2018年06月24日

173.沖縄戦

「日本ではどうしても記憶しなければならないことが4つあると思います。終戦記念
日と、広島の原爆の日、長崎の原爆の日、そして6月23日の沖縄の戦いの終結の日」
(『戦争をしない国 明仁天皇のメッセージ』pp.44-45)。

明仁天皇の、昭和56年(1981年)8月のお言葉である。実際、6月23日と聞いて、沖
縄戦終結の日と答えられる日本人はどれほどいるだろうか。毎年のこの日、沖縄県で
は慰霊祭が行われている。しかし、本土では実況中継はおろか、ほとんどニュースに
されないのが実情だ。これでいいのか。いいわけがない。陛下は必ずこの4つの日に
家族で黙とうをささげるそうだ。

今年も6月23日を迎えたばかり。これを機に以下、沖縄市役所の『沖縄戦の実相』か
ら。

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■ 沖縄戦とは

沖縄戦は、太平洋戦争末期の1945年、南西諸島に上陸したアメリカ軍を主体とする連
合軍と日本軍との間で行われた戦いでした。

沖縄戦は1945年3月26日の慶良間諸島米軍上陸から始まり、主要な戦闘は沖縄本島で
行われました。沖縄守備軍(第32軍)の任務は、南西諸島を本土として守りぬくこと
ではなく、出血消耗によって米軍を沖縄に釘付けし、国体護持・本土決戦に備えるこ
とでありました。

1.米軍本島上陸

米軍は、沖縄本島上陸前の1週間で約40,000発の砲弾を撃ち込み、1,600機の艦載機で
爆撃・機銃を加えたといわれています。そして、4月1日、本島中部西海岸(北谷村、
読谷村)から日本軍の抵抗をほとんど受けることなく、無血上陸に成功し、米軍は、
その日の午後2時頃には北飛行場(読谷飛行場)と中飛行場(嘉手納飛行場)を占領
し、翌2日ないし3日には石川や泡瀬方面の東海岸まで到達して本島を二分する作戦に
でました。そして、4月5日頃までには宜野湾村宜野湾以北の中部一帯をほぼ制圧した
のです。

2.本土分断

本島分断に成功した米軍は、主力を首里方面へ向けて進撃し、一部の海兵師団は海岸
沿いに北上しました。本島北部には、本部半島の国頭支援(宇土部隊)を除けば日本
軍の主力は配置されてなく、北上した米軍は進撃を続け、北部最大の激戦地といわれ
た伊江島も21日には完全に占領されたのです。

3.日本軍主戦力の8割を失う

米軍の主力は、4月7日頃から沖縄守備軍の陣取っていた首里方面をめざして総攻撃開
始。これに対し、日本軍は首里陣地本部を死守しようと反撃し、日米両軍は首里北方
の浦添村前田、宜野湾村の嘉数高地を中心に一進一退の攻防戦を40日間も展開し、こ
の戦闘で日本軍は主戦力の8割を失い、5月下旬、首里を放棄して本島南端の摩文仁へ
撤退しました。

4.牛島司令官自決

摩文仁へ撤退はしたものの、日本軍はすでに主力の大半を失っており、6月20日前後
には軍の組織的抵抗はほとんどなくなったといわれています。やがて、6月22日(23
日)、牛島満軍司令官と長勇参謀長は摩文仁岳中腹の司令部壕内で自決。しかし、牛
島らは部下に対して「最後まで敢戦」するように命じていたため、以後、日本軍の敗
残兵が各地で出没することとなります。

5.6月23日以降もなお続く戦闘

宮古郡島や八重山郡島では8月15日まで戦闘状態が続いており、日本軍が武装解除さ
れたのは9月上旬のことでした。ところが、日本政府は8月14日にポツダム宣言を受諾
して敗戦処理に取りかかっており、ひとり沖縄だけがなお、戦闘状態が続いていたこ
とになります。8月26日にいたって、沖縄戦攻略部隊のアメリカ第10軍司令部は「9月
2日以降に南西諸島の全日本軍の降伏に応じるように」連合司令部から命令をうけて
います。これは、9月2日に東京湾のミズリー号上で、日本が連合軍にたいして公式に
降伏調印をしたことをうけて、最終的に沖縄戦を終結に導くものでありました。

