2019年03月03日

209.日本防衛以外の目的で

韓国という国も、日本と同じようにアメリカと同盟関係にある。では、在韓米軍と、在日米軍は同じか? というと、そこには大きな違いがある。その違いとは;

「在韓米軍はもっぱら韓国防衛を使命としているが、在日米軍は日本防衛以外の目的で日本の基地を使う」

つまり「日米安保条約の目的は、米軍が日本防衛以外の目的で、日本の基地を使うところにある」のであり、その意味で日本は「基地国家」だという。以下、五味洋治著『朝鮮戦争は、なぜ終わないのか』(2017)pp.226-227から。


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日米同盟は、基本的には、日本への攻撃を未然に防ぐこと、すなわち抑止を大きな目標としていました。東大教授の久保文明さんはこう表現しています。

「日米同盟においては、日本は、旧条約(1951年)の下でも新条約(1960年)の下でも、日本の施政権下でない限り、アメリカが攻撃された時に、アメリカを支援するために戦うことを条約上義務づけられていない。これは、既に成立していた日本国憲法9条の規定とも関係する。アメリカはこれを受け入れ、きわめて異例な同盟が成立した」(『アメリカにとって同盟とは何か』日本国際問題研究所監修、中央公論新社)。

憲法9条は、2015年の安全保障関連法成立までは、集団的自衛権を行使できないと解釈されており、日米同盟の性格を限定していました。

そのかわりにアメリカは、日本国内の基地を自由に使用する権利を獲得し、その基地を日本防衛だけでなく、「極東の平和と安全」(第一条)のために使用できるとされていました。

最初の旧安保条約は、朝鮮戦争の最中に締結されました。このため、

「朝鮮戦争を戦う米軍がそのまま日本の基地を使用できる状態にしたいと望んだことがその成立の基本的原因」であり、

「アメリカの最も重要な利益は、日本の基地を日本防衛以外の目的で使用する権利を獲得できること」(前掲書)だったのです。

逆に日本は、

「国防としての軍隊を持たず、同盟国の安全保障上の要の位置で基地の役割に徹することで集団安全保障の義務をはたし、これによって安全保障の問題を解消する国家」

つまり「基地国家」として生き残りを図ったともいえるでしょう(『基地国家の誕生』南基正著、ソウル大学出版文化院編)。
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上記によれば、日本は「アメリカの安全保障上の要の位置で基地の役割に徹している」わけである。基地としての役割はそれなりの危険を伴う。基地以上の役割となると、なおさらであろうと思う。
posted by Lily at 10:12 | 政治と憲法
2019年02月24日

208.安保法制の制定経緯

集団的自衛権の行使容認を含む「安保法制」が制定されたのはは2015年のことだった。その制定経緯をふりかえる。以下、木村草太『自衛隊と憲法』(2018)pp.105-108から。

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2012年末の総選挙で自民党が大勝し、第二次安倍晋三政権が発足します。安倍首相は、2013年2月に、私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の活動を再開し、安全保障関連法の検討を始めさせました。2014年5月15日、安保法制懇は、報告書を提出します。7月1日、この内容を一部取り込む形で、政府は、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」と題された閣議決定(2014 ・ 7 ・ 1 閣議決定)を行いました。

従来、政府は、日本が武力を行使できるのは、日本自身が武力攻撃を受けている場合(武力攻撃事態)のみだとしてきました。しかし、2014 ・ 7 ・ 1閣議決定は、「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」場合(村立危機事態)にも武力行使が認められるとし、さらに、その武力行使は、「国際法上は、集団的自衛権の根拠となる場合がある」としました。またこの閣議決定は後方支援の範囲を拡大するなど、安全保障法制についてのいくつかの重大な方針転換を含んでいました。

2015年2月からこの閣議決定に基づく自民・公明両党の与党協議が行われ、同年5月に「平和安全法制」という名で法案が国会に提出されました。この法案には、集団的自衛権の行使を容認する規定や、後方支援・ PKOで危険な任務を付加する内容が含まれたため、野党や反対派市民は強く批判しました。法案審議では、閣僚が明確な答弁ができないせいで速記が止まったり、招致された参考人・公聴人から法案は違憲だとの指摘が相次いだりしました。

