2018年04月08日

162.『映画 日本国憲法』監督 ジャン・ユンカーマン氏の言葉から

以下は『映画 日本国憲法 読本』のあとがきからの抜粋である。ジャン・ユンカーマン氏は1992年米国ミルウォーキー生まれ。自国を「取るに足らないような口実をでっち上げて頻繁に戦争に走り悲惨な結末を招く」と評するこの人物が、我々の改憲問題をどう見ているか、非常に興味深いところである。

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憲法変えることは、本来、その国独自の問題である。しかし現時点における改憲は、いやおうなくほかのニつの現実と結びついてくる。一つは日米同盟。もう一つは日本とアジア諸国との関係である。改憲論者は「集団的自衛」といった、あいまいで穏便な言葉を使う。日本は「普通の国家」に生まれ変わるべきだと主張する。しかし、彼らが望んでいるのは、日本がふたたび戦争を行えるようになることだ。そして、取るに足らないような口実をでっち上げて頻繁に戦争に走り(アメリカ人である私にとっては慙愧に耐えない現実だが)、悲惨な結末を招くアメリカと足並みをそろえて戦うことなのである。

歴史は歩み続け、時の流れはどんどん戦争から遠ざかる。しかし流れゆく先には、紛争の平和的な解決や人権の拡大、つまり日本国憲法の精神があるはずだ。日本国憲法は、それが公布された時点では先駆的な文書であったし、私たちが今回の取材で再確認したように、いまも世界中の人々が求めて止まない理想を示している。日本にとって、この時期にそれを捨て去ることは、歴史の潮流に逆らう行為だ。

[『映画 日本国憲法 読本』pp263-265(2005)有限会社フォイル]
posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2018年04月01日

161.韓洪九(ハン・ホング)さんの憲法観

韓洪九さんは1959年ソウル生まれ。「平和博物館の建立や良心的兵役拒否の運動などに関わるなど、韓国現代史を見直す活動を積極的に行い、心身の歴史家として注目される」というお人である[p43]。筆者は常日頃から日本人ではない人々がわが国の憲法をどう見ているかに相当な関心を抱いている。さらには、関心を抱くにとどまらず、彼らの考え方を多くの人に知らせたいとも思っている。そうした理由から、今回は韓洪九さんの憲法観を紹介することにする。以下、読まれたし。

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戦争を起こした日本が、その過去とどれだけ断絶しているのか。アジアの人々は、日本は過去と断絶していないのではないかと不安を抱きながらも、その不安を抑えることができたのは平和憲法があったからであり、それによって日本に対する根深い不信感をやわらげることができていました。しかし、その憲法の構造がいま、崩れようとしているのです。

靖国問題も、単なる追悼のための施設ではなく戦争を正当化する施設だから皆反対しているのです。A級戦犯14名がそこに合祀されている、ということだけで反対をしているわけではありません。戦争を起こした過去と断絶していない日本が、この9条をなくし、歴史を正当化し、何の妨害もなく海外に軍隊を送ることができたり、自衛軍を持てば、周辺の国が持つ不安感は増幅するでしょう。

より憂慮される状況は、日本の隣国事情もそれぞれ変わっているということです。かつて日本が戦争を起こしたときの隣国とは、隣国自体も変わっています。南北朝鮮、いまは分断されていますが、それぞれ両方が無視できない軍事力を持っています。19世紀末の侵略を受けた時とは違うわけですね。中国も19世紀末のあの中国ではありません。ロシアも20世紀のはじめに日露戦争で日本に負けたロシアではありません。

日本国憲法の崩壊は韓国、北朝鮮、中国、ロシアの軍備増強を招くことでしょう。日本の改憲が、自衛隊を自衛軍とするにとどまったとしても、心理的に他国に与える影響は、多大なる軍備増強をもたらすことになると思います。
[pp.236-237]
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そうなのだ。わが国の改憲が他国に与える「心理的影響」の影響だって、ちゃんと想像しておかななくちゃならない。そう思った。


※引用参考データ:『映画 日本国憲法 読本』pp138-140(2005)有限会社フォイル
posted by Lily at 16:20 | 政治と憲法
2018年03月25日

160.ベアテ女史の憲法観

親日派のアメリカ人であるベアテさん曰く。「第9条は全世界のために必要であると考えます。だから変えないで、ほか国々にも教えて、モデルとして認めてもらい、それぞれの国の憲法にも入れたらいいのではないかと思うんです」「日本が平和の指導者になればいいと思うんです」