6.沖縄戦の終結

沖縄戦の降伏調印式は、沖縄市の前身である旧越来村森根(現、嘉手納飛行場)で行
われました。米第10軍の司令部が置かれていた旧越来村森根に、宮古島の第28師団
長・納見中将、奄美大島から高田少将、加藤少将らが呼ばれ、正式に降伏調印式が執
行されました。1945年(昭和20年)9月7日のことであります。
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年号や日付だけを暗記する歴史教育がいかに無意味なことか。正しい歴史認識へのア
プローチを試みるたびに感じることである。
posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2018年06月17日

172.「教育勅語」の現代語訳

「教育勅語」なるものが、1890年(明治23年)10月、明治天皇が、国民に教育の目的と理念を示す形で発布された。当時の子供たちは、意味がわかろうがわかるまいが丸暗記をさせられたという。大人の筆者が見ても、漢字が多くて何が何やらさっぱりだが、そこは現代語訳というものがある。例えば、明治神宮の公式サイトにこういうものが載っているのだ。


私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。

国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。

このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
(国民道徳協会訳文による)


しかしである。この現代語訳について、作家の高橋源一郎さんはTwitterでこのようにつぶやいている。


たとえば、「朕惟フ」と言うと、ふつう「私は思う」と訳す。もちろん間違っていない。でも、なんか違う。「朕」を使えるのは、天皇ただひとり。同時代で、「朕惟フ」を読んだ人は、「私は思う」とは受けとらなかったんじゃないかな。正確だけれど「正しくない」訳、そんな気がする(2:40 PM - Mar 15, 2017)。


さよか。で、当のご本人。ご自身の口語訳を提供しておられる。以下に原文通り番号付きで引かせていただく。


教育勅語@「はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました? とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね」

教育勅語A「きみたち国民は、いま、そのパーフェクトに素晴らしいぼくたち天皇家の臣下であるわけです。そこのところを忘れてはいけませんよ。その上で言いますけど、きみたち国民は、長い間、臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです」

教育勅語B「その点に関しては、一人の例外もなくね。その歴史こそ、この国の根本であり、素晴らしいところなんですよ。そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。きみたち天皇家の臣下である国民は、それを前提にした上で、父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと」

教育勅語C「そして、友だちは信じ合い、何をするにも慎み深く、博愛精神を持ち、勉強し、仕事のやり方を習い、そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、徳と才能をさらに立派なものにし、なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません」

教育勅語D「もちろんのことだけれど、ぼくが制定した憲法を大切にして、法律をやぶるようなことは絶対しちゃいけません。よろしいですか。さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください」

教育勅語E「というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。それが正義であり「人としての正しい道」なんです。そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです

教育勅語F「いままで述べたことはどれも、ぼくたち天皇家の偉大な祖先が残してくれた素晴らしい教訓であり、その子孫であるぼくも臣下であるきみたち国民も、共に守っていかなければならないことであり、あらゆる時代を通じ、世界中どこに行っても通用する、絶対に間違いの無い「真理」なんです」

教育勅語G「そういうわけで、ぼくも、きみたち天皇家の臣下である国民も、そのことを決して忘れず、みんな心を一つにして、そのことを実践していこうじゃありませんか。以上! 明治二十三年十月三十日 天皇」
posted by Lily at 10:45 | 政治と憲法
2018年06月10日

171.「終戦の詔書」(玉音放送)現代語訳

1945年8月15日正午。「玉音放送」がラジオで流された。これは、昭和天皇が「ポツダム宣言」を受諾し、太平洋戦争の無条件降伏を告げる「終戦の詔書」を朗読した音声である。この「玉音放送」のよく知られている部分を現代語でいうと

「耐え難いことにも耐え、我慢ならないことも我慢して...」

である。しかし。こんな一部だけでは何を言われているのかさっぱりわからない。幸い、2017年8月14日のHUFFPOST(吉川彗慧)に全文の現代語訳が出ていた。「こういう内容だったのか」と思われる向きも多かろう。こちらである。


