2017年09月10日

132.「知ってはいけない」知っておきたいこと(1)

『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』という本があります。著者は矢部宏治さんで、発行日は2017年8月16日です。それでこの本を紹介するサイトの「概要」にこうあるんですね(↓↓↓)。

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みなさんは、世田谷区や中野区、杉並区の上空が米軍に支配されていることをご存じですか?

あるいは、米軍に与えられた治外法権が、日本の国土全体に及んでいることを知っていましたか?

「なにをバカなことを……」と思われる方がいらっしゃるかもしれません。
しかし、これらは複数の公文書によって裏付けられた、疑いようのない事実なのです。
じつは、私たちが暮らす「戦後日本」という国には、国民はもちろん、首相やエリート官僚でさえもよくわかっていない、「ウラの掟」が存在し、社会全体の構造を大きく歪めています。

そうした「ウラの掟」のほとんどは、じつはアメリカ政府そのものと日本とのあいだではなく、米軍と日本のエリート官僚とのあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としているのです。

3つの「裏マニュアル」ともいうべき最高裁の「部外秘資料」、検察の「実務資料」、外務省の「日米地位協定の考え方」を参照しながら、日米合同委員会の実態と対米従属の根幹に迫るとともに、日本における「真の権力構造」を徹底解明します。

累計17万部を突破したベストセラー『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』の著者・矢部宏治氏が、「戦後史の闇」に光をあてた渾身の決定版!

(「私たちの未来を脅かす「9つの掟」、最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」とは? なぜ日本はアメリカの意向を「拒否」することができないのか? 3分でわかる日本の深層!」より)
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(↑↑↑)ばかばかしい。と言いたいけれど、もしホントだったら超やばい。 ご参考までにサイトに出ている目次をご覧にいれましょう。こちらです(↓↓↓)。

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第1章 日本の空は、すべて米軍に支配されている
第2章 日本の国土は、すべて米軍の治外法権下にある
第3章 日本に国境はない
第4章 国のトップは「米軍+官僚」である
第5章 国家は密約と裏マニュアルで運営する
第6章 政府は憲法にしばられない
第7章 重要な文書は、最初すべて英語で作成する
第8章 自衛隊は米軍の指揮のもとで戦う
第9章 アメリカは「国」ではなく、「国連」である
追記 なぜ「9条3項・加憲案」はダメなのか
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是非、冗談であってほしいと思うのですが。
posted by Lily at 12:11 | 政治と憲法
2017年09月03日

131.長崎の被爆者・谷口稜曄(すみてる)さんの「平和への誓い」(2015)

長崎の被爆者、谷口稜曄(すみてる)さんが8月30日にお亡くなりになりました。88歳でした。見るに耐えないほど衝撃的な写真「赤い背中の少年」として知られ、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)代表委-員をつとめられ、ノーベル平和賞受賞者にも推薦されたことのある方です。2015年8月9日の平話祈念式典では、被爆者代表として平和への誓いを読み上げました。そしてその中に、このようなくだりがあります:

「戦後日本は再び戦争はしない、武器は持たないと、世界に公約した「憲法」が制定されました。しかし、今集団的自衛権の行使容認を押しつけ、憲法改正を押し進め、戦時中の時代に逆戻りしようとしています。今政府が進めようとしている戦争につながる安保法案は、被爆者を始め平和を願う多くの人々が積み上げてきた核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆そうとするもので、許すことはできません」。以下、故・谷口稜曄(すみてる)さんの「平和へ誓い」全文です。 