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ーーーーーよく日本の憲法が占領軍に押しつけられたというように批判されますが、それについてどう思いますか。

ほかの人に何かを押しつけるときにですね、自分のものよりいいものを押しつけないでしょ。日本の憲法はアメリカの憲法よりすばらしい憲法ですから、「押しつけた」とは言えないだろうと思います。日本の国民はほんとうに喜んで受けました。前からそういう権利を望んでいたんです。男性もそうだった、明治憲法には男性もあんまり権利がなかったんですよね。女性はもちろん全然金がなかったですけど。男性もずいぶん困っていましたよ。だからほんとうに日本の国民が権利を望んでいたっていうことはよくわかりました。

もう一つ、外から来た憲法であるから改憲しなければならないと思う人たちがいますが、日本は歴史的にいろんな国からいろんなものを導入し、それを自分のものにして、もっといいものにしたこともずいぶんありますね。たとえば中国から漢字が来ましたでしょ。仏教はインドと中国から。そして陶器、雅楽などがありますね。みんな外から来て日本のものになりました。だからいい憲法だったらそれを受けて、いいように使えばいいじゃないかって私は思うんです。

ーーーーー第9条を米軍から押しつけられたということで、いま改憲の対象になっているんですけれど、それについてどう思いますか。

第9条は全世界のために必要であると考えます。だから変えないで、ほか国々にも教えて、モデルとして認めてもらい、それぞれの国の憲法にも入れたらいいのではないかと思うんです。いまは、チャンスです。日本が平和の指導者になればいいと思うんです。いまはどこに行っても戦争が起こっているので、新しい考え方で、何かしなければならないと思います。恐ろしくなりますよ。ほんとうに。「わあ、危ない、危ない」ていう感じなんですよね。
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※引用参考データ:『映画 日本国憲法 読本』pp138-140(2005)有限会社フォイル
posted by Lily at 14:16 | 政治と憲法
2018年03月18日

159.「女性の権利」を書いたベアテ女史ー憲法第24条ができるまでー(3)

ベアテ・シロタ・ゴードンさんは1945年12月に再来日し、翌年2月に憲法草案を作成した。その当時の女性たちの様子が以下のインタビュー記録にのこされている。

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ーーーーー東京に着いたときには、街を見てだいぶショックを受けたでしょう。

ええ、ショックだった。ほんとうに全部破壊されていました。残ったビルは、第一生命と日比谷のそばの建物だけだった。とても悲しかった、店もあんまりなかったので、ものを買うために長い行列ができ、2時間も3時間も待たなければならなかった。そして女性が子どもをおんぶしてそこに立っている。たいへんでした。

ーーーーーそういう食料も住宅もないところで、いろいろな政党を作ったり民主主義に参加しようという精神があったんですか。

ええ、ありました。ほんとうに驚きました。女性がすごく強い精神と体をもっている感じだったんです。加藤シヅエといった人たちが、政治的なことについて興味をもって、女性たちを集めていました。私の記憶では、女性のほうが男性よりすごかったと思います。1945年の12月の頃は、女性の方がいろんなことをやってみて、食料とかいろんなものを集めるために何でも一生懸命やっていました。男性もやっていたと思いますが、目立ったのは女性でした。

ーーーーー憲法の草案を作成したのは、そういう雰囲気のなかなんですね。

そうです。極秘だったから、私たちは日本の女性と話すことができなかったんです。しかし運営委員会が、社会党や日本憲法研究会など、いくつもの草案を集めていたんです。ケーディス大佐などはそれを見ていた。だからいろんな意見が、彼らのもとに入ったんです。しかし女性の権利については誰も何も私に言わなかった。ほんとうに自分でやらなければならなかったんです。日本の女性はまったく権利がなかったから、権利を作るのはそんなにむずかしくなかった。でも、日本では1885年から婦人参政権の運動が始まっていた。だから参政権をもらいたいっていうことも、ずいぶんいろんな女性の心にあったんです。運動もありました。市川房枝先生に加藤シヅエ先生たちがいました。だからあの人たちの声も草案には少し入っています。日本の方とその1週間の間に話すことができませんでしたが、あの人たちが期待していることはよくわかりました。
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日本では1885年から女性たちの参政権を求める運動が始まっていた。そうした女性たちの声を、ベアテさんは憲法に反映させようと第24条を起草した。この条項を見た当時の日本政府は女性の権利に強く反対した。しかし、ベアテさんが起草した第24条は、GHQによってのこされた。日本国憲法草案が新聞で発表されると、日本国民の多くはこれを歓迎した。そして戦後初の普通選挙で選ばれた女性議員を含む国会で審議され、日本国憲法は成立した。結婚は当事者である男女の合意だけで成立することになった。また、家族内で男の子と女の子が平等となった。