■「終戦の詔書」(現代語訳)

私は、世界の情勢と日本の現状を深く考え、緊急の方法でこの事態を収拾しようとし、忠実なるあなた方臣民に告げる。

私は政府に対し、「アメリカ、イギリス、中国、ソ連の4カ国に、共同宣言(ポツダム宣言)を受け入れる旨を伝えよ」と指示した。

そもそも日本臣民が平穏に暮らし、世界が栄え、その喜びを共有することは、歴代天皇の遺した教えで、私も常にその考えを持ち続けてきた。アメリカとイギリスに宣戦布告した理由も、日本の自立と東アジアの安定平和を願うからであり、他国の主権を排して、領土を侵すようなことは、もとより私の意志ではない。だが、戦争はすでに4年も続き、我が陸海軍の将兵は勇敢に戦い、多くの役人たちも職務に励み、一億臣民も努力し、それぞれが最善を尽くしたが、戦局は必ずしも好転せず、世界情勢もまた日本に不利である。それだけでなく、敵は新たに残虐な爆弾を使用して、罪のない人々を殺傷し、その惨害が及ぶ範囲は測り知れない。なおも戦争を続ければ、我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破壊してしまうだろう。そのようなことになれば、私はどうして我が子のような臣民を守り、歴代天皇の霊に謝罪できようか。これが、共同宣言に応じるよう政府に指示した理由だ。

私は、アジアの解放のため日本に協力した友好諸国に対し、遺憾の意を表明せざるをえない。日本臣民も、戦死したり、職場で殉職したり、不幸な運命で命を落とした人、またその遺族のことを考えると、悲しみで身も心も引き裂かれる思いだ。また、戦争で傷を負い、戦禍を被り、家や仕事を失った者の生活も、とても心を痛めている。これから日本はとてつもない苦難を受けるだろう。臣民みなの気持ちも、私はよくわかっている。けれども私は、時の運命に導かれるまま、耐え難いことにも耐え、我慢ならないことも我慢して、未来のために平和を実現するため、道を開いていきたい。

私はここに国体を護ることができ、忠実な臣民の真心に信じ、常に臣民とともにある。もし、感情のままに争いごとや問題を起こしたり、仲間同士が互いを陥れたり、時局を混乱させたりして、道を誤り、世界の信用を失うようなことになれば、それは私が最も戒めたいことだ。国を挙げて家族のように一致団結し、この国を子孫に受け継ぎ、神国(日本)の不滅を固く信じ、国の再生と繁栄の責任は重く、その道のりは遠いことを心に留め、持てる総ての力を将来の建設に傾け、道義心を大切にし、志を固く守り、国の真価を発揮し、世界の流れから遅れないよう努力しなければならない。あなた方臣民は、これが私の意志だとよく理解して行動してほしい。

posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2018年06月03日

170.降伏文書に何が書かれていたのか

東京湾に停泊したミズーリ号の上で、降伏文書への署名がなされたのは1945年9月2日のことである。これにより、日本の無条件降伏が確定した。日本はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏を認めたのである。その降伏文書がどのような内容ものだったのか、その具体的な内容を知る人は多くはないと思われる。そこで以下に『世界史の窓』(https://www.y-history.net/appendix/wh1505-121.html)から引用する。

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降伏文書(読みやすくひらがな混じり文とし、一部省略した)

• アメリカ・中華民国・イギリス三国の首班が1945年7月26日「ポツダム」に於て発し、後にソ連が参加した宣言の条項を、日本国天皇、日本国政府及び日本帝国大本営の命に依り、かつこれに代わり受諾する。四国は以下、連合国と称す。

• 日本帝国大本営並びに何れの位置に在あるを問はず、一切の日本国軍隊及日本国の支配下に在る一切の軍隊の連合国に対する無条件降伏を布告する。

• 何れの位置に在るを問はず、一切の日本国軍隊及び日本国臣民に対し敵対行為を直ちに終止すること、・・・を命じる。

• 日本帝国大本営が何れの位置に在るを問はず、一切の日本国軍隊及び日本国の支配下に在る一切の軍隊の指揮官に対し、・・・無条件に降伏すべき旨の命令を直に発することを命じる。

