2018年03月11日

158.「女性の権利」を書いたベアテ女史ー憲法第24条ができるまでー(2)

「日本の女性は戦争前には全然権利がなかったでしょ。だから私はできるだけいろんな権利のことを憲法に書きたかったんです」。ベアテ女史の言である。

1923年生まれの彼女は5歳半の時にピアニストの父親とともに来日。戦前は日本の子供たちと遊び、互いの家に行き来するなど日本の生活を体験し、日本語を習得した。1939年に単身でアメリカに渡り、カリフォルニアの女子大へ。終戦後の1945年の12月、日本にいる両親に会うためGHQ民政局に職を得て再来日。翌年2月、マッカーサー元帥の命令により憲法草案作成に携わることになる。この大仕事に親日派のベアテ女史はどのようにとり組んだのか。以下は彼女自身が語る当時の模様である。

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憲法を書くのだったら、何か参考にしなければならないと思い、すぐジープに乗っていろんな図書館を探しました。ほかの国のいろいろな憲法を見たかったんです。リサーチのために。ほんとうに東京は破壊されていたので、どこへ行ったかは全然覚えていません日本人の運転手が図書館を探してくれたんです。あまり建物がなかったからたいへんだったと思います。なぜいろんなところへ行ったかというと、1カ所の図書館だけに行くと、館長さんがなぜ司令部の代表がそんなに憲法に興味があるのかと疑うかもしれないからです。これは極秘でしたからね。あっちい行って2冊だけ借りて、今度はほかのところへ行って。10冊くらいありました。ドイツのワイマール憲法とソビエトの憲法とスカンジナビアのいろんな国の憲法など。本を事務所に持って帰ると、引っ張りだこになりました。みんな見たがりました。ほかの草案を書いている人も参考になるので、みんなに貸してあげました。

朝から晩まで憲法を読んでびっくりしたのは、ヨーロッパの憲法には基本的な自由だけじゃなくて、女性のために社会福祉の権利も入っていたんです。それはアメリカの憲法にはなかった。でもヨーロッパの憲法にはずいぶんたくさんあったんです。私はいろんな憲法をよく見て、何が日本の社会に合うか考えました。日本の女性は戦争前には全然権利がなかったでしょ。だから私はできるだけいろんな権利のことを憲法に書きたかったんです。社会福祉の権利のことも入れたかったんです。
(pp.130-131)
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「日本の女性は戦争前には全然権利がなかった」ことを、ベアテ女史はその目で見て知っていた。日本の妻たちは夫のためにいろいろな世話をする。夫が会社から同僚を連れ帰ると食事を出す。妻が全てをやり、サービスをし、会話には立ち入らず、一緒に食べることはしない。家の外では夫より前には出ず、後ろをついて歩く。「私は日本の社会のなかに入っていたから、女性が圧迫されていることを自分の目で見ていました」(p.133-134)。こうした経験が大きく影響したのだろう、ベアテ女史は男女平等について非常に関心をもっていたそうだ。

男女平等。今ではすっかり当然視されている。もちろん概念の上での話であるが。

あらためて憲法第24条である。

第24条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】
@ 婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
A 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。


※引用参考データ:『映画 日本国憲法 読本』(2005)有限会社フォイル
東京都公立学校教職員組合「シリーズ 今、憲法が危ない!D 日本国憲法第24条―女性の権利―について(その1)
posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2018年03月04日

157.「女性の権利」を書いたベアテ女史ー憲法第24条ができるまでー(1)

ベアテ・シロタ・ゴードン(Beate Sirota Gordon:1923-2012)。日本国憲法GHQ草案作成メンバーで、憲法第24条(家族生活における個人の尊厳と両性の平等)を書いたとされる人物である。

ベアテさんいわく「日本の女性は戦争前には全然権利がなかったでしょ。だから私はできるだけいろんな権利のことを憲法に書きたかったんです」(『映画日本国憲法読本』p131)。
実際、大日本帝国憲法(=明治憲法)の下では、女性の権利など無いに等しかった。以下、ご参考までに見られたし。