改めて。
第24条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】
@ 婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
A 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

※引用参考データ:『映画 日本国憲法 読本』pp136-138(2005)有限会社フォイル 、
「シリーズ 今、憲法が危ない!D 日本国憲法第24条―女性の権利―について(その1)」
posted by Lily at 16:30 | 政治と憲法
2018年03月11日

158.「女性の権利」を書いたベアテ女史ー憲法第24条ができるまでー(2)

「日本の女性は戦争前には全然権利がなかったでしょ。だから私はできるだけいろんな権利のことを憲法に書きたかったんです」。ベアテ女史の言である。

1923年生まれの彼女は5歳半の時にピアニストの父親とともに来日。戦前は日本の子供たちと遊び、互いの家に行き来するなど日本の生活を体験し、日本語を習得した。1939年に単身でアメリカに渡り、カリフォルニアの女子大へ。終戦後の1945年の12月、日本にいる両親に会うためGHQ民政局に職を得て再来日。翌年2月、マッカーサー元帥の命令により憲法草案作成に携わることになる。この大仕事に親日派のベアテ女史はどのようにとり組んだのか。以下は彼女自身が語る当時の模様である。

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憲法を書くのだったら、何か参考にしなければならないと思い、すぐジープに乗っていろんな図書館を探しました。ほかの国のいろいろな憲法を見たかったんです。リサーチのために。ほんとうに東京は破壊されていたので、どこへ行ったかは全然覚えていません日本人の運転手が図書館を探してくれたんです。あまり建物がなかったからたいへんだったと思います。なぜいろんなところへ行ったかというと、1カ所の図書館だけに行くと、館長さんがなぜ司令部の代表がそんなに憲法に興味があるのかと疑うかもしれないからです。これは極秘でしたからね。あっちい行って2冊だけ借りて、今度はほかのところへ行って。10冊くらいありました。ドイツのワイマール憲法とソビエトの憲法とスカンジナビアのいろんな国の憲法など。本を事務所に持って帰ると、引っ張りだこになりました。みんな見たがりました。ほかの草案を書いている人も参考になるので、みんなに貸してあげました。

朝から晩まで憲法を読んでびっくりしたのは、ヨーロッパの憲法には基本的な自由だけじゃなくて、女性のために社会福祉の権利も入っていたんです。それはアメリカの憲法にはなかった。でもヨーロッパの憲法にはずいぶんたくさんあったんです。私はいろんな憲法をよく見て、何が日本の社会に合うか考えました。日本の女性は戦争前には全然権利がなかったでしょ。だから私はできるだけいろんな権利のことを憲法に書きたかったんです。社会福祉の権利のことも入れたかったんです。
(pp.130-131)
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「日本の女性は戦争前には全然権利がなかった」ことを、ベアテ女史はその目で見て知っていた。日本の妻たちは夫のためにいろいろな世話をする。夫が会社から同僚を連れ帰ると食事を出す。妻が全てをやり、サービスをし、会話には立ち入らず、一緒に食べることはしない。家の外では夫より前には出ず、後ろをついて歩く。「私は日本の社会のなかに入っていたから、女性が圧迫されていることを自分の目で見ていました」(p.133-134)。こうした経験が大きく影響したのだろう、ベアテ女史は男女平等について非常に関心をもっていたそうだ。

男女平等。今ではすっかり当然視されている。もちろん概念の上での話であるが。

あらためて憲法第24条である。

第24条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】
@ 婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
A 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。


※引用参考データ:『映画 日本国憲法 読本』(2005)有限会社フォイル
東京都公立学校教職員組合「シリーズ 今、憲法が危ない!D 日本国憲法第24条―女性の権利―について(その1)
posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2018年03月04日

157.「女性の権利」を書いたベアテ女史ー憲法第24条ができるまでー(1)

ベアテ・シロタ・ゴードン(Beate Sirota Gordon:1923-2012)。日本国憲法GHQ草案作成メンバーで、憲法第24条(家族生活における個人の尊厳と両性の平等)を書いたとされる人物である。