1専門家による違憲の指摘の中で、特に重要だったのが、6月4日の憲法審査会での長谷部恭男参考人(早稲田大学教授)の発言です。長谷部教授は、「集団的自衛権の行使が許されるというその点について、私は憲法違反であ」り、「従来の政府見解の基礎的な論理の枠内では説明がつきませんし、法的な安定性を大きく揺るがすものであるというふうに考えております」と指摘しました。長谷部教授は、当時(今でも)、最も権威あるとされる憲法学者です。しかも、この日、長谷部教授を参考人として推薦したのは自民党でした。与党推薦の参考人ですら違憲と指摘したことで、大騒ぎになったのです。

この事件の前後から、テレビや新聞による憲法学者のアンケート調査が行われていました。その先陣を切ったのは、テレビ朝日系列「報道ステーション」が実施した、『憲法判例百選(第六版)』の解説担当研究者に回答を求めたアンケートです。6月15日放送の番組で、集計が発表されましたが、集団的自衛権の限定容認については、回答者の約96%が違憲ないし違憲の疑いありとし、合計はわずか2%という結果でした。もちろん、アンケートが全てではなく、違憲とする論拠も完全に一致したわけではありません。それでも、専門家の圧倒的多数が違憲と評価している事実は、社会に大きな衝撃を与えました。

これらの事件、報道、専門家の意見表明を受け、国民の多くはこの法案は違憲らしいと感じるようになったようです。同年の6月20日・ 21日の共同通信の世論調査では、安保法案を違憲とする回答が56.7%に上っています。さらに、7月以降、国会前などで、法案反対の大規模デモが行われるようになりました。

しかし、政府・与党は、方針を変えることはなく、7月16日、法案は衆議院を通過し、9月19日には参議院でも可決され、安保法制が成立しました。

posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2019年02月17日

207.戦争がもたらす兵士の影響

戦争で戦うということは、人を殺すということを伴う。憲法改定にあたり、こうした戦争の現実は理解されてしかるべきであろう。以下、伊藤真さんによる『9条のの挑戦』(2018)pp.40-41より。

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米国では、貧困層や仕事がない若者が軍隊に入らざるを得ない厳しい現実があると言います。これは、経済的徴兵制と表現されることがあります。海兵隊に入隊することで大学進学の奨学金が得られるということで入隊するものの(新兵の奨学金希望者85%)、実際には帰国後はそうした意欲も失われ、大学を卒業できるのは15%に過ぎないと言われています。

入隊した新兵を待っているのは、過酷な訓練ですが、アメリカ海兵隊の新兵訓練の目的は、「人を殺せるようにすること」にあります。もともと98%の人間は「同種殺しの抵抗感」から人を殺せませんが、人を殺すことに対する心理的なバリアを除く教育がなされ、何も考えずに人を殺せるようになり、殺人という任務をこなせる人間に作られていきます。こうして若者たちは、12週間の訓練の後、3ヶ月の実践的訓練を積んだだけでイラク、アフガンの戦場に送りこまれます。米軍では、第二次世界大戦で、見える敵への発砲率が15〜20%に過ぎなかったことに衝撃を受けた軍幹部が新兵訓練を見直し、心理学者、精神医学者を動員して躊躇なく人を殺せるようになるプログラムを開発し、現在では発砲率が90%以上に「改善」していると言います。

ですが、こうして人を殺せる殺人マシーンにしててあげることができても、戦地から戻った兵士を真人間に戻すプログラムは未だに開発されていないのです。そのため、帰還兵が戦地での経験に苦しんだ末に自ら命を絶ってしまう。戦死者以上に帰還兵への自殺者が多いのが現代の戦争の特徴です。帰還兵は麻薬、犯罪、貧困に苦しみ、PTSD、うつ病に苦しみ続けています。

posted by Lily at 18:10 | 政治と憲法
2019年02月10日

206.軍隊は国民の生命や財産を守らない、どころか...