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大日本帝国憲法下の明治民法では、「戸主」を頂点とする家制度が定められていました。戸主権は長男が相続し、女性と長男以外の男性は差別されました。結婚は家と家の間のもので、女性は結婚式で初めて夫の顔を見ることさえ珍しくありませんでした。結婚した女性は、一切の決定権を持たない「無能力者」として扱われ、自分の財産も持てず、選挙権もありませんでした。妻妾同居さえありました。子どもの教育権もなく、学校では、母親が来るのに「父兄会」と言っていました。母親は父や兄(長男)の代理にすぎなかったからです。
(2013/06/28「東京都公立学校教職員組合」のホームページ:「シリーズ 今、憲法が危ない!D 日本国憲法第24条―女性の権利―について(その1)」)
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ベアテさんが書いた「女性の権利条項」たる24条はGHQの憲法草案に受け入れられ、これが新聞で発表されると、日本国民の多くが喜んだ(日本政府の方は強く反対していたが)。

24条を含むこのGHQ草案。選挙で選ばれた議員による国会で審議された後、日本国憲法として成立した。

あらためて憲法第24条である。

第24条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】
@ 婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
A 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。


※引用参考データ:『映画 日本国憲法 読本』(2005)有限会社フォイル
東京都公立学校教職員組合「シリーズ 今、憲法が危ない!D 日本国憲法第24条―女性の権利―について(その1)

posted by Lily at 19:23 | 政治と憲法
2018年02月25日

156.「9条は懲罰」か?

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第9条は、まるで戦争を行なった懲罰として日本に科せられたもののように言われることがあります。右翼の人々が「あの侮辱的な清掃の懲罰にいつまで耐えなければならないのか。もう解き放たれてもいい時期ではないか」と言うのもそのためですね。
(『映画 日本国憲法 読本』p93)
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上記に対し、ジョン・ダワー氏はこう述べている。

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保守的な評論家も、右翼的な評論家も、間違っているとは思いません。あの当時、日本に科せられた政策の中には、背景に懲罰的な意識が働いていたものがあります。

しかし、それらの懲罰も高邁(こうまい)な理想主義と無縁ではありませんでした。懲罰とは、すなわち日本から軍隊をもつ権利を剥奪することですが、マッカーサーも、そして当時の多くの人々も、それを懲罰とは考えませんでした。マッカーサーにとってそれは、日本が再度、信頼されるに値する国であることを世界に証明するための手段だったのです。

マッカーサーはまた、この第9条を、日本がアジアの中で違った性質のリーダーになるための手段とも考えていました。彼の見解には非常に興味深いものがあります。アメリカ側が日本の再軍備を望むようになったのは、冷戦が国際政治を支配し始め、朝鮮戦争が始まる前のことです。しかしマッカーサーは頑として首をタテに降りませんでした。

彼は「日本はアジアのスイスになれる」という、たいへん有名な言葉を残しています。日本は利害の衝突や侵略行為に巻き込まれることのない反軍事主義のシンボルになれる、アジアにおいてはスイス以上の意味を持つ非武装国家のモデルになれると考えたのです。

こうした考え方は懲罰とは違います。日本が世界の信頼を取り戻すために必要な思想でした。第2次世界大戦末期の1945年頃、日本は世界中から嫌われ、特にすべてのアジア人から憎まれていました。「日本は何を象徴している」と聞かれれば、誰だって戦争と侵略を思い浮かべたでしょう。

「この状況が変えられる」とマッカーサーが考えました。「あれほど軍事的だった国でも方向転換できる、世界の諸問題を平和解決するモデルを示せる。そういう意味で、日本は平和の象徴になれる」と。

この憲法は天皇を象徴として戴くだけではない。侵略的な力を所持したり、紛争解決を武力に頼らなくても大きな影響力をもつのは可能なのだ。この憲法はそれを世界に示すための象徴をも戴いていると考えたのです。懲罰ではありません。高邁な理想主義の産物です。
(『映画 日本国憲法 読本』p93-95)
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いかがであろう? 「懲罰」と聞くと面白くない。不名誉かつ不快に思う。が、懲罰であろうがなかろうが、筆者はどちらでも良いと思っている。大したことではない。それより、9条が日本の180転換に大きく影響したということの方が重要だ。反感から好感へ。これは9条に負うところが大きい。「高邁な理想主義の産物」。いい響きではないか。

※引用参考データ:『映画 日本国憲法 読本』(2005)p93-95
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2018年02月18日

