2018年12月23日

199.天皇陛下の記者会見全文 

2018年12月23日。明仁天皇は85歳になられた。象徴天皇としての最後のお誕生日を迎えるにあたり、陛下は事前に記者会見にて御心境を述べられた。「沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」と陛下はおっしゃる。陛下の沖縄に対する思いは胸をうつ。そして考える。実は沖縄こそ、日本の縮図ではないか。日本の本当の姿なのではないか。と。

陛下お言葉の全文がこちらである。以下、NHK NEWS WEBより。

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この1年を振り返るとき、例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨、地震、そして台風などによって多くの人の命が落とされ、また、それまでの生活の基盤を失いました。

新聞やテレビを通して災害の様子を知り、また、後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが、自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに、被害を受けた人々が1日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。

ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは、昭和34年、昭和天皇の名代として、伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。

天皇の望ましい在り方を求める日々

今年も暮れようとしており、来年春の私の譲位の日も近づいてきています。私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います。

第二次世界大戦後の国際社会は、東西の冷戦構造の下にありましたが、平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ、冷戦は終焉を迎え、これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。

しかし、その後の世界の動きは、必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ、さらには、多数の難民が苦難の日々を送っていることに、心が痛みます。

戦後の道のり

以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。

終戦を11歳で迎え、昭和27年、18歳の時に成年式、次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は国際社会への復帰を遂げ、次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年、英国のエリザベス二世女王陛下の戴冠式に参列し、その前後、半年余りにわたり諸外国を訪問しました。

それから65年の歳月が流れ、国民皆の努力によって、我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め、平和と繁栄を築いてきました。

昭和28年に奄美群島の復帰が、昭和43年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。

そうした中で平成の時代に入り、戦後50年、60年、70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています。

そして、戦後60年にサイパン島を、戦後70年にパラオのペリリュー島を、更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。

平成に起きた災害

次に心に残るのは災害のことです。平成3年の雲仙・普賢岳の噴火、平成5年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり、平成7年の阪神・淡路大震災、平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。

ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また、災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には、いつも心を打たれています。


障害を抱える人に

障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも、私どもの大切な務めと思い、過ごしてきました。

障害者のスポーツは、ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが、それを越えて、障害者自身がスポーツを楽しみ、さらに、それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います。

海外と日本

今年、我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね、その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら、各国を訪れた際には、できる限り会う機会を持ってきました。

そして近年、多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も、将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。

日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国から我が国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。

また、外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め、各国との親善友好関係が進むことを願っています。

皇后陛下

明年4月に結婚60年を迎えます。

結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました。また、昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし、愛情深く3人の子供を育てました。振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。

天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います。

そして、来年春に私は譲位し、新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において、天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。

今年もあと僅かとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。





posted by Lily at 12:52 | 政治と憲法
2018年12月16日

198.2018年12月14日「屈辱の日」ふたたび

恐ろしい話である。政府がこうと決めれば国民がどんなに反対しようがやってしまう。これがまかり通る国はおよそ民主主義国家とは言い難い。2018年12月14日は、民主主義の崩壊は沖縄だけの問題ではないと日本中が気づいていい日であった。

辺野古沿岸に土砂が投入された。政府は沖縄住民の民意を無視し「国防」(はたして本当に国防になるのかどうか、甚だ疑問)につっぱしっている。希少生物が数多く生息する辺野古の美しい海に土砂が投入された12月14日は「屈辱の日」の再来か。以下、2018年12月15日『琉球新報』社説「辺野古へ土砂投入 第4の「琉球処分」強行だ」より。

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この光景は歴史に既視感を覚える。沖縄が経験してきた苦境である。

政府は、名護市辺野古沿岸に米海兵隊の新基地を造るため埋め立て土砂を投入した。昨年4月の護岸着工以来、工事を進める政府の姿勢は前のめりだ。9月の知事選で新基地に反対する玉城デニー知事誕生後わずか約1カ月後に工事を再開し、国と県の集中協議中も作業を進めた。手続きの不備を県に指摘されても工事を強行し土砂を投入したのは、基地建設を早く既成事実化したいからだ。