「戦争遂行という至上目的もしくは至高思想が前面に出てくると、むしろ日本人を殺すということが論理的に正しくなるのである」「沖縄戦において県民が軍隊に虐殺されたというのも、よくいわれているようにあれが沖縄における特殊状況だったとどうにもおもえないのである」
[『歴史と視点ー私の雑記帖』(1980)]

上記は歴史小説家・司馬遼太郎さんの言である。司馬さんは戦時中、栃木県佐野の戦車第1連隊に所属していたそうだ。そこで大本営から来た少佐参謀と将校のこんなやりとりを聞く。

「われわれの連隊は、敵が上陸すると同時に南下して敵を水際で撃滅する任務をもっているが、しかし、敵上陸とともに、東京都の避難民が荷車に家財を積んで北上してくるであろうから、当然、街道の交通混雑が予想される。こういう場合、わが八十輛の中戦車は、戦場到着までに立ち往生してしまう。どうすればよいか」
「轢き殺してゆく」
[『歴史の中の日本』(1994)]

要するに、軍隊は国民を守らない。守らないどころか、国民を犠牲にしてでも国家を守ろうとするようだ。

以下、『9条の挑戦』(2018)p.20から。

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軍隊における優秀な指揮官とは、目の前の住民を捨てても、命令に従って行動できる者のことです。感情に流されて、部隊を危険にさらすことは戦争のプロのやることではありません。太平洋戦争中の沖縄戦では、足手まといになるとか食料不足の要因になるとかいう理由で、日本軍が住民を殺害したという説もあります。野戦病院にも民間人は入れてもらえませんでした。このことは戦後も現在も変わることはありません。1977年に米軍戦闘機が横浜の住宅地に墜落し、幼児ら市民9人が死傷した事故でも、自衛隊が救出したのは米軍乗務員だけでした。被害者の救出や被害状況の調査よりも、周辺の人たちを事故現場間で締め出すことが優先されたのです。
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なんどでも確認しておこう。

軍隊は国民の生命や財産を守らない。軍隊が守るのは国家である。
posted by Lily at 17:30 | 政治と憲法
2019年02月03日

205.「地震大国」が「原発大国」である理由

なぜ日本は地震大国であるにもかかわらず世界で3番目の原発大国なのか。

なぜ日本は福島第一原発事故を経験したにもかかわらず原発を止められないのか。

日本はアメリカの同意なしに原発を止めることができないことになっている。その理由が上記の疑問の答えとなろう。以下、木村朗・高橋博子『核の戦後史』(2016)pp.268-269より。

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軍需産業と軍部との一体化した結びつきを「軍産複合体(または軍産官学複合隊)」と呼びます。この軍産複合体の萌芽は20世紀初頭にはできていましたが、アメリカにおける軍産複合体の構築に大きなきっかけを与えたのがマンハッタン計画でした。マンハッタン計画には約22億ドルが費やされ、ダウケミカル社、デュポン社、ユニオンカーバイド社、ウェスティングハウス社、ロッキード社、ダグラス社などの軍需産業、シカゴ大学、カリフォルニア大学などの大学が参加・協力しました。動員されたのは約12万人です。マンハッタン計画で生まれたアメリカの軍産複合体は、戦後、ソ連との激しい核軍拡競争を背景に、ますます肥大化していきました。

核兵器の開発にあたって軍部から注文を受けていた企業のいくつかは後に原発メーカーに変貌します(例えばウェスティングハウス社)。トルーマンの次に大統領となったアイゼンハワーが1953年12月に「原子力平和利用」の演説を行い、原子力エネルギーの民間利用を推進し、原発を積極的に輸出していく考えを明らかにしました。この政策には原発関連技術や核燃料を輸出することによって、その輸出した相手国をコントロールするとともに、肥大化したアメリカの軍需産業に儲ける仕掛け(特許を持つ原子炉技術と作りすぎた濃縮ウランを売ることによって利益を得る)を提供する狙いもあったと考えられます。