155.ニクソンいわく「憲法9条は間違いだった」

改憲を望んだのはアメリカ側。こう語るのは歴史家のジョン・ダワー氏である。「理由は朝鮮戦争の勃発にあり」との説を、筆者は様々に耳にしてきた。ダワー氏もその1人であるが、シンプルに言えば、日本にもアメリカの戦争を手伝わせたい、といったところであろうか。以下、ダワー氏へのインタビューより。

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日本国憲法が施行されたのは1947年です。翌48年までに、中国の共産党政権が樹立されることが確実となりました。冷戦は目に見えて激化していきました。そして1949年、いよいよ中華人民共和国が誕生し、1950年には朝鮮戦争が勃発したのです。

その頃になると、アメリカ側は「日本非武装化の方針は好ましくない。再度、武装してアメリカと共に戦ってほしい」と考えるようになりました。朝鮮戦争に参加し、アメリカと共に戦ってほしかったのです。ヒロシマ・ナガサキ、終戦からわずか5年後のことですよ。アメリカが日本に対し、再軍備して共産主義者と戦ってほしいと望むようになったのは。

アメリカ側は日本国憲法を変えることを望み、かなり早い段階から日本に圧力をかけるようになりました。当時、副大統領だったリチャード・ニクソンは「第9条は間違いだった。改憲すべきだ」と公言しました。しかし、それは実現しませんでした。なぜでしょう。

その理由もまた複雑だと思います。政治的かつイデオロギー的だと思うのです。1945年から47年の日本には理想主義が根強く存在していました。民主的で反軍事的な国になること。戦争ではなく平和の象徴となること、そして世界にとって真のモデルとなること。日本がそういう特異な存在になることを目指していました。そうした理想主義はその後、何十年間も国民の間に生き続けました。しかし、その度合いは年々弱まっていきました。逆に反対論者が増え、今日の状況を迎えています。
(『映画 日本国憲法 読本』pp.92-93)
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※引用データ:『映画 日本国憲法 読本』(2005)有限会社フォイル
posted by Lily at 20:17 | 政治と憲法
2018年02月11日

154.恩恵

例えば酸素。吸うたび意識している人は稀だろう。でも酸素なしでは生きてはゆけぬ。なくなってからでは遅いのだ。窒息しかけでもしたら気づくだろうか。

われらが憲法。恩恵にどれほど浴してきたことか。一生を支える憲法を今一度ふりかえる。

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新しい命が誕生。出生届を出すと、親の社会的立場や財産で差別されることなく健康診断や予防接種の案内が送られてくる。人は生まれながらにして基本的人権を持ち(憲法一一条)、個人として尊重され、幸福を追求する権利が認められている(一三条)のだ。

六歳になると、みんなが小学一年生に。子どもには教育を受ける権利、保護者には受けさせる義務があり、国も無償で義務教育を提供する(二六条)。

高校や大学に進み、好きな科目や専攻を選べるのは学問の自由(二三条)が保障されているから。これがないと、国や教師が決めた分野を学ぶことになりかねない。教師に違う意見をぶつけられるのも、思想及び良心の自由(一九条)があるためだ。サークル活動で自由な創作活動や発表ができるのは、表現の自由(二一条)があるおかげだ。

社会人になり、才能を生かした仕事に就いたり、住みたい街に引っ越したりできるのは居住・移転及び職業選択の自由(二二条)があるから。成年者で意中の人が見つかれば、親の同意なしでも二人の合意だけで結婚できる(二四条)。

妊娠、出産をした場合、産休・育休を取得できるのは勤労条件の基準(二七条)について定めがあるから。この条文は働き続ける限り、過酷な労働からの防波堤の役割を果たす。

人生に思わぬ壁が立ちはだかった時、憲法が救いの手を差し伸べることも。

実例がある。暴力を振るわれた夫と離婚し、新たな相手と出会ったものの、女性のみ再婚を六カ月間禁じた民法の規定のために苦しんだとして岡山県の女性が訴訟を起こした。最高裁は二〇一五年十二月、百日を超える部分の禁止期間は憲法一四条(法の下の平等)、二四条(両性の平等)違反との判決を下した。政府は再婚禁止期間を百日間とする民法改正案を今国会に提出した。