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 70年前のこの日、この上空に投下されたアメリカの原爆によって、一瞬にして7万余の人々が殺されました。真っ黒く焼け焦げた死体。倒壊した建物の下から助けを求める声。肉はちぎれ、ぶらさがり、腸が露出している人。かぼちゃのように膨れあがった顔。眼(め)が飛び出している人。水を求め浦上川で命絶えた人々の群れ。この浦上の地は、一晩中火の海でした。地獄でした。
 地獄はその後も続きました。火傷(やけど)や怪我(けが)もなかった人々が、肉親を捜して爆心地をさまよった人々が、救援・救護に駆け付けた人々が、突然体中に紫斑が出、血を吐きながら、死んでいきました。
 70年前のこの日、私は16才。郵便配達をしていました。爆心地から1・8キロの住吉町を自転車で走っていた時でした。突然、背後から虹のような光が目に映り、強烈な爆風で吹き飛ばされ道路に叩きつけられました。
 しばらくして起き上がってみると、私の左手は肩から手の先までボロ布を下げたように、皮膚が垂れ下がっていました。背中に手を当てると着ていた物は何もなくヌルヌルと焼けただれた皮膚がべっとり付いてきました。不思議なことに、傷からは一滴の血も出ず、痛みも全く感じませんでした。
 それから2晩山の中で過ごし、3日目の朝やっと救助されました。3年7カ月の病院生活、その内の1年9カ月は背中一面大火傷のため、うつ伏せのままで死の淵をさまよいました。
 そのため私の胸は床擦れで骨まで腐りました。今でも胸は深くえぐり取ったようになり、肋骨(ろっこつ)の間から心臓の動いているのが見えます。肺活量は人の半分近くだと言われています。
 かろうじて生き残った者も、暮らしと健康を破壊され、病気との闘い、国の援護のないまま、12年間放置されました。アメリカのビキニ水爆実験の被害によって高まった原水爆禁止運動によって励まされた私たち被爆者は、1956年に被爆者の組織を立ち上げることができたのです。あの日、死体の山に入らなかった私は、被爆者の運動の中で生きてくることができました。
 戦後日本は再び戦争はしない、武器は持たないと、世界に公約した「憲法」が制定されました。しかし、今集団的自衛権の行使容認を押しつけ、憲法改正を押し進め、戦時中の時代に逆戻りしようとしています。今政府が進めようとしている戦争につながる安保法案は、被爆者を始め平和を願う多くの人々が積み上げてきた核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆そうとするもので、許すことはできません。
 核兵器は残虐で人道に反する兵器です。廃絶すべきだということが、世界の圧倒的な声になっています。
 私はこの70年の間に倒れた多くの仲間の遺志を引き継ぎ、戦争のない、核兵器のない世界の実現のため、生きている限り、戦争と原爆被害の生き証人の一人として、その実相を世界中に語り続けることを、平和を願うすべての皆さんの前で心から誓います。

平成27年8月9日
被爆者代表 谷口稜曄(すみてる)

※引用参考データ:2017/8/30産経新聞、2015/8/9毎日新聞

posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2017年08月27日

130.信頼は憲法によって

日本は「平和の国」「戦争しない国」というイメージが定着しています。このイメージは、日本が世界の人々に好かれる大きな理由のひとつにもなっています。そしてそのことが、戦後の日本を強力に守ってきたともいえるでしょう。

しかし終戦当時の日本は世界中から嫌われていましたし、信頼されてもいませんでした。日本は軍国主義の国。日本は侵略国家でアジアの敵。(日本もアジアのひとつでありながらです。)すべては日本が始めた戦争のせいでした。では、そんな嫌われものがなぜここまで好意をもたれる国なりえたのか。そして、平和国家としてのゆるぎないブランドを築き上げることができたのか。その答えは憲法にあります。

「もう二度と戦争をしない」、いや正確にいうと「政府にもう二度と戦争させない」と憲法に明文化したからこそ、日本は今のように信頼され好かれる国なったのです。重ねていいますが、「戦争しない国」という良いイメージが、戦後の日本(日本国憲法制定後の日本)を守ってきました。だから、この側面に目を向けずに憲法改定を考えるのは、極めて危険なことだと思うのです。以下、アメリカの歴史学者ジョン・ダワー氏の言です。

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当時は世界中が日本に罵詈雑言を浴びせていました。日本が始めた戦争がどれほど無茶なものであったか、そして日本が世界からどれほど信頼されていなかったかを忘れてはいけません。

真珠湾攻撃のせいではありません。中国やアジア諸国に対する戦争のせいです。日本はアジアを破壊し尽くしました。戦時中に殺された中国人の数が分かっていません。たぶん数えられるだけでも1500万人は殺されたはずです。中国側はもっと多いと言っています。いまでは誰もインドネシアでのできごとを口にしませんが、インドネシアでも何百万人が殺されました。フィリピンでは大きな被害を受けました。そして真珠湾攻撃後は多くのアメリカ兵やアメリカ人捕虜も殺されました。

だから世界中が日本に対して不信感を抱いていたのです。世界中が日本を本質的な軍国主義国だとみなしていました。しかしマッカーサーは「そうした認識をくつがえすことは可能だ」と考えました。日本は軍国主義や侵略、抑圧のシンボルではなく、反軍国主義のシンボルになることができる。それを法制化すればいい。人権の尊重や主権在民も盛り込もう。全てを一つのパッケージにしてしまおう。そうすれば世界から尊敬を受ける国に生まれ変わることができるーー。

ドイツのナチやほか侵略国家のような侵略者のモデルになるのではなく、将来の道標のモデルになればいい。ゼロから出直して、戦争のない世界という最高の理想を体現すればいい。そうすれば信頼を回復し、占領を終わらせ、世界国家の一員に復帰することができる。アメリカ側の意向の裏には、そうした複雑な思考があったわけです。