ベアテさんいわく「日本の女性は戦争前には全然権利がなかったでしょ。だから私はできるだけいろんな権利のことを憲法に書きたかったんです」(『映画日本国憲法読本』p131)。
実際、大日本帝国憲法(=明治憲法)の下では、女性の権利など無いに等しかった。以下、ご参考までに見られたし。

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大日本帝国憲法下の明治民法では、「戸主」を頂点とする家制度が定められていました。戸主権は長男が相続し、女性と長男以外の男性は差別されました。結婚は家と家の間のもので、女性は結婚式で初めて夫の顔を見ることさえ珍しくありませんでした。結婚した女性は、一切の決定権を持たない「無能力者」として扱われ、自分の財産も持てず、選挙権もありませんでした。妻妾同居さえありました。子どもの教育権もなく、学校では、母親が来るのに「父兄会」と言っていました。母親は父や兄(長男)の代理にすぎなかったからです。
(2013/06/28「東京都公立学校教職員組合」のホームページ:「シリーズ 今、憲法が危ない!D 日本国憲法第24条―女性の権利―について(その1)」)
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ベアテさんが書いた「女性の権利条項」たる24条はGHQの憲法草案に受け入れられ、これが新聞で発表されると、日本国民の多くが喜んだ(日本政府の方は強く反対していたが)。

24条を含むこのGHQ草案。選挙で選ばれた議員による国会で審議された後、日本国憲法として成立した。

あらためて憲法第24条である。

第24条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】
@ 婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
A 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。


※引用参考データ:『映画 日本国憲法 読本』(2005)有限会社フォイル
東京都公立学校教職員組合「シリーズ 今、憲法が危ない!D 日本国憲法第24条―女性の権利―について(その1)

posted by Lily at 19:23 | 政治と憲法
2018年02月25日

156.「9条は懲罰」か?

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第9条は、まるで戦争を行なった懲罰として日本に科せられたもののように言われることがあります。右翼の人々が「あの侮辱的な清掃の懲罰にいつまで耐えなければならないのか。もう解き放たれてもいい時期ではないか」と言うのもそのためですね。
(『映画 日本国憲法 読本』p93)
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上記に対し、ジョン・ダワー氏はこう述べている。

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保守的な評論家も、右翼的な評論家も、間違っているとは思いません。あの当時、日本に科せられた政策の中には、背景に懲罰的な意識が働いていたものがあります。

しかし、それらの懲罰も高邁(こうまい)な理想主義と無縁ではありませんでした。懲罰とは、すなわち日本から軍隊をもつ権利を剥奪することですが、マッカーサーも、そして当時の多くの人々も、それを懲罰とは考えませんでした。マッカーサーにとってそれは、日本が再度、信頼されるに値する国であることを世界に証明するための手段だったのです。

マッカーサーはまた、この第9条を、日本がアジアの中で違った性質のリーダーになるための手段とも考えていました。彼の見解には非常に興味深いものがあります。アメリカ側が日本の再軍備を望むようになったのは、冷戦が国際政治を支配し始め、朝鮮戦争が始まる前のことです。しかしマッカーサーは頑として首をタテに降りませんでした。

彼は「日本はアジアのスイスになれる」という、たいへん有名な言葉を残しています。日本は利害の衝突や侵略行為に巻き込まれることのない反軍事主義のシンボルになれる、アジアにおいてはスイス以上の意味を持つ非武装国家のモデルになれると考えたのです。

こうした考え方は懲罰とは違います。日本が世界の信頼を取り戻すために必要な思想でした。第2次世界大戦末期の1945年頃、日本は世界中から嫌われ、特にすべてのアジア人から憎まれていました。「日本は何を象徴している」と聞かれれば、誰だって戦争と侵略を思い浮かべたでしょう。

「この状況が変えられる」とマッカーサーが考えました。「あれほど軍事的だった国でも方向転換できる、世界の諸問題を平和解決するモデルを示せる。そういう意味で、日本は平和の象徴になれる」と。

この憲法は天皇を象徴として戴くだけではない。侵略的な力を所持したり、紛争解決を武力に頼らなくても大きな影響力をもつのは可能なのだ。この憲法はそれを世界に示すための象徴をも戴いていると考えたのです。懲罰ではありません。高邁な理想主義の産物です。
(『映画 日本国憲法 読本』p93-95)
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いかがであろう? 「懲罰」と聞くと面白くない。不名誉かつ不快に思う。が、懲罰であろうがなかろうが、筆者はどちらでも良いと思っている。大したことではない。それより、9条が日本の180転換に大きく影響したということの方が重要だ。反感から好感へ。これは9条に負うところが大きい。「高邁な理想主義の産物」。いい響きではないか。