一三年九月には、結婚していない男女間の子(婚外子)の遺産相続分を法律上の夫婦の子(嫡出子)の半分とする民法の規定は憲法一四条違反とした和歌山県の婚外子女性の訴えを最高裁が認めた。同年、改正民法が成立。これらを含め最高裁は戦後十件の法律の規定を違憲としている。

憲法は災害や病気、加齢で働けなくなり困窮した場合でも、文化的な最低限度の生活を営めるよう、生存権と国の社会的使命(二五条)を明記している。生活保護の受給も施しではなく、権利なのだ。
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なるほどね。憲法というものは、かくもありがたきものなのか、と思えてくる。が、憲法の恩恵にずっと浴していられるか、というと、そうではない。われわれ国民の「不断の努力」が要るのである。その条文が第12条のこの箇所だ。

第十二条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。

見ての通り「〜ねばならない」と書かれている。要するに「不断の努力」は義務である。「われらとわれらの子孫」に対する義務なのだ。

※引用参考データ:2016/5/4 東京新聞【いま読む日本国憲法】
(特別編)条文 一生寄り添う 自由、人権…救いの手にも


 
posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2018年02月04日

153.グローバルに考える

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今年は、日本国憲法にとっての「正念場」の年となるだろう。安倍政権がいよいよ「改憲」を仕掛けてくるであろうことは、ほぼ確実視されるから。いまのところ、連立与党の公明党は慎重な姿勢だとされ、また、各種世論調査でも「安倍改憲」には反対のほうが多いと伝えられている。だが、公明党は政権にとどまることだけが目的の政党だから、最後には押し切られることは目に見えているし、「世論」のほうも、政権やメディアによる世論操作によってコロッと変わる危険性があるから、全面的にあてにすることはできない。政権側の思惑にのせられて「改憲ムード」を高めることになってしまうのか、それともそれを打ち砕くことができるのか、この1年が大きな分かれ目となるだろう。
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と言うお人がいる。法学館憲法研究所顧問・浦部法穂という方である。「浦部法穂の『憲法雑記帳』」というものを書いておられ、その第20回の「正念場」から引用した。

筆者もおおかたこの通りだと思う。公明党は与党でいることがお好きなようだ。これは東京都議会選挙の時にも感じたことで、あの時は自民党と手を切って、都民ファーストと手をつなぎ、依然与党でいた。それに世論というのは物事の真髄を見るのが苦手である。日本に限ったことではない。つい表面的なことに目を奪われがちだ。だから改憲派の望む通りに「コロッ」となる可能性はじゅうぶんにある。

結局何が求められるかというと、国民の物事を正確に見抜く力だろう。洞察力といってもいい。だからそれなりの教養が必要だ。知ることは力なり。視野を広くもち、様々な考え方に出会うことが必要だ。こと憲法9条に関しては、日本人の見方に限らず、である。そんなわけで、筆者は外国の方の視点を持ち込むことを結局的にしようとする。こちらをご覧あれ。

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私はこの憲法第9条は非常に高尚な憲法だと思います。まるで、神が私たち人類に贈ってくれた宝物のようです。しかし、年輩者がだんだんとこの世を去り、歴史的事実・歴史の傷痕について何も知らない多くの若い人々が増えました。今日まで日本は平和憲法は何十年も堅持してきたにもかかわらず、若い世代が過去の民族主義の道を歩もうとして、憲法9条を変えようとしているのです。そのようなやり方は愚かだし、非常に危険な行為です。私は第9条を守ることは日本人の責任だけではなく、私たち、現代に生きる人類の責任でもあると思います。私たち人類の急務だと思います。
班忠義(『映画 日本国憲法 読本』p37)
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ご覧のごとく、「現代に生きる人類の責任」として憲法9条を守るという。この班忠義(バン・チュンイ)というお人、中国の作家で映画監督の方である。してみると、憲法問題を考える際にはグローバルな視点が必要な気が、ますますしてくる。日本と「今の」アメリカの関係にのみ目を向けるべきではない。