(『「映画日本国憲法」読本』p.76-78)
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しかし、1950年に朝鮮戦争が勃発すると、アメリカ側は「日本非武装化の方針は好ましくない。再度、武装してアメリカとともに戦ってほしい」(同書p.92)と考えるようになったのですが。

※引用参考データ:『「映画 日本国憲法」読本』(2005)有限会社フォイル


posted by Lily at 18:49 | 政治と憲法
2017年08月20日

129.「米国の事情と憲法9条」について

ノルウェーの平和学者で「平和学の父」の名で知られるヨハン・ガルトゥングさん。「積極的平和」という概念の提唱者としても有名なお人です。ちなみに「積極的平和」とは、単に戦争がない状態(これを「消極的平和」と呼びます)ではなく、基本的人権が尊重され、福祉が保障されている状態のことです。念のため。

ガルトゥングさんは、何度か日本にいらしていまして、今年6月に来日された時には、犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」について、「(国民が)国家、政権への批判をしにくくなる法律だ」とおっしゃいました。

さて、そのガルトゥングさん。『日本人のための平和論』という本をお書きになっていまして、その中の一節をご紹介したいと思います。

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過去のどこかの時点で、米国は、日本が思い通りに動いてくれないのは憲法9条が邪魔をしているからだと気づき、取り除こうと思い立った。憲法9条がなくなれば、自分たちが行う他国への軍事介入に日本を参加させられるようになるからだ。
(『日本人のための平和論』p.14)

戦争は悪である ーー このことに意義を唱えるものはいない。しかし、ここにきて正反対のメッセージが日本の政治リーダーから発せられている。曰く、戦わなくてはならない戦争もある。曰く、友軍米国と力は合わせて戦うことは大義に適う。
(同著 p.15)

そこには、日本は米国に強いられて戦地に赴くのではない。対等な土俵の上に立って行動するのだ、というメッセージが潜んでいる。米国政府が書き、広く日本人に伝えるようにと自民党にことづけたメッセージである。
(同著 p.15)

結局、戦後70年以上経った現在でも、日本の政治は米国の意向で動いている。日本の政治家たちは、六本木ヘリポートに降り立つ米国の軍や政府の関係者の顔色をうかがい、ワシントンの意向を忖度(そんたく)しながら政治を行っている。日本以外の主要国で、他国の軍人や外交官がこれほど簡単に首都中枢に出入りすることを許している国は世界広しといえども他には存在しない。この光景は、今も日本が米国の占領下にあることを象徴している。
(同著 p.15-16)
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なるほどね。ガルトゥングさんによれば、日本は今でも「アメリカの占領下」にあるということで、だとすれば、「日本は決してアメリカにノーと言えない」「日本はアメリカの言うなり」なのもうなずけます。安全性が確認できるまでオスプレイを飛ばさないで下さい、と日本政府が一生懸命頼んでも聞き入れてくれなかったりするのは、やっぱ、占領下に置かれていて立場が弱いからなのでしょう。

2015年9月19日に成立した「安全保障関連法」。あれは、集団的自衛権の行使を容認する法ですから、いってみれば憲法9条を骨抜きにする法ですよね。「日本が思い通りに動いてくれないのは憲法9条が邪魔をしているからだ。憲法9条がなくなれば、自分たちが行う他国への軍事介入に日本は参加させられるようになる」と考えていたアメリカは、この法の成立をそれはそれは喜んだことだろう。と、今、あらためて感じます。

※引用参考データ:
ヨハン・ガルトゥング著『日本人のための平和論』(2017)ダイヤモンド社、
6/15 AFPBB News、
デジタル大辞林


posted by Lily at 19:04 | 政治と憲法
2017年08月13日

128.憲法9条は「謝罪」である

確かに日本は戦後にドイツが謝罪したような謝罪をしていません。「でも日本は謝罪している。憲法9条によって」。これはあるアメリカ人の言葉です。その人の名はチャルマーズ・ジョンソン(Chalmers Johnson 1931-2010)。元カリフォルニア大学教授・元CIA顧問の政治学者です。以下『「映画 日本国憲法」読本』p.29-30より。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
日本は第二次世界大戦中の侵略行為に関して謝罪しなかったとして、いまだに批判されています。少なくとも日本は、戦後にドイツが行ったような謝罪を行っていません。私が初めて来日したのは1953年、この問題がまだ熱く議論されている頃でした。そのときから感じていることですが、日本は謝罪したのです。憲法第9条こそが謝罪だったのです。東アジア諸国へ向けられた宣言だったのです。