県民の諦めを誘い、辺野古埋め立ての是非を問う県民投票に影響を与えたり、予想される裁判を有利に運ぼうとしたりする狙いが透けて見える。

辺野古の問題の源流は1995年の少女乱暴事件にさかのぼる。大規模な県民大会など事件への抗議のうねりが沖縄の負担軽減に向けて日米を突き動かし、米軍普天間飛行場の返還合意につながった。

ところが返還は県内移設が条件であるため曲折をたどる。関係した歴代の知事は県内移設の是非に揺れ、容認の立場でも、使用期限や施設計画の内容などを巡り政府と対立する局面が何度もあった。

5年前、県外移設を主張していた仲井真弘多前知事が一転、埋め立てを承認したことで県民の多くが反発。辺野古移設反対を掲げる翁長県政が誕生し玉城県政に引き継がれた。県内の国会議員や首長の選挙でも辺野古移設反対の民意が示されている。

今年の宜野湾、名護の両市長選では辺野古新基地に反対する候補者が敗れたものの、勝った候補はいずれも移設の是非を明言せず、両市民の民意は必ずしも容認とは言えない。本紙世論調査でも毎回、7割前後が新基地建設反対の意思を示している。

そもそも辺野古新基地には現行の普天間飛行場にはない軍港や弾薬庫が整備される。基地機能の強化であり、負担軽減に逆行する。これに反対だというのが沖縄の民意だ。

その民意を無視した土砂投入は暴挙と言わざるを得ない。歴史的に見れば、軍隊で脅して琉球王国をつぶし、沖縄を「南の関門」と位置付けた1879年の琉球併合(「琉球処分」)とも重なる。日本から切り離し米国統治下に置いた1952年のサンフランシスコ講和条約発効、県民の意に反し広大な米軍基地が残ったままの日本復帰はそれぞれ第2、第3の「琉球処分」と呼ばれてきた。今回は、いわば第4の「琉球処分」の強行である。

歴史から見えるのは、政府が沖縄の人々の意思を尊重せず、「国益」や国策の名の下で沖縄を国防の道具にする手法、いわゆる植民地主義だ。

土砂が投入された12月14日は、4・28などと同様に「屈辱の日」として県民の記憶に深く刻まれるに違いない。だが沖縄の人々は決して諦めないだろう。自己決定権という人間として当然の権利を侵害され続けているからだ。
posted by Lily at 11:36 | 政治と憲法
2018年12月09日

197.どんなに低空を飛んでもかまわないオスプレイの話

オスプレイは「未亡人製造機(ウィドウ・メーカー)」との異名をもつ。オスプレイはそれほど危険だということだ。そんな危険なオスプレイは、この日本の空をどれだけ低空で飛んでもかまわない。なぜなら最低高度が「平均150メートル」だからである。
「最低高度150メートル」ではなく「平均高度150メートル」である。要するに、「どんな低空飛行も許される」ということだ。「飛行高度平均が150メートル」は「150メートル以下の飛行もあり得る」ことを意味する。以下、前泊博盛『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』(2013)pp.5-7より。

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 2012年7月、オスプレイ(MV22)という新型軍用機の日本への配備が決まる過程でだれの目にも明らかになったことがあります。
この「未亡人製造機」と呼ばれるほど危険な12機の軍用機(MV22は、沖縄の普天間基地に配備されたものですが、その前にまず山口県の岩国基地に運ばれ、普天間基地に配備されたあとも、沖縄と本土の上空で平均150メートルの超低空飛行訓練を実施することが明らかになったのです。
ここでみなさんに注目してほしいのが、「平均150メートル(500フィート)」で超低空飛行訓練をするという、米軍発表の内容です。なにかおかしくないですか?
そう。普通、飛行機はもっと上空を飛んでいますよね。それが超低空飛行をするから問題になっているのに、なぜ「平均」の高度で発表されるのでしょう。そもそもいつからいつまでの平均なのでしょう。よく考えてみると、一番問題なのは安全性なのですから、規制されるべきなのは「最低高度」のはずです。なのにそれをなぜ「平均150メートル」での飛行訓練と書くかといえば、