このブログではこれまでにも度々アメリカの方やドイツの方の憲法観を取り上げてきた。引き続きそうしていこうと思う。

※引用参考データ:『映画 日本国憲法 読本』(2005)有限会社フォイル、
2018年1月22日 法学館憲法研究所 浦部法穂の「憲法雑記帳」第20回 「正念場」





posted by Lily at 16:56 | 政治と憲法
2018年01月28日

152.押しつけですとも。民衆から政府への、ね。

安倍首相の憲法観が常識的なそれとは全く違うということを、筆者も長らく気にかけてきた。憲法の定義そのものが違うのだ。一国の首相ともなれば最も憲法尊重擁護義務を負うべき人物である。憲法を変える変えない以前の問題だ。

小沢一郎さん。数日前のツイートでこういうことを言っている(こちら↓)。
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安倍総理はまだ「国のかたち、理想の姿を語るのは憲法だ」などということを言っている。周りに法律の専門家はいないのだろうか。憲法は国のかたちや伝統、理想をお花畑的に語るものではない。今のように暴走する権力から国民やその権利を守るためにこそある。もういい加減に憲法を理解してもらいたい。
2018/01/25 16:42
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誰か首相官邸に行ってレクチャーして来てくれないだろかと思う。が、レクチャーして来なくていい。ご本人が本でも読んで、憲法の本質を勉強してくれたらそれでいい。専門家でもなんでもない筆者だって知っている。現行憲法が何のためにあるかといえば「政府に二度と戦争させないため」だ。「国民の基本的人権を徹底的に守るため」だ。だから、国民から政府に「押しつける」。この意味で「押しつけ」であっていいのである。日本人ではない、アメリカの人だってこう言っている(↓)。

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押しつけ憲法だからいけないとは言えません。いい憲法はすべて、政府に対して押しつけられる形で制定されたんですよ。

立憲政府へのステップはすべて、政府に対する下からの突き上げによって成り立ってきました。フランス革命が初めてのフランス共和国憲法を成立させ、アメリカ革命が米国憲法を成立させました。すべての優れた憲法は何らかの形で、通常は民衆が政府に、押しつけてきたんです。

日本国憲法を政府に押しつけたのは、数か月の間だけ続いた、占領軍と日本国人による一種の短期同盟でした。同一の目的をもつ彼らが、政府の権力を制限する憲法を日本政府にのませたんです。だから、その頃から現在に至るまで、政府の人々の立場からすると、押しつけられた、彼らの権限を制限している、と感じるんでしょう。実際、制限しているんですからね。でも、日本や日本国民に押しつけられたのではありません。また、これだけ長続きしているのは、日本の人々が政府に押しつけ続けてきたからです。
(政治学者 C.ダグラス・ラミス 『映画 日本国憲法 読本』p21)
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(↑)をみて改めて思った。為政者が「押しつけられた」と感じているのなら、それはその憲法が優れた憲法だということだ。首相が「変えたい」と必死なら、なおさらそうだということだろう。


※引用参考データ:『映画 日本国憲法 読本』(2005)有限会社フォイル、
小沢一郎事務所のツイッター

posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2018年01月21日

151.憲法9条の国連決議を

在日のドイツ人学者を中心とする市民運動がある。国連に働きかけ、憲法9条を支持する決議の採択を目指している。もしもこれが実現すれば、核兵器廃絶を超え、戦争廃絶の大きな一歩となる可能性はあるだろう。が、はたして上手くいくだろうか。実現を目指すならば、まずは1人でも多くの人がこの活動を知らねばならない。そこで以下である。1/6の東京新聞より。

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国連総会で憲法九条の支持決議の採択を実現させるという壮大な目標を掲げ、埼玉県日高市に住むドイツ人平和歴史学者や日本の政治学者らが市民運動を始めた。最初の活動として、国連代表部や世界約二十カ国の非武装国の在日大使館に、協力を求める趣意書を送付する。「戦争の放棄と戦力不保持をうたった九条は、世界から戦争をなくす最強の『武器』だ。運動にぜひ参加してほしい」と市民らにも賛同を呼びかけている。 

ドイツ人学者はクラウス・シルヒトマンさん(73)。一九九二年に来日し、九条を評価する立場から幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)元首相を研究。幣原が四六年一月二十四日に連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー最高司令官と会談した際、九条を発案したとの日本提案説に立つ。小学館の学習漫画「少年少女日本の歴史」は、九条発案者を幣原と紹介していたが、ある時からマッカーサーに変えた。シルヒトマンさんはそのことに気づき本紙は二〇一六年十一月六日朝刊で報じた。