「今後、あなた方が、1930年代から40年代に起こったような日本の軍事行為の再発を恐れる必要はありません。なぜなら、日本は公式に、そして法的にも、武力行使を放棄したからです。自衛の最終段階における行為を除いて」

憲法第9条を破棄することは、謝罪を破棄することにほかなりません。そうすれば、中国でも、東南アジアの華僑(*注)社会でも、朝鮮半島では、「日本はほんとうに謝罪したのか、戦争犯罪の重さを本当に理解する気があるのか」という問題が再燃するでしょう。

*注 華僑 長期にわたり海外に居住する中国人及びその子孫。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

憲法9条が持つ「謝罪」の意味について、われわれ日本人としても認識しておく必要がありますね。

※引用参考データ:『「映画 日本国憲法」読本』(2005)有限会社フォイル

posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2017年08月06日

127.政党助成金について(2)

疑問に思うことがあります。それは、日本共産党が受け取りを拒否している政党助成金の、その後の行き先のことなのですが、今の制度はこのようになっています。
 
「政党助成法制度は、政党助成を希望して届け出た政党に分配される仕組みになっている。もしも届け出ない政党がいた場合、そのお金は他党が分け合うことになる」。

何かおかしいと思いませんか? 共産党が受け取らなかった分を国庫に戻し、税金として国民のために使う、というのなら分かります。でも、共産党が受け取らなかった分を他党が分け合ってしまうというのは、税金の使い道としてもおかしくないでしょうか。

わたしが一生懸命に働いて納めた税金の一部が、わたしが支持しない政党へと流れて行くのだとしたら、わたしは納得できません。これまでに共産党が受け取りを拒否してきた政党助成金の総額は相当な額になるはずで、それを他党が山分けし続けてきたわけです。国に戻して国民のために使おうという発想が、なぜ出てこないのでしょうか。繰り返しますが、政党助成金は、われわれの税金です。

いっそ、共産党はちゃんと受け取った方が良いのでは? とも思うのですが、彼らの言い分はこうです。

「日本共産党の受け取り拒否によって他党のとり分が増えるのはたしかに矛盾ですが、だからといって他党のとり分がふえないように制度を手直ししてみても、憲法違反の政党による税金の山分けという本質は、何ら解決されません」。

頑固ですね。一理ありますが。やっぱり政党助成制度の廃止しかない。わたしはそう思っていますが、現に、同様の意見書を可決した地方議会もあるようです。「税金を政党助成に使うのはやめろ」という世論が高まれば、事態は変わると思います。逆にいえば、国民の世論の高まりなくしては、事態は何ら変わらないということです。

※引用参考データ:法学館憲法研究所「政党助成金違憲訴訟(1)」、
2003/7/10法学館LowJournal、
2008/5/11上脇博之「個人の意思を尊重しない政党助制度」、
日本共産党中央委員会発行「財政活動のしおり」
(発行1997.03/改訂2001.09)
posted by Lily at 11:06 | 政治と憲法
2017年07月30日

126.政党助成金について(1)

 みなさんは、毎年一人あたり250円の税金が政党に支出されていることをご存知ですか? 国民のなかには、与党支持の人も野党の支持の人もいますが、同じくどの政党も支持しないという人も少なくありません。また、支持政党のある人のなかでも、その支持の仕方・濃淡にはいろいろとあります。
 このように、国民にはいろいろな政党観や政治観があります。にもかかわらず、その違いを無視して、国民から均しく250円を徴収し政党に支出してしまうのは、国民の思想・良心の自由(消極的自由も含む)に反し、憲法19条に違反すると主張したのが、本件(=政党助成金違憲訴訟)の原告たちです。本件は、2002年3月、埼玉県の住民113人によって、東京地裁に提訴されました。
(法学館憲法研究所「政党助成金違憲訴訟(1)」より)

政党助成金法は、現在1995年から施行されています。考え方としては、国民ひとりにつき250円を政党にあげて政治活動に使ってもらいましょう、ということで、つまり「250円 × 人口=約310億円」が、各政党の議員の数や得票数の数に応じて分配されています。

交付対象となる政党の要件は
@衆議院または参議院に5人以上の議員がいること
A議員がいて、直近の国政選挙で有効投票数の2%以上の得票があること
ですが、この2つの要件を満たしているのにもかかわらず、受け取っていない政党があります。日本共産党です。

