌年2月に憲法草案を作成した。その当時の女性たちの様子が以下のインタビュー記録にのこされている。

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ーーーーー東京に着いたときには、街を見てだいぶショックを受けたでしょう。

ええ、ショックだった。ほんとうに全部破壊されていました。残ったビルは、第一生命と日比谷のそばの建物だけだった。とても悲しかった、店もあんまりなかったので、ものを買うために長い行列ができ、2時間も3時間も待たなければならなかった。そして女性が子どもをおんぶしてそこに立っている。たいへんでした。

ーーーーーそういう食料も住宅もないところで、いろいろな政党を作ったり民主主義に参加しようという精神があったんですか。

ええ、ありました。ほんとうに驚きました。女性がすごく強い精神と体をもっている感じだったんです。加藤シヅエといった人たちが、政治的なことについて興味をもって、女性たちを集めていました。私の記憶では、女性のほうが男性よりすごかったと思います。1945年の12月の頃は、女性の方がいろんなことをやってみて、食料とかいろんなものを集めるために何でも一生懸命やっていました。男性もやっていたと思いますが、目立ったのは女性でした。

ーーーーー憲法の草案を作成したのは、そういう雰囲気のなかなんですね。

そうです。極秘だったから、私たちは日本の女性と話すことができなかったんです。しかし運営委員会が、社会党や日本憲法研究会など、いくつもの草案を集めていたんです。ケーディス大佐などはそれを見ていた。だからいろんな意見が、彼らのもとに入ったんです。しかし女性の権利については誰も何も私に言わなかった。ほんとうに自分でやらなければならなかったんです。日本の女性はまったく権利がなかったから、権利を作るのはそんなにむずかしくなかった。でも、日本では1885年から婦人参政権の運動が始まっていた。だから参政権をもらいたいっていうことも、ずいぶんいろんな女性の心にあったんです。運動もありました。市川房枝先生に加藤シヅエ先生たちがいました。だからあの人たちの声も草案には少し入っています。日本の方とその1週間の間に話すことができませんでしたが、あの人たちが期待していることはよくわかりました。
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日本では1885年から女性たちの参政権を求める運動が始まっていた。そうした女性たちの声を、ベアテさんは憲法に反映させようと第24条を起草した。この条項を見た当時の日本政府は女性の権利に強く反対した。しかし、ベアテさんが起草した第24条は、GHQによってのこされた。日本国憲法草案が新聞で発表されると、日本国民の多くはこれを歓迎した。そして戦後初の普通選挙で選ばれた女性議員を含む国会で審議され、日本国憲法は成立した。結婚は当事者である男女の合意だけで成立することになった。また、家族内で男の子と女の子が平等となった。

改めて。
第24条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】
@ 婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
A 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

※引用参考データ:『映画 日本国憲法 読本』pp136-138(2005)有限会社フォイル 、
「シリーズ 今、憲法が危ない!D 日本国憲法第24条―女性の権利―について(その1)」
posted by Lily at 16:30 | 政治と憲法

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