記事を読んだ日高市の政治学者大森美紀彦さん(65)がシルヒトマンさんと会い、意気投合。知人の大学非常勤講師阿部一智さん(65)、元東京都職員上原稔男さん(72)らも参加して、一七年秋に九条の意義を学ぶシンポジウムを開催し、市民運動を立ち上げることを決意した。「SA9(憲法九条を支持せよ)キャンペーン」と名付け、大森さんが代表幹事、シルヒトマンさんが顧問に就任した。

設立趣意書では、トランプ米大統領らを念頭に「世界は『自国第一主義』の暗雲に覆われている」と懸念を表明。九条を、大戦の反省から誕生した国連の平和理念の「正当な後継者」と位置付け、日本人が世界に九条を発信する責務とともに、賛同国を増やして国連決議を採択する必要性を説いている。

当面の送付先は、憲法で常備軍の保持を禁じるコスタリカをはじめ、アイスランドやモナコなど非武装国で、反応を踏まえ活動範囲を広げる考え。シルヒトマンさんは「九条と同じ平和条項は、スイスやスウェーデンといった欧州各国などにも見られる。国連が九条を支持すれば、加盟国が武装解除する大きな起爆剤となる」と訴える。問い合わせは大森さん方=電話042(978)9400=へ。
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電話番号まで明記されている。本気と覚悟のほどが窺い知れよう。記事には「趣意書のポイント」としてこう書かれている。「日本は自衛隊を保有しているが、9条のおかげで他国にない抑制的な運用が可能になっている。結果として諸外国と友好関係を築け、自由と安全のバランスがほどよく取れた国として存在感を示している」「平和的手段により平和の達成を目指す国々に9条を発信することは、日本人の務めである」。

そう。「日本人の務め」。これなのだ。「9条さえ唱えていれば平和が自動的に手に入る思っている口先だけのおめでたい平和論者」の類のレッテルを、そうやすやすと貼らせようとは思わない筆者が、常に常に考えていることである。
 
※引用参考データ:2018/1/6東京新聞
posted by Lily at 18:13 | 政治と憲法
2018年01月14日

150.「1927年の人形交換」

人間が将来に備える唯一の方法は「歴史」に学ぶことである。過去に今と同じような時代があれば、その時代に学ぶ。学ぼうと努力する。これは未来に対する当然の責務だろう。以下は「青い目をしたお人形さん」の話である。2017年11月17日のジャパンタイムズより。

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1927年の人形交換(The 1927 doll exchang:By Kip A. Cates)

私たちは今、国家主義と軍国主義が高まっている時代に生きている。世界は偏見と差別にあふれている。平和を広げるために私たちには何ができるだろうか?

1つの方法は、過去を振り返り、国際理解のために努力した人々から学ぶことだ。良い例が1927年に日本とアメリカとの間で行なわれた人形交換だ。

1920年代は、日本とアメリカとの間で緊張が高まった10年間だった。日本人とアメリカ人はお互いを恐怖と不信の目で見ていた。

これに対抗するために2人の人物が行動を起こすことにした:宣教師のシドニー・ギューリックと、日本の実業家、渋沢栄一だ。彼らは一緒に、日本とアメリカの子どもたちの間で親善を深めるため、国際的な人形交換のアイディアを思い付いた。

そのプロジェクトは、ギューリックがアメリカの学校に対し、日本へ親善のための人形を送ってもらえるように呼び掛けをして始まった。アメリカ中の子どもたちが彼の求めに熱意を持って応じた。1927年までに、ギューリックは12,000体もの人形を集めた!