受け取らない理由は以下の通り。

 日本共産党が政党助成金を受け取らず、制度の廃止を強く主張しているのは、次の理由からです。
1、国民には政党を支持する自由も、支持しない自由もあります。政党助成金とは、国民の税金の「山分け」ですから、支持していない政党にも献金することを事実上強制する、「思想及び信条の自由」をふみにじる憲法違反の制度だからです。
2、政党の政治資金は、国民とのむすびつきを通じて、自主的につくるべきものです。税金からの分けどりは、この本来のあり方に根本的に反し、政党の堕落と国民無視の政治を助長する制度だからです。
(日本共産党「財政活動のしおり」より)

なるほど一理あると思います。みなさんはこの政党助成金についてどう思いますか? 上記の埼玉県の住民訴訟のように、違憲だと考える人も少なからずいるのではないでしょうか。


※引用参考データ:法学館憲法研究所「政党助成金違憲訴訟(1)」、
2003/7/10法学館LowJournal、
2008/5/11上脇博之「個人の意思を尊重しない政党助制度」、
日本共産党中央委員会発行「財政活動のしおり」
(発行1997.03/改訂2001.09)
posted by Lily at 20:17 | 政治と憲法
2017年07月23日

125.故・日野原重明さんのメッセージ

終戦を機会に、日本は世界にない「平和の国」になった。でも今また戦争に加担するような自衛隊になってしまうっていうことはね、僕自身の心は裂けるような思いですね。私は憲法というのを、日本こそ平和の国にならなくてはならないということを子どもに一生懸命教えてね、将来の日本を作る子どものためにはやはりね、憲法の本当のことをですね、教えたいと。

7月18日に医師の日野原重明さんが107歳でお亡くなりになりましたが、上記は103歳のときのお言葉です。以下、NHKの『私の中の戦争 医師 日野原重明さん 〜救えなかった命への誓い〜』より。後世に向けた大切なメッセージです。日野原先生の「同志」に私はなろうと思います。


■病院に近づく戦争の足音

「この病院はね、空襲はなかったんですが、憲兵隊やなんかが来てね、『チャペルの上の塔の十字架を外せ』と言うのですよ。この病院の建物の礎石に、この病院は神の栄光のためにそうして人々の福祉のためにできた病院です、と書かれているんです。憲兵隊が来てね、『礎石を取れ』っていうふうに言ってたんですよ。でもそんなことはできないでしょ?それでしかたなしにね、私たちは病院の礎石と同じちょうど畳2畳ぐらいの大きなところにね、御影石を切って、その御影石を貼り付けて釘でそれを隠してしまった。『聖路加国際病院』という名前も、よくないということでですね、『大東亜中央病院』という名前に変えられた」

「私は京都大学の医学部の2年の時に肺結核になってね、1年休学して結核の療養したんですよ。そのあと徴兵検査を受けたからこれは丙種(へいしゅ)ということになって、もう軍隊にとられないということには一応なったんですよね。その後、戦争がひどくなって、陸軍にとられれば歩兵になって戦線に行かなくちゃならないようになった時にね、海軍を志願すれば4週間のこのトレーニングで軍医ですね、海軍の少尉となる。そういうようなことができたんで、私は36歳の時にね、この聖路加病院に勤めているうちの4週間、(神奈川県の)戸塚でですね、海軍病院で訓練を受けて海軍少尉になったんです。私の海軍少尉の写真なんかもその時、撮ったことを思い出しますがね」



■多くの命を救えなかった東京大空襲

「東京大空襲の時にやけどでですね、重症のやけどで聖路加病院にどんどん(負傷者が)入院したんですが、そのやけどの患者さんがチャペルの前のロビーにね、マットレスをしいて、そこで我々は治療して」

「新聞紙を焼いて灰にして、(やけどで傷口が)じゅくじゅくしてるでしょ、これを乾かすことができないからね、灰をかけたけれども、半分以上ですね、このやけどになるとね、いくらそんなことをやってもね、死んでしまうんでね」

「戦場の第一線がこの病院の中に現れているような感じを持ちましたね」

「ちょうど戦場に行ってね、それでみんな撃たれるでしょ、血が出る。薬がないわけですよ。それと全く同じですよ。薬がないんですよ。今だったらいろいろするんですが、その時は薬はないしね、包帯もないしね。とにかくなんか押さえつけて血を留めて命をなんとか延ばしたいという気持ちになって看護師さんと一緒にね、もう時間の経過することは全く分からなかったですね。本当に悲壮そのもので、形容詞はない。そういう気持ちでしたよ」