@日本の航空法令で決められた最低安全高度(人口密集地以外)が150メートルだから
A「平均」というのはそれ以下の高度で飛ぶことがあるから

なのです。事実、海兵隊の訓練マニュアル(「MV22B訓練/即応マニュアル」2010年3月)によると、オスプレイには最低高度60メートルでの訓練が求められています。
 絶対におかしいですよね。車におきかえてみると、
「米軍の車両に関しては、高速道路の時速制限は『平均100キロ』とする」
と言っているのと同じことなのです。つまり日本の法律を守るつもりは、初めからないということです。どうしてこんなことが許されるのでしょう。
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理不尽ではないか。
posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2018年12月02日

196. イージス・アショアに隠された本当の目的

もしもこの話が本当なら日本人ほどおめでたい国民はいない。日本がべらぼうな値段で購入しているあの「イージス・アショア」。あれを日本に配備する本当の目的とは? 以下、[伊藤真・神原元・布施祐仁『9条の挑戦−非軍事中立戦略のリアリズム』p183]から。

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 北朝鮮は日本全土をほぼ射程に収めるミサイルを数百発配備しているとみられており、能力的には脅威となり得ます。しかし、発射から7〜8分で日本に到達するミサイルを、すべて迎撃するのは困難です。「飽和攻撃」と言って、こちらの迎撃能力を超える量のミサイルを一度に打ち込まれた場合は、なおさらです。しかも、日本海の沿岸部には27基もの原発が存在し、それらにミサイルが命中した場合、広範囲にわたって壊滅的な被害を受ける可能性があります。

 それにもかかわらず、日本政府は原発に迎撃ミサイルを配備していません。この事実一つをとってみても、日本政府は北朝鮮の弾道ミサイルの脅威を差し迫ったリアルなものとして捉えていないことがわかります。

 それにもかかわらず、日本政府はこれまでに、実に5兆円を超える税金をミサイル防衛のために使ってきました。そして、さらに5000億円をかけてイージス・アショアをアメリカから購入するというのです。

 また、イージス・アショアも含めて日本のミサイル防衛システムはアメリカのミサイル防衛システムに組み込まれており、アメリカ防衛を最優先に運用される可能性が高いと言えます。アメリカがイランのミサイルの脅威を理由にルーマニアとポーランドに配備したイージス・アショアも米本土に向かうミサイルの迎撃が最大の目的となっていますが、日本のイージス・アショア導入も米本土や米太平洋軍の拠点であるハワイやグアムの防衛に貢献することが隠された本当の目的です。
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どうだろう、この話? ひょっとしたら日本国民はそろそろ目を覚ましていいころかもしれない。

posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2018年11月25日

195.「抑止力」についての疑問[伊藤真『9条の挑戦―非軍事中立戦略のリアリズム』より]



いわゆる「抑止力」に不信感を抱いているひとり。得たり、と思う記述に出逢った。以下、伊藤真『9条の挑戦―非軍事中立戦略のリアリズム』(2018)pp.27-29より。
 
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軍隊を持つ方が攻められる危険は小さくなる、という意見があります。「攻めてきてみろよ、もっとひどい目にあわせてやるからな」といって相手国に対する攻撃抑止力になるという考え方です。

こうした「抑止力」に依存した安全保障政策は、実はかえって国民を危険にさらすものです。軍事的抑止力に依存する安全保障論には次のような疑問があります。
 
疑問1 
そもそも抑止力が効果的な安全保障手段かどうかが不明である。抑止力という概念自体が極めて主観的なものであり、抑止力の効果を客観的に測定することは不可能ではないのかという疑問がある。

抑止力が機能している状態というのはどういう場合か。それは「相手国がこちらを攻撃した場合、攻撃による利益よりももっと大きい打撃をこちらから受けると相手国が理解しているとこちらが認識でき、それにより、相手国はこちらを攻撃しないであろうとこちらが考えることができる場合」と言える。こうしたときに抑止が効いていると判断できるのだが、傍線部分はすべて主観的要素である。抑止力とは何重にも主観的要素を重ねた判断であるから、平和の維持と抑止力との因果関係を客観的に論証できるものではない。
 