※引用参考データ:『映画 日本国憲法 読本』(2005)p93-95
posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2018年02月18日

155.ニクソンいわく「憲法9条は間違いだった」

改憲を望んだのはアメリカ側。こう語るのは歴史家のジョン・ダワー氏である。「理由は朝鮮戦争の勃発にあり」との説を、筆者は様々に耳にしてきた。ダワー氏もその1人であるが、シンプルに言えば、日本にもアメリカの戦争を手伝わせたい、といったところであろうか。以下、ダワー氏へのインタビューより。

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日本国憲法が施行されたのは1947年です。翌48年までに、中国の共産党政権が樹立されることが確実となりました。冷戦は目に見えて激化していきました。そして1949年、いよいよ中華人民共和国が誕生し、1950年には朝鮮戦争が勃発したのです。

その頃になると、アメリカ側は「日本非武装化の方針は好ましくない。再度、武装してアメリカと共に戦ってほしい」と考えるようになりました。朝鮮戦争に参加し、アメリカと共に戦ってほしかったのです。ヒロシマ・ナガサキ、終戦からわずか5年後のことですよ。アメリカが日本に対し、再軍備して共産主義者と戦ってほしいと望むようになったのは。

アメリカ側は日本国憲法を変えることを望み、かなり早い段階から日本に圧力をかけるようになりました。当時、副大統領だったリチャード・ニクソンは「第9条は間違いだった。改憲すべきだ」と公言しました。しかし、それは実現しませんでした。なぜでしょう。

その理由もまた複雑だと思います。政治的かつイデオロギー的だと思うのです。1945年から47年の日本には理想主義が根強く存在していました。民主的で反軍事的な国になること。戦争ではなく平和の象徴となること、そして世界にとって真のモデルとなること。日本がそういう特異な存在になることを目指していました。そうした理想主義はその後、何十年間も国民の間に生き続けました。しかし、その度合いは年々弱まっていきました。逆に反対論者が増え、今日の状況を迎えています。
(『映画 日本国憲法 読本』pp.92-93)
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※引用データ:『映画 日本国憲法 読本』(2005)有限会社フォイル
posted by Lily at 20:17 | 政治と憲法
2018年02月11日

154.恩恵

例えば酸素。吸うたび意識している人は稀だろう。でも酸素なしでは生きてはゆけぬ。なくなってからでは遅いのだ。窒息しかけでもしたら気づくだろうか。

われらが憲法。恩恵にどれほど浴してきたことか。一生を支える憲法を今一度ふりかえる。

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新しい命が誕生。出生届を出すと、親の社会的立場や財産で差別されることなく健康診断や予防接種の案内が送られてくる。人は生まれながらにして基本的人権を持ち(憲法一一条)、個人として尊重され、幸福を追求する権利が認められている(一三条)のだ。

六歳になると、みんなが小学一年生に。子どもには教育を受ける権利、保護者には受けさせる義務があり、国も無償で義務教育を提供する(二六条)。

高校や大学に進み、好きな科目や専攻を選べるのは学問の自由(二三条)が保障されているから。これがないと、国や教師が決めた分野を学ぶことになりかねない。教師に違う意見をぶつけられるのも、思想及び良心の自由(一九条)があるためだ。サークル活動で自由な創作活動や発表ができるのは、表現の自由(二一条)があるおかげだ。

社会人になり、才能を生かした仕事に就いたり、住みたい街に引っ越したりできるのは居住・移転及び職業選択の自由(二二条)があるから。成年者で意中の人が見つかれば、親の同意なしでも二人の合意だけで結婚できる(二四条)。

妊娠、出産をした場合、産休・育休を取得できるのは勤労条件の基準(二七条)について定めがあるから。この条文は働き続ける限り、過酷な労働からの防波堤の役割を果たす。

人生に思わぬ壁が立ちはだかった時、憲法が救いの手を差し伸べることも。

実例がある。暴力を振るわれた夫と離婚し、新たな相手と出会ったものの、女性のみ再婚を六カ月間禁じた民法の規定のために苦しんだとして岡山県の女性が訴訟を起こした。最高裁は二〇一五年十二月、百日を超える部分の禁止期間は憲法一四条(法の下の平等)、二四条(両性の平等)違反との判決を下した。政府は再婚禁止期間を百日間とする民法改正案を今国会に提出した。