• 一切の官庁、陸軍及海軍の職員に対し、連合国最高司令官が本降伏実施の為適当なりと認めて・・・発せしむる一切の布告、命令及び指示を遵守し、且これを施行することを命じる。・・・

• 「ポツダム」宣言の条項を誠実に履行すること、並に右宣言を実施するため連合国最高司令官又は其の他特定の聯合国代表者が要求すること・・・かつ一切の措置を執ることを天皇、日本国政府及びその後継者の為に約束する。

• 日本帝国政府及び日本帝国大本営に対し、現に日本国の支配下に在る一切の連合国俘虜及び被抑留者を直ちに解放すること・・・を命じる。

• 天皇及び日本国政府の国家統治の権限は、本降伏条項を実施するため、適当と認むる措置を執る連合国最高司令官の制限の下に置かれれるものとする。
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筆者は思う。降伏文書を知らずして 戦後を知ることはできない。と。

posted by Lily at 10:37 | 政治と憲法
2018年05月27日

169.ポツダム宣言の現代語訳


2015年5月20日。安倍晋三首相はポツダム宣言を「つまびらかに読んだことがない」と発言したことは筆者の記憶に新しい。念のため、その時の模様がこちら(↓)。

5月20日に行われた党首討論で、共産党の志位和夫委員長は安倍晋三首相に、ポツダム宣言に関する認識を質問した。

志位氏は「過去に日本が行った戦争は、間違ったものという認識はあるか。70年前に日本はポツダム宣言を受け入れた。ポツダム宣言では、日本が行ったのは間違った戦争だったと明確に記している。総理はこの認識を認めないのか」と聞いた。これに対し、安倍首相は「ポツダム宣言は、つまびらかに読んではいないが、日本はポツダム宣言を受け入れ、戦争が終結した」と述べた。
(2015年05月20日 HUFFPOST)


われ思う。安倍首相でなくとも日本人のほとんどが、つまびらかに読んじゃいないだろう。しかし、日本の戦後はここから始まっていると言っていい。だから、ポツダム宣言知らずして、戦後を正しく理解しようとしても無理がある。だから、ちゃんと知っておいた方がよかろうと思う。幸い現代語訳というものがある。複数見た中で、わかりやすそうなもの(同じく2015年05月20日 HUFFPOST)を選んでみた。これだ(↓)。

ポツダム宣言

1 我々、アメリカ合衆国大統領、中華民国主席とイギリス首相は、我々の数億の国民を代表して協議した結果、この戦争終結の機会を日本に与えることで意見が一致した。

2 アメリカ、イギリス、そして中国の陸海空軍は、何度も陸軍、航空編隊の増強を受けて巨大になっており、日本に対して最後の一撃を加える体制が整っている。この軍事力は、日本が抵抗をやめるまで同盟国によって維持できるものだ。

3 世界中の自由な人々は立ち上がった。それに対してドイツが採った無益かつ無意味な抵抗の結果は、日本の人々に対しても極めて明快な例として示されている。現在日本に向かって集中しつつある力は、ナチスの抵抗に対して用いられた力―全ドイツ民の生活、産業、国土を荒廃させるのに必要だった力―に比べると、測り知れないほど大きいものだ。決意をもって、我々の軍事力全てを投入すれば、日本軍は壊滅し、また、日本の国土は焦土と化すだろう。

4 日本が決断する時は来ている。知力を欠いた身勝手な軍国主義者によって制御され続け、滅亡の淵に至るのか。それとも、理性の道を選ぶのか。

5 我々の条件は以下の通り。条件からの逸脱はないものとする。代替条件はない。遅延も一切認めない。

6 日本の人々をだまし、間違った方向に導き、世界征服に誘った影響勢力や権威・権力は、排除されなければならない。無責任な軍国主義が世界からなくなるまでは、平和、安全、正義の新秩序は実現不可能である。