疑問2 
抑止力の前提に対する疑問がある。
 
抑止力とは、お互いの腹の探り合いのようなものであるから、お互いが相手の軍事的能力や意図(軍事戦略)に関する情報を適切に有していることが前提となる。しかもそうした情報に基づいて理性的に判断できることを前提にしている。北朝鮮に関して言えば、これまで金正恩委員長が何を考えているかわからない危険な人物だとか、中国の軍事力は統計が不正確で不透明だと言いながら、抑止力を強調する人がいる。しかし、それは自己矛盾である。それは抑止が働かないことを自白しているに等しい。
 
疑問3 
同様に、テロに対する抑止力も無意味である。
 
現在、世界で最も脅威とされている国際テロを行う集団は自爆テロをも行い、軍事的な脅し、つまり抑止が効かない相手である。抑止力を高めればその国は平和になり、国民は安全になるのであろうか。もしそうであれば、世界最高の軍事力を持ち、世界最大の抑止力を持つ米国が世界で最も平和でかつ、米国市民が世界のどこへ行っても最も安全であるはずだが、現実は逆である。世界平和度指数のランキングで米国は163か国中、121位である(2018年)。ちなみに最下位はシリアであり、日本は9位である。
 
疑問4 
相手国を刺激し、軍拡競争を誘発することを考慮していない。
 
抑止力論は相手の脅威を強調して自国の軍事力強化を主張するが、そのことが相手国にとって脅威となり、ときに挑発になることを考慮しない。相手は日本に負けまいと軍拡に走り、日本もさらに負けまいとそれを上回る軍拡を目指すことになる。こうして際限なき軍拡の負のスパイラルに陥る危険性がある。その結果、一触即発の危機が生まれ、国の安全はかえって損なわれる。いわゆる「安全保障のジレンマ」に陥る。
 
「安全保障のジレンマ」とは、自国の安全のためにとった措置がかえって相手国に対する緊張を与え、相手国がとる対抗措置により、自国の安全が阻害されることをいう。相手に脅威を与える政策はかえって自国の安全を棄損するのである。
 
疑問5 
そして何よりも抑止力論は、抑止が破れた時の甚大な被害について考慮していない。
 
抑止が破れれば戦争になり、甚大な被害が生じる。その点に触れることなく、抑止力を高めれば確実に戦争を阻止できるように吹聴することは不誠実である。非軍事中立戦略に対して、侵略されたときの被害を甘受するのかと批判する人たちは、抑止力が破られた時の被害は無視するのかと問い返されるころになる。
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無意味な「抑止力」のために莫大な税金を投入しているのだろうか?
 
posted by Lily at 13:01 | 政治と憲法
2018年11月18日

194.「沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事件」

憲法と日米地位協定は両立しない。憲法に保障されているはずの人権が、日米地位協定によってないがしろにされているのだ。この協定がいかにわが国の主権を侵害したものであるかについては、過去の米軍がらみの事件から明らかである。その代表的な事件が「沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事件」である。以下、前泊博盛編『本当は憲法より大切な日米地位協定入門』p30-p34から。


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ここで日米地位協定を語るうえでもっとも有名な、沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事件について説明しておきましょう。

2004年8月13日午後2時17分、その沖縄国際大学の本館ビルに、米軍のCH53D大型ヘリが墜落し、爆発炎上しました。ヘリは墜落直前から壊れ始めており、墜落現場の沖縄国際大学とその周辺の商業ビルや民家には50か所以上にわたり、多数の部品が飛散しました。

猛スピードで飛び散ったヘリの部品は、バイクをなぎ倒し、中古車ショップの車を破壊し、民家の水タンクに穴を開け、マンションのガラスを破り、乳児が眠る寝室のふすまに突き刺さりました。大事故にもかかわらず怪我人が出なかったのは、「奇跡中の奇跡」と、だれもが口をそろえてくり返すほどの大事故でした。

さらに人びとに大きなショックをあたえたのは、事故直後、隣接する米軍普天間基地から数十人の米兵たちが基地のフェンスを乗り越え、事故現場の沖縄国際大学構内になだれこんだことです。彼らは事故現場を封鎖し、そこから日本人を排除しました。

沖縄県のテレビや新聞は「米兵が事故現場を制圧」という言葉で報道しましたが、まさにそのとおりの状況でした。米兵たちは捜査にあたる沖縄県警の警察官を事故現場に入れず、マスコミの取材活動も威圧して排除しようとしました。現場を撮影したテレビ局の取材ビデオさえ、力づくでとりあげようとしたのです。