この仕掛けにからみとられている国の1つが日本です。日本は1988年にアメリカと結んだ日米原子力協定(第12条4項)によって、アメリカの同意なしには原発を止めることができません。地震大国であるにもかかわらず日本が54基もの原発を持つような世界で3番目の原発大国になったこと、また福島第一原発事故を経験したにもかかわらず、原発を止められない理由の1つがここにあります。

posted by Lily at 20:30 | 政治と憲法
2019年01月27日

204.武力衝突について歴史的事実から考える

例えば近隣国が軍事費を増やしているからといって、また近隣国が核実験に成功したからといって、日本はすぐさま軍隊で対抗しなければならないのだろうか。論理的に考えて可能性はゼロではないが、現実的に考えて蓋然性はどうであろう。確率として高いといえるのだろうか。

この問題を考える手初めに歴史をひもといておこう。以下、伊藤真氏による『9条の挑戦』(2018)p22-23より。

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まず、日本と近隣諸国との歴史的な事実を確認しておきましょう。

近代史において、中国や朝鮮が日本を侵略しようとした事実はありません。逆に、日本は豊臣秀吉の朝鮮出兵のあとはしばらく静かにしていましたが、明治政府になってからは、1874年の台湾出兵、1875年の江華島(こうかとう)事件、1894年の日清戦争、1895年の台湾植民地戦争、1900年の義和団鎮圧戦争、1904年の日露戦争、1910年の韓国併合、1914年の第一次世界大戦、1931年の満州事変、1932年の平頂山事件、1937年の南京攻略、1941年の太平洋戦争開始と、間断なく領土拡張のために隣国への軍事介入を繰り返してきました。

そのような介入には様々な理由があったし、そうせざるを得ない状況だったという評価もあり得ます。しかし、それらの戦争の口火を切ったのはむしろ日本であったという歴史に照らすと、中国や朝鮮半島の国が日本に攻め込んでくる蓋然性は高いとは言えません。もちろん、責められる可能性はないわけではない。しかし、「低くても可能性がある印象が軍備に金をかけるべきだ」というのは、適切な優先順づけとは言えません。限られた資源の分配により、国民の命と生活を守ることが政治の本質であるとすれば、近隣諸国から攻撃される蓋然性よりも、自然災害により命と生活を奪われる危険性の方が格段に高い日本においては、災害への備えをむしろ優先すると考えることは合理的です。
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さもあらん。なればこの国の政府は、自然災害に対する差し迫った危機を放っておいて、蓋然性の低いことにせっせとお金を使っているのだろうか。


posted by Lily at 12:07 | 政治と憲法
2019年01月20日

203.「原爆投下は人体実験だった」という話もある

いろんな説を知っておくのは悪いことではない。いろんな考え方を幅広く知った上で、どの説が最も筋が通っているかを自分自身で判断する。

表題についていうならば、もしこれが本当なら、原爆投下が「日本の降伏を早め、多くの人命を救済のためだった」という話は違ってくる。

以下、木村朗・高橋博子著『核の戦後史』(2016)103-105頁より。

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人体実験としての原爆投下の側面に早くから注目していたのは、広島大学名誉教授で社会学者・哲学者の柴田進午でした。

広島・長崎への原爆攻撃の目的は何だったのか。一つには戦後世界での米国の覇権確立であり、二つには「原爆の効果」を知るための無数の人間への「人体実験」だった。だからこそ、占領直後に米軍が行っことは、第一に、原爆の惨状についての報道を禁止し「人体実験」についての情報を独占することだった。第二に、史上前例のない恐ろしい火傷、放射能障害の治療方法を必死に工夫していた広島・長崎の医者たちに治療方法の発表と交流を禁止するとともに、死没被爆者のケロイドの皮膚や臓器や被爆者の血液やカルテを没収することだった。第三に、日本政府をして国際赤十字からの医療品の支援申し出を拒否させることだった。たしかに「実験動物」を治療するのでは「実験」にならない。そこで、米軍は全力を尽くして被爆者の治療を妨害したのである。第四に、被爆者を「治療」せず「実験動物」のように「観察」するABCCを広島・長崎に設置することだった。加害者が被害者を「調査」するというその目的自体が被爆者への人権蹂躙ではなかったか(「被爆者救護法ーーもうひとつの法理」『毎日新聞』1994年9月6日より)。