7 そのような新秩序が確立されるまで、また日本の戦争遂行能力が壊滅したと明確に証明できるまで、連合国軍が指定する日本領土内の諸地点は、連合国軍がこれを占領するものとする。基本的目的の達成を担保するためである。


8 カイロ宣言の条項は履行されるべきものとし、また、日本の主権は本州、北海道、九州、四国及びわれわれの決定する周辺小諸島に限定するものとする。


9 日本の軍隊は、完全に武装解除されてから帰還を許し、平和で生産的な生活を営む機会を与えることとする。

10 我々は、日本を人種差別し、奴隷化するつもりもなければ国を絶滅させるつもりもない。しかし、われわれの捕虜を虐待した者を含めて、全ての戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を行うものとする。日本政府は、日本の人々の間に民主主義的風潮を強化しあるいは復活するにあたって、障害となるものは排除する。言論、宗教、思想の自由及び基本的人権の尊重が確立されなければならない。

11 日本は産業の維持を許される。そして経済を持続し、正当な戦争賠償の取り立てに充当する。しかし、戦争を目的とする軍備拡張のためのものではない。この目的のため、原材料の入手はこれを許される。ただし、入手と支配とは区別する。世界貿易取引関係への日本の事実上の参加を許すものとする。

12 連合国占領軍は、その目的達成後そして日本人民の自由なる意志に従って、平和的傾向を帯び、かつ責任ある政府が樹立される限りにおいて、直ちに日本より撤退するものとする。

13 我々は日本政府に対し日本軍の無条件降伏の宣言を要求する。かつ、誠意を持って実行されるよう、適切かつ十二分な保証を求める。もし拒否すれば、日本は即座にかつ徹底して撃滅される。


われ思う。なんというか、かなり屈辱的である。だが、このポツダム宣言を受諾した時から本当の戦後が始まった。つまり、戦後のはじまりは1945年9月2日ということだ。
posted by Lily at 11:29 | 政治と憲法
2018年05月20日

168.アメリカとの関係

四〇年近くを外交官として過ごしてこられた孫崎享さんは、『戦後史の正体』を書いたことにより、三つの点を確認したという。その三つの点。是非、確認されたし。以下、『戦後史の正体 1945-2012』(2012)p.366より。

@米国の対日政策は、あくまでも米国の利益のためにあります。日本の利益とつねに一致しているわけではありません。

A米国の対日政策は、米国の環境の変化によって大きく変わります。代表的なのは占領時代です。当初、米国は日本を二度と戦争のできない国にすることを目的に、きわめて懲罰的な政策をとっていました。しかし冷戦が起こると、日本を共産主義に対する防波堤にすることを考え、優遇し始めます。このとき対日政策は一百八〇度変化しました。そして多くの日本人は気づいていませんが、米国の対日政策は今から二〇年前、ふたたび一八〇度変化したのです。

B米国は自分の利益にもとづいて日本にさまざまな要求をします。それに立ち向かうのは大変なことです。しかし冷戦期のように、とにかく米国のいうことを聞いていれば大丈夫だという時代はすでに二〇年前に終わっています。どんなに困難でも、日本のゆずれない国益については主張し、米国の理解を得る必要があります。


さて。平成29年11月6日の首相官邸ホームページによると、わが国の安倍総理は、日米共同記者会見の中でこのように述べているが、

「2日間にわたる話合いを通じ、改めて、日米が100%共にあることを力強く確認しました」

この「日米は100%共にある」という発言を、筆者は幾度となく耳にしている。もしも孫崎氏が言われるように「米国の対日政策は、あくまでも米国の利益のためにある」のだとしたら、「日米は100%共にある」という姿勢は、必ずしもわれわれ国民にとっての幸福をもたらすものとは言えまい。

筆者は常々思っている。トランプ大統領という人は、アメリカという国の最も素直な姿を表しているのかもしれない、と。

posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2018年05月13日

167.「自主」「対米追随」から見た日本の首相たち

日本の戦後史を、アメリカに対する「自主路線」と「追随路線」という観点から考察する孫崎享さん。日本の戦後の首相たちを「自主派」「対米追随派」「一部抵抗派」に分類しているあたり。まことに興味深い。