「もう生き地獄だというようなかんじですね。生き地獄」


■“命”を考えた終戦の日


「チャペルの前のラウンジですがね、これはそうとう広いから、職員がみんなが集まるのにね、ちょうどいいということで、院長の命令で時間を早く、早めに集まって下さいと言ってね。その時、私は内科医長をやっていたんですよね。びっしりと病院のみんなが集まりましてね。天皇陛下の玉音放送があるということでですね、ラウンジスピーカーを用いて。その音を皆さんがね、座りこんでね、そして玉音を聞いたわけですよ。私はね、いちばん前に近いところにひざまずいてね、そうして玉音を聞いたわけですがね。そうしましたらね、玉音放送で、いよいよですね、日本はですね、アメリカの軍にね、無条件降伏をすることになったという天皇陛下のね、声が聞いた時はね、今でもこの天皇陛下のこのお声がね、ろうろうとしたね、声、それで少し震えるような声でね、天皇陛下が語られたのを私たち聞いてね、この瞬間ね、これでね、もう全ての戦争が打ち切りだなというふうな気持ちを持ったからね、もう何かね、魂がこう抜けたようなもうショックを受けましてね。それで天皇陛下のお声をずっと聞いたんですよ。それを聞きながらね、職員の多くの人が涙を出しました。私も涙を拭きながらね、その天皇陛下のですね、その放送の最後まで聞かされて、これでね、日本はどうなるかと」

「でもですね、やっとこれで空襲がなくなって本当にみんなの命をここで助けられたんだから、これからは立ち上がるためになんとか頑張ろうじゃないかという決心をみんなの心の中にその立ち上がる決心を抱いたのがあの日のですね、15日の大きな出来事ではなかったかと思います」

「もうね180度転向ですよ、気持ちは。私たちがね、殺されるということから、死ぬのを防ぐというより、今度はね、傷ついた人を助けて早くですね、まともな生活に復帰させて、日本を復興するために一緒に働いてくれというふうなことをですね、みんなに頼まなくちゃならないから。前向きの気持ちが強く出てきてですね、これはやはり医者として使命感、義務感がどんどん出てきてそして看護師さんと一緒にそういう行動を私はやったわけですね」

「その時のことをね、思い出せるような人はもうほんとにわずかしかなくてね、みんなその伝え話し聞くことだけでしか終戦のことを分からないわけですが、私は幸いにその時に40歳足らずでありましたけれども、ずっと今日まで私が103歳までこの生きてきたために、私がこの話をですね、伝えて、次の時代の人にね、考えてもらうということをする役割を私は今にしてですね、与えられているんじゃないかと私はこういうふうに思いましたね」

■終わらなかった“戦争”


「マッカーサーがですね、GHQを東京に開いてからね、『2週間以内に聖路加国際病院はアメリカの第42病院として使うから、病院の明け渡しをして下さい』と言ってね。2週間後には私たち職員もですね、全部病院から出てね。そしてそのごく近くにね、病室らしい病室がないんですが、わずか20床の病室を持つ有床診療所というのがですね、東京市が経営しているところがあったので、私たちはそこにですね、レントゲンの機械やいろんな機械を置いて、そしてそこで仕事を始めたという、そういうことがあったわけですよね」

「戦争中はひどい大空襲がどんどん続いてね、何もかも家も焼けてしまう。ただこの病院だけはですね、まともに焼夷弾がこないで助けられたのはね、私はキリスト教の病院だったから、これはですね、アメリカ軍が遠慮したかと思ったらね、ちゃんとこれはね、戦後にアメリカの軍病院にしたいということがあったからこれを免れたんだということが後になって分かったんですよ」

「GHQのままにマッカーサーのままにですね、受け身になって私たちは行動しなくちゃならないけれども。患者が入ってくるから、患者の命をですね、助けなくちゃならないということが続いているわけでしょ。実際どういうふうにやるかというは私たちがやらないといけないからね。私たちの責任が非常に強いということをですね、私はその時に感じましたね」

「接収された後、私は病院長に会ってね、『私は聖路加で働いていたんだけれど、この聖路加には図書館があるから、できれば図書館に入るパスをください。そして1日のうちの若干の時間でも図書館に寄って、どういう医学がアメリカにあるかを僕はですね、知りたいから』と言って希望したら、その特別なパスをくれて、私は病院に出入りをして、初めてですね、アメリカ医学がいままでのドイツ医学やそういうものとは違ったね、すばらしい医学であるということを私は発見してね。早くこのアメリカ医学を日本の学会にね、紹介しなくちゃな、という使命感を感じてね、私はですね、アメリカ医学というこの月刊雑誌をね、出版をして、そうしてですね、皆さんの教育に一生懸命になった」


■平和への思い

「終戦の時はね、もう日本には軍隊はなくなったっていうんでね、平和の国家になるんではないかということを私たちは非常に強く感じてね、日本こそね、平和の国として我々が背負っていかなくちゃならないという決心をしたことを今でも強く私は思い出します」