原爆は人が最も外出する朝の通勤・通学ラッシュの時間帯を選んで、都市の中心部に落とされました。人的被害が最大になるべく使われたわけです。そのうえ、戦後、アメリカは被爆者を治療するどころか、治療する日本人医師の活動を妨害までしました。そればかりでなく、アメリカは外部から広島市、長崎市入ることを禁止し、国際赤十字など海外からの支援も妨害し、一切の原爆報道を禁止しました。原爆の威力を最大限引き出そうとし、それが人体に与える影響を調べつくそうとしたわけです。当時の日本政府もそれに協力しました。

なぜそのような無茶苦茶なことが可能だったのか。トルーマンは、長谷川毅『暗闇』(文春文庫)によれば、長崎への原爆投下後、ラジオで「真珠湾で警告なしにわれわれを攻撃した者たちにたいして、アメリカの捕虜を餓死させ、殴打、処刑したものたちにたいして、また戦争における行動を規定する国際法を遵守しようとしてみせることさえすべて放棄した者たちにたいしてこの爆弾を使用した」と声明を発しました。

日本の降伏前は、このような激しい報復の感情をトルーマン大統領だけでなく、圧倒的多数のアメリカ国民も共有していました。そして、日本の奇襲攻撃であった真珠湾攻撃で始まった戦争であり(日本側の開戦責任)、軍事的敗北が明らかになって以降も一向に降伏(政治的決定)に応じようとしない日本軍の死に物狂いの戦い方、ポツダム宣言という最後の降伏の機会さえ「拒否」した日本政府の対応などは、原爆を投下する千載一遇のチャンスと口実をアメリカに与えたのだろうと私は考えています。
posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2019年01月13日

202.日本の約束

日本の軍事産業を含め非軍事化を 定めたポツダム宣言を受諾したこと。そして、戦争の永久放棄と戦力の不保持を宣言した憲法を持ったこと。これらは日本から世界に向けた「約束」である。約束を反故にするような国を世界はどう見るか。改憲論議にはこうした視点も必要であろう。以下、『検証・法治国家崩壊』(2014)pp.183-184より。

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1945年(昭和20年)8月14日、日本はポツダム宣言を受諾して連合国に無条件降伏しました。ポツダム宣言は同年7月26日に、アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、中国の蒋介石総統によって署名されました。

宣言は「日本国軍隊は、完全に武装を解除せられたのち、各自の家庭に復帰し」とのべて日本の武装解除を定め、さらに経済を支持するための産業を維持することは許されるとしながらも、「ただし、日本国が戦争のための再軍備をできるような産業は、この限りではない」と非軍事化を命令しました。

また第二次世界大戦で日本、ドイツ、イタリアと戦った連合国が1945年6月26日に署名した国際連合憲章は、20世紀に起きた2つの世界大戦のような戦争の惨害から将来の世代を救うために「加盟国の共同の利益となる場合以外は武力を用いない」(前文)とし、「すべての加盟国は…武力による威嚇または武力の行使を…つつしまなければならない」(2条4項)と定めました。

ポツダム宣言を受諾したことによって、日本は侵略戦争を始めたことを根本的に反省し、国連憲章にも示される平和のルールを守ることを世界の人々に約束したのです。

そして、日本は1946年11月3日に公布し翌日47年5月3日に施行した日本国憲法に、戦争と武力による威嚇や武力の行使の永久法規(第9条第1項)、陸海空の戦力の不保持(同第2項)を明記しました。これは国際社会に対する約束であるとともに、アジア諸国民に多大な損害を与え、みずからも核兵器の被害を受けるなど、戦争の残虐さ、悲惨さを体験した国民として、もう二度と絶対に戦争しないという決意の表明でした。
posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2019年01月06日

201.「軍事の常識」

軍隊は国民を守るものではない。これは肝に銘じておくべきだ。

だから「外国が攻めてきた時に、私たちの生命や財産を守ってもらうために軍隊が必要だ」という議論は、前提において「軍事の常識」から外れている。

軍隊は本来、自国民を守るものではない。軍隊が守るのは国家である。このことは歴史が証明しているし、現にいまだにそうである。以下、『9条の挑戦』(2018)pp.20-21より。