自主派
(積極的に現状を変えようと米国に働きかけた人たち)
・重光葵
石橋湛山
芦田均
岸信介
鳩山一郎
佐藤栄作
田中角栄
福田赳夫
宮沢喜一
細川護煕
鳩山由紀夫

対米追随派
(米国に従い、その信頼を得ることで国益を最大化しようとした人たち)
吉田茂
池田隼人
三木武夫
中曽根康弘
小泉純一郎
海部俊樹
小渕恵三
森喜朗
安倍晋三
麻生太郎
菅直人
野田佳彦

一部抵抗派
(特定の問題について米国からの圧力に抵抗した人たち)
鈴木善幸
竹下登
橋本龍太郎
福田康夫

おもしろいことがある。長期政権となった吉田茂、池田勇人、中曽根康弘、小泉純一郎はいずれも対米追随派である。一方、自主路線を貫こうとした首相たちは、ひとりをのぞき、短期政権に終わっている。そのひとりとは誰か? 佐藤栄作である。
(以上は孫崎享著『戦後史の正体 1945-2012』p368-369から)

ということは、首相佐藤栄作の研究こそ、日本の未来を切り開くかもしれない、ということだろうか?


posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2018年05月06日

166.アメリカの対日政策

『戦後史の正体 1945-2012』(2012)を書いた孫崎享さんは、執筆しながら3つの点を確認したという。以下、同書の「あとがき」より。

@米国の対日政策は、あくまでも米国の利益のためにある。日本の利益とつねに一致しているわけではない。

A米国の対日政策は米国の環境の変化によって大きく変わる。代表的なのは占領時代。当初、米国は日本を二度と戦争のできない国にすることを目的に、きわめて懲罰的な政策をとっていた。しかし冷戦が起こると、日本を共産主義に対する防波堤にすることを考え、優遇し始める。このとき対日政策は百八〇度変化した。そして多くの日本人は気づいていないが、米国の対日政策はいまから二〇年前、ふたたび百八〇度変化した。

B米国は自分の利益にもとづいて日本にさまざまな要求をする。それに立ち向かうのは大変なことである。しかし冷戦期のように、とにかく米国の言うことをきいていれば大丈夫だという時代はすでに二〇年前に終わっている。どんなに困難でも、日本のゆずれない国益については主張し、米国の理解を得る必要がある。
[『戦後史の正体』p366]

孫崎さん曰く。「戦後の日本外交は、米国に対する追随路線と自主路線の戦いであった」「米国からの圧力とそれへの抵抗を軸に戦後史を見ると、大きな歴史の流れが見えてくる」。

これまで米国からの圧力に抵抗を試みた政権はことごとく短命に終わっており、それを孫崎さんは本を通じて証明する。

是非ご 一読されたし。
posted by Lily at 10:34 | 政治と憲法
2018年04月29日

165. 日米関係の本当の姿

戦後の日本外交を動かしてきた最大の原動力は、米国から加えられる圧力と、それに対する「自主」路線と「追随」路線のことせめぎ合い、相克だったということです。

上記は元外務省情報局長で駐イラン大使や防衛大学教授などを務めた孫崎享さんの言である。20万部を超える大ベストセラー『戦後史の正体』(2012)の「はじめに」から引いた。ここで孫崎さんは、日本とアメリカの関係を将棋に例える。それが言い得て妙なのだ。こちらである。

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「米国は日本の同盟国として大切にしてくれている」
「いや、そうではない。米国は日本を使い捨てにしようとしているのだ」
日本では、よくそういう議論を聞くことがあります。でも、どちらも事実ではありません。正しくは、
「米国との関係は、そのときの状況によって変化する」ということなのです。

将棋の盤面を考えていただければよいと思います。米国は王将です。この王将を守り、相手の王将をとるためにすべての戦略が立てられます。米国にとって、日本は「歩」かも知れません。「桂馬」かもし知れません。「銀」かも知れません。ときには「飛車」だといってちやほやしてくれるかもしれません。それは状況によって変わるのです。