「ところがもうその終戦の時のことをですね、知る人は少なくなったから、残った日本人はそういうことを全然分からないから、平和ということに対する考えがね、非常に不明慮になってきたわけです」

「日本は軍隊を持たないということを宣言したのにもかかわらず、自衛隊ができたら、アメリカと自衛隊が訓練をするということになったわけですよ。今度はですね、(集団的自衛権の行使容認を閣議決定して)アメリカが行くところに自衛隊が一緒にいくとしたら日本は自己矛盾をね、本当に。終戦を機会に、日本は世界にない「平和の国」になった。でも今また戦争に加担するような自衛隊になってしまうっていうことはね、僕自身の心は裂けるような思いですね。私は憲法というのを、日本こそ平和の国にならなくてはならないということを子どもに一生懸命教えてね、将来の日本を作る子どものためにはやはりね、憲法の本当のことをですね、教えたいと」

「人の命を守るというのはね、戦争をやめてしまうという方向に持っていかないといけないから、子どもたちのためにも、多くの人にですね、語りかけているわけですね」

「私はそこで講演会をする時ははね、平和こそ目指さなくちゃならない、平和を子どもにも伝えるためには子どものですね、10歳の子どもにですね、小学校に訪問をしてですね、いのちの授業という45分の授業を始めて、毎月1回は日本のどこかの小学校に行って平和の授業ですね。授業で「いじめをなくすることと同じことだ」と。お互いに許し合うことによっていじめがなくなるように。平和というのはね、お互いが国同士が許し合うというようなことがされないと平和は起こらないということを、私はですね、あちこちで話をしているわけです」

「戦争というものはね、全て人の心、人を殺し合うこと。戦争というのは人の命を奪うことでしょ。人間に与えられた命をですね、全部ですね、非情にですね、武器を用いながら全部命を殺してしまうという。お互いに殺人をやっているという、敵味方ね」

「人が人を殺すことがよくないということをね、現実を体験した者としてみんな知らないんだからね。それをとにかく知らせようというのにね、次の時代を使う子どもにこそ、それがですね、大切であってそれを伝えることがいじめをなくすことにもなるから。今の命を無視することをね、なくするようにね、お互いにやろうじゃないか、仲良くやろうじゃないですかっていう気持ちがますます強くなって、そのために私は少しでも長い間生きていたいという望みを持っていますね」

「戦争をするということをなくすることがですね、必要であって、その思いを子どもたちにですね、私たちは伝えなくちゃならない」

「次の時代にですね、何をどのように伝えていくかを考えなくちゃならない」

「戦争体験を伝えなくてはという気持ちは非常にだんだん強くなる。つまり私も人間だから寿命があるでしょ。今103歳。何歳まで生きるか分からないけど、寿命があるのは私は分かっている。だから私は寿命がある間に伝えなくちゃならないという使命感が非常に私には強いんですね」

「私のね、講演活動は病気をする前よりも多くなった。だから私のスケジュールは非常に忙しいんですがね、それをやることが自分の使命であるというね、そういうミッションの気持ちを持って行動しているというのが私の心境です」

「今私が叫んでもね、叫んでいる声を伝える人を作らないと。そうであるなら子どもにそれを伝えることがいちばん大切だなと。そのことがいじめをなくすることにもなるからということを私はですね、ミッションという言葉、これは使命感ですね、私はそのために命があるんだなっていうその使命をね、やはり広めようというですね。命を大切にするということにサインをして欲しいと私は思っております」

「今は70年を感じる人がないから。だからそういう人に実感を持たせるような話をすることは非常に難しい。難しいですね。一から話をしなくちゃならないし。なんでも食べられる食事が十分にある時に飢えの話をしてもね、実感が与えられないようにね、今、戦後70年を記念するんだけれども、しゃべるほうは実感を感じながらしゃべるけれど、聞く人にそこまで、徹底するのは難しい。至難の業だと思いますね。でもやらなくちゃならないっていうね」

「体験した人たちは少ないけれども、やっぱり語り継がないとね、だめじゃないでしょうかね。そういう意味で同志が必要なんです、私に同志が必要です」


※出典:2015年4月5日。NHK 私の中の戦争 医師 日野原重明さん 〜救えなかった命への誓い〜

posted by Lily at 13:02 | 政治と憲法
2017年07月16日

124.もしも「共謀罪」が適用されたら

共謀罪はあまりにも問題が多いが、最大の懸念は一般市民への適用についてだろう。四月二十一日の衆院法務委員会では、盛山正仁法務副大臣が「一般の人が対象にならないということはない」と述べ、一般市民が対象になる可能性を認めている(後に修正)。とにかく警察が嫌疑をかければ、あらゆる団体やグループが「組織的犯罪集団」と見なされ、監視の対象とされてしまう。その線引きは警察の主観に依拠しており、極めて恣意的(しいてき)に行われる。
(中島岳志東京工業大教授 2017/5/29中日新聞「『共謀罪』法で一般市民は 散歩が『下見』 萎縮を憂う」より )