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太平洋戦争中の沖縄戦では、足手まといになる、とか、食料不足の要因になる、とかいう理由で、日本軍が住民を殺害したという説もある。民間人は野戦病院に入れてもらえなかった。

このことは戦後も現在も変わらない。

1977年に米軍戦闘機が横浜の住宅地に墜落し、幼児ら市民9人が死傷した事故でも、自衛隊が救出したのは米軍乗務員だけ。被害者の救出や被害状況の調査よりも、周辺の人たちを事故現場から締め出すことが優先された。

自衛官出身の軍事専門家(潮巨lさん)は明言する。「軍隊は何を守るのかと言い換えるなら、その答えは国民の生命・財産ではありません。それらを守るのは警察や消防の仕事であって、軍隊の「本来人も本来任務では無いのです」

また、元統幕議長(栗栖弘雄臣さん)も同様に言う。「国民の生命、身体、財産を守るのは警察の使命(警察法)であって、武装集団たる自衛隊の任務ではない。自衛隊は『国の独立と平和を守る』(自衛隊法)のである」
posted by Lily at 10:14 | 政治と憲法
2018年12月30日

200.日米安保に利はあるか

思考停止に陥ってはいないだろうか。日米安保は日本になくてはならないものだろうか。日米安全保はわれら国民の安全に寄与しているだろうか。

この問題については再考の必要性を感じざるを得ない。以下、『9条の挑戦』(2018)より「安保条約は有効か」(p122-124)。引用を含み執筆者は神原元さん。

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(1) 自衛隊は米軍とますます一体化を強めており、実質的には米軍の指揮下に入っている状況を深めています。仮にアメリカが台湾あたりで中国と交戦状態に入れば、日本列島はアメリカ防衛のための前線基地になる一方、中国から見れば米軍基地のある日本列島は最初の攻撃目標なのであって、日本は焦土と化して、米軍はアメリカ本土を守ることになるように思われます。かつて沖縄を本土防衛の「捨て石」にしたように。安保体制は、日本を守るためというより、アメリカの世界侵略の一部でしかないということです。

(2) 近年、日本政府はますますアメリカへの従属を深めており、アメリカからの無理難題にはすべて応じる傾向が強まっています。2017年に朝鮮半島の危機が強まると、日本はアメリカに多額の兵器を大量に購入させられました。ところが米中会談が始まり、北朝鮮の核放棄の可能性が見えてくると、今度は、アメリカ大統領の一声で非核化の費用を負担させられることが決まるのです。その間、日本国民には何の相談もされません。日本人はアメリカの属国以下の状態におかれ、日本人の支払った税金はアメリカ政府の意のままに使用され、何の抗議もできないのです。このような事態は、日本が国の防衛をすべてアメリカに委ね、いわば安心を人質に取られているからと言っても過言ではありません。

(3) 北朝鮮や中国が仮に日本本土に核攻撃をするとすれば、その動機は、自国の安全を確保するため、日本国内にある米軍基地を攻撃するためのほかには考えられません。米軍基地を日本国内に置くことによって、逆に敵国に日本本土攻撃の動機と口実を与え、核攻撃すら誘導しかねないというのは、今も昔も変わらないのです。

(4) 冷戦終結後、日本が自国の防衛と関係のない戦火にまき込まれる惧れはますます高まっているように思います。冷戦終結でソ連というライバルがいなくなったことで、アメリカは自由に軍隊を使う余地が増えました。そして、2001年のアフガニスタン戦争、2003年のイラク戦争には、アメリカの同盟国が有志連合としてこぞって参加したのです。とりわけイラク戦争がその後10年以上も続く内戦の契機となり、多くのイラク国民とアメリカの若い兵士たちの命を奪ったことは記憶に新しいところです。そして、戦争の口実とされたイラクの大量破壊兵器が結局発見されなかったことからも、その正当性は疑わしいところであり、その後、アメリカ軍はイラク国内の混乱に収拾をつけることなく撤退したのです。日本は、安保体制に組み込まれている限り、このような無謀な戦争に巻き込まれる危険があり、その危険は、冷戦時代より現在のほうがはるかに大きいのです。



posted by Lily at 11:52 | 政治と憲法