一三年九月には、結婚していない男女間の子(婚外子)の遺産相続分を法律上の夫婦の子(嫡出子)の半分とする民法の規定は憲法一四条違反とした和歌山県の婚外子女性の訴えを最高裁が認めた。同年、改正民法が成立。これらを含め最高裁は戦後十件の法律の規定を違憲としている。

憲法は災害や病気、加齢で働けなくなり困窮した場合でも、文化的な最低限度の生活を営めるよう、生存権と国の社会的使命(二五条)を明記している。生活保護の受給も施しではなく、権利なのだ。
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なるほどね。憲法というものは、かくもありがたきものなのか、と思えてくる。が、憲法の恩恵にずっと浴していられるか、というと、そうではない。われわれ国民の「不断の努力」が要るのである。その条文が第12条のこの箇所だ。

第十二条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。

見ての通り「〜ねばならない」と書かれている。要するに「不断の努力」は義務である。「われらとわれらの子孫」に対する義務なのだ。

※引用参考データ:2016/5/4 東京新聞【いま読む日本国憲法】
(特別編)条文 一生寄り添う 自由、人権…救いの手にも


 
posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2018年02月04日

153.グローバルに考える

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今年は、日本国憲法にとっての「正念場」の年となるだろう。安倍政権がいよいよ「改憲」を仕掛けてくるであろうことは、ほぼ確実視されるから。いまのところ、連立与党の公明党は慎重な姿勢だとされ、また、各種世論調査でも「安倍改憲」には反対のほうが多いと伝えられている。だが、公明党は政権にとどまることだけが目的の政党だから、最後には押し切られることは目に見えているし、「世論」のほうも、政権やメディアによる世論操作によってコロッと変わる危険性があるから、全面的にあてにすることはできない。政権側の思惑にのせられて「改憲ムード」を高めることになってしまうのか、それともそれを打ち砕くことができるのか、この1年が大きな分かれ目となるだろう。
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と言うお人がいる。法学館憲法研究所顧問・浦部法穂という方である。「浦部法穂の『憲法雑記帳』」というものを書いておられ、その第20回の「正念場」から引用した。

筆者もおおかたこの通りだと思う。公明党は与党でいることがお好きなようだ。これは東京都議会選挙の時にも感じたことで、あの時は自民党と手を切って、都民ファーストと手をつなぎ、依然与党でいた。それに世論というのは物事の真髄を見るのが苦手である。日本に限ったことではない。つい表面的なことに目を奪われがちだ。だから改憲派の望む通りに「コロッ」となる可能性はじゅうぶんにある。

結局何が求められるかというと、国民の物事を正確に見抜く力だろう。洞察力といってもいい。だからそれなりの教養が必要だ。知ることは力なり。視野を広くもち、様々な考え方に出会うことが必要だ。こと憲法9条に関しては、日本人の見方に限らず、である。そんなわけで、筆者は外国の方の視点を持ち込むことを結局的にしようとする。こちらをご覧あれ。

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私はこの憲法第9条は非常に高尚な憲法だと思います。まるで、神が私たち人類に贈ってくれた宝物のようです。しかし、年輩者がだんだんとこの世を去り、歴史的事実・歴史の傷痕について何も知らない多くの若い人々が増えました。今日まで日本は平和憲法は何十年も堅持してきたにもかかわらず、若い世代が過去の民族主義の道を歩もうとして、憲法9条を変えようとしているのです。そのようなやり方は愚かだし、非常に危険な行為です。私は第9条を守ることは日本人の責任だけではなく、私たち、現代に生きる人類の責任でもあると思います。私たち人類の急務だと思います。
班忠義(『映画 日本国憲法 読本』p37)
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ご覧のごとく、「現代に生きる人類の責任」として憲法9条を守るという。この班忠義(バン・チュンイ)というお人、中国の作家で映画監督の方である。してみると、憲法問題を考える際にはグローバルな視点が必要な気が、ますますしてくる。日本と「今の」アメリカの関係にのみ目を向けるべきではない。

このブログではこれまでにも度々アメリカの方やドイツの方の憲法観を取り上げてきた。引き続きそうしていこうと思う。

※引用参考データ:『映画 日本国憲法 読本』(2005)有限会社フォイル、
2018年1月22日 法学館憲法研究所 浦部法穂の「憲法雑記帳」第20回 「正念場」





posted by Lily at 16:56 | 政治と憲法