こういうことだそうですから、われわれ一般市民としては油断なりません。

「共謀罪法(組織犯罪処罰法等の改定)」は7月11日に施行されましたけど、これに抗議する人々が同じ日の夕方から新宿駅に集結し、抗議活動を行いました。この時『ブッ飛ばせ!共謀罪』百人委員会が、共謀罪が適用された場合の対応策(フライヤー)を配布していまして、それにはこうあります。

・警察が事情を聴きたいと言ってきたら
→応じる必要はない。聴取に応じると、話したことを逆手に取られ、逮捕される危険性がある。

・応じてしまった場合
→弁護士の選任を強く要求する。聴取の内容をメモする。

・逮捕された場合
→日本国憲法37条3項、38条1項に基づき、黙秘し弁護士を呼ぶこと。

・「共謀」を見ていたとして捜査に協力を求められた場合
→捜査への協力は強制力はなく、意に反して協力する必要はない。

・弁護士の知り合いがいない場合
→救援連絡センターに連絡(03−3591−1301)

以上、一般市民が対象になりうるからには知っておかねばと思います。

※引用参考データ:志葉玲7/12「共謀罪に問われたらどうする?新宿を反対派がジャック、対策法を配布―法律施行日に」、5/29中日新聞
posted by Lily at 20:12 | 政治と憲法
2017年07月09日

123.国民「全体の」奉仕者です

憲法第15条の2項にこうあります。
2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

つまり、すべての公務員は、全体の奉仕者なのだから、国民みんなのために存在することを意識していなければならないのであって、間違っても一部の人たちを「こんな人たち」と呼び、その反対側を「私たち」と呼ぶなどして、「全体(国民みんな)」を分け隔てたりしてはいけないように思うのですが。それにそもそも「こんな人たち」という言い方は時に悪意を感じさせるもの。安倍首相は都議選前日の7月1日に、秋葉原駅前で応援演説に立ち、聴衆から「安倍辞めろ!」の声が飛ぶと、選挙カーの上からその声の方を指さしてこう言いました。

「皆さん、あのように、人の主張の、訴える場所に来て、演説を邪魔するような行為を私たち自民党は絶対にしません!私たちはしっかりと政策を真面目に訴えていきたいんです!憎悪からは、何も生まれない。相手を誹謗中傷したって、皆さん、何も生まれないんです。こんな人たちに、皆さん、私たちは負けるわけにはいかない!都政を任せるわけにはいかないじゃありませんか!」。

(念のために申し添えますと、「自民党総裁としての立場で言った」のかもしれませんが、聞くところによると、垂れ幕には「内閣総理大臣」と書いてあり、しかも司会の石原伸晃議員は「ただいま、安倍総理が到着しました」と紹介したそうですから、やはり公務員である総理大臣としての発言と言うべきでしょう)。

こちらは東京新聞のコラムです。

▼指示語のこれ、あれ、それ、どれ。なにかを指し示しているだけでそこには判断も感情も含まれないのだが、形容動詞の「こんな」「そんな」「あんな」になると話はやや違ってくる▼「こんなことも分からないのか」「そんなばかな」。「こんな女に誰がした」(「星の流れに」)。なぜか、否定の評価や嫌い、気に入らぬという意味や感情が強くなる▼「こんな人たちに負けるわけにはいかない」。首相の先の演説での発言である。「帰れ」「やめろ」と首相を批判する聴衆にそう叫んだ言葉が頭を離れぬのは「こんな」の冷たさのせいだろう▼批判に腹が立ったか。それでもすべての国民を守るべき首相が反対派であろうと国民に向かい、悪意のこもる「こんな人たち」を使った。それが寂しい▼異論に首相が取り組むべきは説得であり、少しでも理解を得ること。「こんな」と呼ぶことは相手にせぬと切り捨てるに等しいだろう。(7/5の東京新聞「筆洗」より)

どうか全体の奉仕者であることをおわすれなきようお願いいたします。


※引用参考データ:7/5東京新聞、
7/3江川紹子「『こんな人たち』発言にみる安倍自民の本当の敗因」
posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法