琉球朝日放送の撮影したビデオがなんとか没収をまぬがれたのは、近くにいた市民や学生が協力してテレビ局のカメラマンを逃がしたからでした。

この映像を見ると、どんな日本人でも怒りにふるえることはまちがいありません。自分たちが事故を起こしておきながら、現地の警察を排除し、取材する記者から力ずくでビデオをとりあげようとする米兵たち。私たちが普段、テレビドラマや映画のなかだけでしか見たことのない、植民地同然の風景がそこに展開されているからです。

この事故は、住宅密集地にある普天間基地の危険性を、まざまざと見せつけるものでした。同時に、一般の民間地、しかも大学構内の事故現場が米軍によって封鎖され、日本の警察も市民も立ち入れないという、まさに植民地同然の事故処理が行われたことで、人びとに大きなショックをあたえました。さすがにその後の国会審議もふくめて、このときは日米地位協定の問題点が大きくクローズアップされています。

この事件が証明したように、沖縄の米軍と米軍基地は、日本国内にありながら一種の「治外法権」をあたえられています。なぜこうした信じられないような行動が許されるのか。米軍ヘリが墜落して日本の私有地で事故が起きているのに、なぜ日本側の捜査権が制限されてしまうのか。

それは1953年に結ばれた「事実上の密約」を受けつぐ形で、1960年に日米地位協定が結ばれたときに日本とアメリカの全権委員が次のような合意をしているからなのです。

日本国の当局は、(略)合衆国軍隊〔米軍〕の財産について、捜査、差し押さえ、または検証を行なう権利を行使しない」(「日米地位協定についての合意議事録」1960年1月19日、ワシントン)

ですから墜落した機体の破片も「米軍の財産だ」と言われてしまうと、それ以上強くでることができないのです。
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なぜ、われわれ日本国民は、とうの昔に合意されたこんな不平等な約束ごとに、従わさせられねばならないのだろうか? 個々人の力は小さくとも、国民ひとりひとりが声を大にし世論を喚起することによって、日米両政府にこの協定の見直しを迫ることは、じゅうぶん可能だと思うのだが。
posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2018年11月11日

193.「伊達判決」の主旨[吉田敏浩著『検証・法治国家の崩壊』より]

「伊達判決」として知られる東京地裁の判決は、筋が通っている。以下、この判決の主旨である。出典は、吉田敏浩著『検証・法治国家の崩壊』p102。

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日米安保条約では、日本に駐留する米軍は、日本の防衛のためだけでなく、極東における平和と安全の維持のため、戦略上必要と判断したら日本国外にも出動できるとしている。その場合、日本が提供した基地は米軍の軍事行動のために使用される。その結果、日本が直接関係のない武力紛争に巻きこまれ、戦争の惨禍が日本におよぶおそれもある。

したがって、安保条約によりこのような危険をもたらす可能性を含む米軍駐留を許した日本政府の行為は、『政府の行為によってふたたび戦争の惨禍が起きないようにすることを決意』した日本国憲法の精神に反するのではないか。

このような実質をもつ米軍の駐留は、日本政府の要請と米政府の承諾があったからで、つまり日本政府の行為によるものだといえる。米軍の駐留は、日本政府の要請と基地の提供と費用の分担など協力があるからこそ可能なのである。

この点を実質的に考察すると、米軍の駐留を許容していることは、指揮権の有無、米軍の出動義務の有無にかかわらず、憲法第九条第二項で禁止されている戦力の保持に該当するものといわざるをえない。結局、日本に駐留する米軍は憲法上その存在を許すべからざるものといわざるをえない。
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2018年11月04日

192. 「『米軍駐留は憲法違反』と明言した伊達判決」[吉田敏弘著『検証・法治国家崩壊』より]

憲法第九条は「戦力の不保持」を謳っている。しかし日本国内に米軍基地がある。おかしいじゃないか! 米軍は紛れもなく戦力じゃないか! あってはならないはずの「戦力」が、日本国内にあるじゃないか!
その通りである。実際、東京地裁は米軍駐留について「憲法違反」の判決を出している。「伊達判決」といわれる名判決である。以下、吉田敏弘著『検証・法治国家崩壊』pp.22-24より。