しかしたとえどんなコマであっても、国際政治というゲームのなかで、米国という王将を守り、相手の王将をとるために利用されることに変わりありません。状況しだいでは見捨てられることもあります。王手飛車取りをかけられて、飛車を逃す棋士はいないでしょう。一瞬のためらいもなく、飛車を見殺しにする。当たり前の話なのです。

対戦相手の王将も、ときにソ連、ときにアルカイダ、ときに中国やイランと、さまざまに変化します。それによって、日本も「歩」になったり、「桂馬」になったり、「銀」になったりと、役割が変わるのです。

日本のみなさんは、戦後の日米関係においては強固な同盟関係がずっと維持されてきたと思っているでしょう。そして日本はつねに米国から利益を得てきたと。とんでもありません。米国の世界戦略の変化によって、日米関係はつねに大きく揺らいでいるのです。

[孫崎享『戦後史の正体 1945-2012』(2012)pp. D- F]
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アメリカはいつだってアメリカファースト。トランプ氏は正直だ。
posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2018年04月22日

164.「ゴリラに学ぶこと」(京都大学総長・山極寿一氏の言)

おもしろい話を聞いた。人間はゴリラに学ぶべきなのだそうだ。これをおっしゃるのは京都大学の総長でゴリラの研究で知られる山極寿一さん。かねてより山極先生はサルとゴリラをわけていて、サルよりゴリラになれと言っていた。

以下は『AERA』(2018.3.19)の「ゴリラの抑制力に学べ」から。トピックは北朝鮮問題である。読まれたし。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 
――日本にも近い朝鮮半島で衝突も危惧されています。回避する手立てはあるのでしょうか。
 
ゴリラは喧嘩をすると仲裁者が入ることがあります。それは、力の弱いメスや子どものゴリラです。互いのメンツを保ち引き分けにして、共存することが目的だからです。そもそも力の強い者は、お互いが争えばともに大きな痛手を負うと分かっています。だから、なるべく戦わずに共存したいと思っている。米朝間でもそれを成り立たせてあげる国が必要なのです。
 
――その国とは?
 
 日本です。武器や戦争を放棄した日本が仲裁者になればいいのです。日本は無力な立場で世界の平和を訴えることができます。その日本が仲裁に入れば、米朝両国はメンツと誇りを失わずに引き下がります。まさに真の意味での仲裁だと思います。
 
――ただ、勝ち負けを決めないと平和は訪れないと考えている政治家たちもいます。
 
 力で平和を維持しようというのは、大きな間違い。私がゴリラや類人猿から学んできたのは「勝てば勝つほど孤独になっていく」ということです。相手は、自分に対してへつらってくれるけど、尊敬してくれているわけではありません。常に力を行使していないと自分の権力が守れない。そういう社会は、非常にギスギスして生きづらい。それは、平等より勝ち負けを優先するサルの社会に非常に似ています。現代の人間社会は、サル化し、自分の利益のために集団を作るサル社会に突き進んでいるように私には見えます。
 
――人間社会で戦争をなくすことは可能だと思いますか?
 
 それがゴリラに学ぶことです。そのためには死者の言葉を捨て、身体で触れ合うことです。最近ではイスラエルとパレスチナの高校生が他の国で一緒に勉強やスポーツをしたりしています。身体の感覚で付きあうことができれば、同じ人間であることを納得しあえるはずです。
 世界はそろそろ暴力とは別の手段で争いを解決すべきです。他の者から学ぶのは人間だけが持つ能力。ゴリラに学んで、争いのない世界にできると私は信じています。
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山極氏によれば「戦争は、人類の進化の歴史のなかで非常に新しい出来事」なのだそう。人類が武器を使い始めたのはせいぜい数千年前で、人類の歴史は700万年だから99.8%は戦争のない社会」という。ふむ。言われてみればそうであった。となると「最近」われわれホモサピエンスはどうかしちゃった、ということか。

※出典:[AERA 2018.3.19 No.13 p15 「ゴリラの抑制力に学べ」
posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法