これらの人形はサンフランシスコから日本へ船で送られた。どの人形にもパスポート、贈り物、友情の手紙が添えられていた。

「青い目をした」アメリカの人形が到着すると、マスコミで大きな話題になった。人形を歓迎するために国家的な式典が開かれた。それから、この人形たちは、あらゆる市、町、村に、アメリカの子どもたちからの友情の贈り物として配布された。

お返しに、渋沢は日本の人形をアメリカに送る全国的なキャンペーンを立ち上げた。日本中の子どもたちがお金を寄付した。50体以上の「人形使節」―各県からの1体ずつを含む―が送られた:ミス長崎はニューヨークへ、ミス富山はケンタッキーへ、ミス高知はペンシルベニアへ、といった具合に。

この善意の波は10年以上続いた。残念ながら、国家主義と軍国主義の力の方が強まっていった。

1941年に戦争が始まると、アメリカの友情の人形は突然「敵の」人形になった。教師や生徒は、その人形を蹴り、刺し、燃やすように指示された。政府の官僚たちは人形を破壊するように命じた。

第二次世界大戦が1945年に終わり、「青い目をした」人形は歴史の中で失われたように思えた。驚くべきことに、1970年代に、いくつかの人形が発見された。戦時中、何人かの勇敢な日本人の教師と生徒は、命令に背き人形を隠していたのだ。今までに、300の人形が日本中で発見されている。

1927年の人形交換は、90年前のことだ。当時の憎しみと偏見に立ち向かおうとする2人の個人―1人はアメリカ人、1人は日本人―による勇気ある試みだった。生き残った人形は、平和と国際理解の象徴として大切にされている。どの人形にもユニークなストーリーがある。あなたの県にはいくつあるだろうか?
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歴史上の人物たちが語りかける言葉に素直に耳を傾けるべきであろう。


※引用参考データ:2017/11/17ジャパンタイムズ
posted by Lily at 16:48 | 政治と憲法
2018年01月07日

149.歴史の蹉跌を繰り返しはならない(なぜ「満州事変」なのか)

明仁天皇は、平成元年(1989年)1月9日の即位後の朝見の儀(ちょうけんのぎ)で述べられた。

「ここに皇位を継承するに当たり、みなさんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓います」

今の日本国憲法に対する強い思いが感じられよう。その明仁天皇、3年前の元旦、すなわち平成27年(2015年)1月1日に、以下のように述べておられる。

「本年は終戦から70年という節目の年に当たります」「この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、いま、極めて大切なことだと思っています」

なぜ「満州事変」なのか。これを聞いた当時の筆者は思った。なにゆえに「満州事変に始まるこの戦争の歴史」なのか。陛下があえて「満州事変」に言及されたご意図は何なのか。あえて「満州事変」に言及されたからには、なにかしら深い意味があるに違いない。そう、筆者は考えた。

(この後、このブログで満州事変以降の戦争史について取り上げることにし、実際、書いた。気が向いたらご参照されたし。ただし、お断りしておくが、あくまでも1つの見方である。よって鵜呑みにしない程度に読まれるのがよろしかろうと思うところである)

お言葉から3年経った新年。改めて「満州事変」をみておくとしよう。ここでは矢部宏治さんを拝借する。矢部氏によれば「満州事変」を一言で言うなら:

海外に住住する軍隊(関東軍)が、本国の指令を聞かずに暴走し、勝手な謀略(自分たちで南満洲鉄道の線路を爆破しながら、それを中国人による犯行としました)をめぐらして、海外の広大な領土(「満州」/現在の中国・東北地方)を占領したという出来事。この無法な軍事行動を境に、日本は満州国の建設、国際連盟の脱退、日中戦争、三国同盟、真珠湾攻撃と、破滅への坂道を転げ落ちていくことになった。
(『戦争をしない国』p85)

ふむふむと改めて思うのだ。戦後70年という節目の年の年明けに、明仁天皇がなぜわざわざ「満州事変」に言及されたのか。ひとつには、当時の憲法(これは大日本帝国憲法とも明治憲法とも呼ばれる)がこうした軍の暴走を許してしまったことに対する、国民への注意喚起であったと思われる。

われわれは歴史に学ぶべきだ。過去に生きた人々の成功にも失敗にも学ぶべきだ。先人たちの功績にも汚点にも学ぶべきだ。良いものはならえばよい。悪いものは反面教師とすればよい。

悲しいかな、何百年たっても人間は同じような失敗を繰り返す。しかしそろそろ抜け出してもいい頃だ。歴史の愚を繰り返したその先に待っているのは何なのか、真剣に考えていい頃だ。私たちは時に立ち止まって歴史に学ぶべきである。歴史の蹉跌を繰り返してはならない。


※引用参考データ:矢部宏治『戦争をしない国 明仁天皇のメッセージ』(2015)小学館
posted by Lily at 11:52 | 政治と憲法