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1957年、東京都砂川町(現立川市)にある米軍基地内に、数メートル入ったデモの参加者二三人が逮捕され、そのうち七人が起訴されるという「砂川事件」が起こりました。
 その裁判を担当した東京地裁刑事第十三部(裁判長伊達秋雄、裁判官清水春三、裁判官松本一郎)は、判決のなかで「米軍駐留は憲法第九条違反」という前例のない判断を示しました。その判決の要点は、以下のとおりです。

@憲法第九条は、日本が戦争をする権利も、戦力をもつことも禁じている。
一方、日米安保条約では、日本に駐留する米軍は、日本防衛のためだけでなく、極東における平和と安全の維持のため、戦略上必要と判断したら日本国外にも出動できるとしている。その場合、日本が提供した基地は米軍の軍事行動のために使用される。その結果、日本が直接関係のない武力紛争にまきこまれ、戦争の被害が日本におよぶおそれもある。
 したがって、安保条約によりこのような危険をもたらす可能性をもつ米軍駐留を許した日本政府の行為は、『政府の行為によってふたたび戦争の惨禍が起きないようにすることを決意』した日本国憲法の精神に反するのではないか。

 Aそうした危険性をもつ米軍の駐留は、日本政府が要請し、それをアメリカ政府が承諾した結果であり、つまり日本政府の行為によるものだといえる。米軍の駐留は、日本政府の要請と、基地の提供と費用の分担などの協力があるからこそ可能なのである。
 この点を考えると、米軍の駐留を許していることは、指揮権の有無、米軍の出動義務の有無にかかわらず、憲法第九条第二項で禁止されている戦力の保持に該当するものといわざるをえない。結局、日本に駐留する米軍は憲法上その存在を許すべきではないといえる。

 B刑事特別法は、正当な理由のない基地内への立ち入りに対し、一年以下の懲役または二〇〇〇円以下の罰金もしくは科料を課している。それは軽犯罪法の規定よりもとくに重い。しかし、米軍の日本駐留が憲法第九条第二項に違反している以上、国民に対し軽犯罪法の規定よりもとくに重い刑罰をあたえる刑事特別法の規定は、どんな人でも適正な手続きによらなければ刑罰を科せられないとする憲法第三一条〔適正手続きの保障〕に違反しており、無効だ。したがって、全員無罪である」

 判決当日の新聞各紙勇敢の一面には、「米軍駐留は憲法違反、砂川基地立ち入り、全員に無罪判決」などの大きな見出しが、かかげられました。この画期的な判決はのちに、伊達秋雄裁判長の名前をとって、「伊達判決」と呼ばれるようになります。
posted by Lily at 17:55 | 政治と憲法
2018年10月28日

191.日米関係さもあらん(8)〜孫崎享の『戦後史の正体』より〜

歴史にもしもは無いのだが、もしも朝鮮戦争が勃発しなければ、マッカーサーは解任されなかっただろうし、岸信介にしてもそのまま獄中にいたであろう。冷戦と朝鮮戦争が日本の運命を大きく変えたことになる。

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56. マッカーサーは朝鮮戦争に関する意見の衝突で、1951年4月11日にトルーマン大統領によって解任されました。それは、マッカーサーが進めた、
@非軍事化 
A戦争犯罪人の処分 
B民主化の最優先
を軸とする日本占領政策の終わりを意味していました。
 
57. マッカーサーに代わって連合国最高司令官となったリッジウェイは、政治家や将校たちに出されていた公職追放令をゆるめ、25万人以上の追放解除を行ないました。鳩山一郎や石橋湛山、岸信介といった著名な政治家たちが、このとき政治的権利を回復しました。1952年10月に行なわれた占領終結後、最初の国会議員選挙では、衆議院の議席の42%を追放解除者が占めることになります。
 
58. マッカーサーが解任されてから5カ月後の1951年9月8日、日本はサンフランシスコで講和条約(平和条約)と日米安保条約に調印しました。講和条約はサンフランシスコの華麗なオペラ・ハウスで、48カ国の代表が調印して結ばれました。では、日米安保条約はどうだったでしょう。米国側は、アチソン、ダレス、ワイリー、ブリッジスの4人が署名しています。では日本はと見ると、吉田首相ひとりです。
 
59. 「印象的な事実は、安保条約調印の場が、同じサンフランシスコでも、華麗なオペラ・ハウスではなく、米第六軍司令部の下士官クラブであったことである。これはいかにも印象的ではないか。下士官クラブで安保条約の調印式をあげたことは、吉田一行と日本国民に『敗戦国』としての身のほどを知らせるにはうってつけだったと考えたら思いすごしだろうか」(『寺崎太郎外交自伝』私家版)。 注;寺崎太郎;日米開戦前の外務省アメリカ局長。1946年に外務次官になった。
 
60. 「周知のように、日本が置かれているサンフランシスコ体制は、時間的には平和条約〔講和条約〕− 安保条約 − 行政協定の順序でできた。だが、それがもつ真の意義は、まさにその逆で、行政協定のための安保条約、安保条約のための平和条約でしかなかったことは、今日までに明らかになっている」「つまり本能寺〔本当の目的〕は最後の行政協定にこそあったのだ」(寺崎太郎の記述より)
 
61. 旧安保条約の最大の問題は、旧安保条約には米軍の日本駐留のあり方についての取り決めが、なにも書かれていないということです。それは「条約」が国会での審議や批准を必要とするのに対し、政府間の「協定」ではそれが必要ないため、都合の悪い取り決めは全部この行政協定のほうにいれてしまったからなのです。
 
62. 日米安全保障条約(日米安保条約);
1951年9月8日調印、翌年4月28日に発効した。日本全土における米軍基地の自由使用を認める一方、米国は日本の防衛義務は負わないとするきわめて不平等な条約だった。1960年に岸政権のもとで改定されたが、形式としては改定ではなく、新条約の締結という形をとったため、両者を区別するときは、それぞれ「旧安保条約」[新安保条約]などという。
 
63. 日米行政協定;
日米安保条約にもとづいて駐留する在日米軍と米兵他の法的地位を定めた協定。1952年2月28日調印、同年4月28日に発効した。占領中にしようしていた基地の継続使用や、米軍関係者への治外法権、密約として合意された有事での「統一指揮権(日本軍が米軍の指揮下に入る)」など、占領中の米軍の権利をほぼすべて認めるものだった。新安保条約の締結と同時に「日米地位協定」と名称を変えたが、「米軍が治外法権をもち、日本国内で基地を自由使用する」という実態はほとんど変わっていない。


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2018年10月21日

190. 米軍駐留を正当化する「ハワード理論」

第二次大戦の終結から4年後、アメリカは日本の占領政策を大きく転換し、日本に軍事力をもたせて、それをみずからの指揮のもとで使いたいと考えるようになりました。アジアの民族運動をふせぐために米軍が出動するときは、日本の軍事力を利用したいというのがアメリカの本音でした。

けれども日本には、できたばかりの平和憲法があります。その矛盾をいったい、どうやって正当化すればいいのか。アメリカ政府内では1949年から、すでにそのための話しあいが始まっていました。

アメリカがもっとも重視したのは、米軍駐留の正当化をはかることでした。そのためにハワード国務長官特別補佐官は苦心して、米軍駐留がなぜ日本の憲法に違反しないかという「理論」を考え出します。その理論とは、「禁止しているのは日本の戦力であって、外国の戦力はいいのだ」というものです。

しかし、憲法9条2項はどのように読んでも、日本は戦力をもたないと定めています。ハワードの理屈は、とうてい通用するものではありません。

ところが日本では、このハワードの「理論」をそのまま採用する形で、最高裁判所が1959年12月16日に「米軍駐留は憲法違反ではない」とする判決(「砂川裁判・最高裁判決」)を出しているのです。その判決の理由は、憲法が「保持しない」と定めている軍隊には外国軍隊は含まれないというものでした。

もちろん憲法9条2項には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と、あらゆる戦力がダメだと書かれています。「外国軍隊を除く」とは書かれていません。

[末浪靖司著『「日米指揮権密約」の研究』(2017)創元社より]

posted by Lily at 18:41 | 政治と憲法