2019年02月17日

207.戦争がもたらす兵士の影響

戦争で戦うということは、人を殺すということを伴う。憲法改定にあたり、こうした戦争の現実は理解されてしかるべきであろう。以下、伊藤真さんによる『9条のの挑戦』(2018)pp.40-41より。

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米国では、貧困層や仕事がない若者が軍隊に入らざるを得ない厳しい現実があると言います。これは、経済的徴兵制と表現されることがあります。海兵隊に入隊することで大学進学の奨学金が得られるということで入隊するものの(新兵の奨学金希望者85%)、実際には帰国後はそうした意欲も失われ、大学を卒業できるのは15%に過ぎないと言われています。

入隊した新兵を待っているのは、過酷な訓練ですが、アメリカ海兵隊の新兵訓練の目的は、「人を殺せるようにすること」にあります。もともと98%の人間は「同種殺しの抵抗感」から人を殺せませんが、人を殺すことに対する心理的なバリアを除く教育がなされ、何も考えずに人を殺せるようになり、殺人という任務をこなせる人間に作られていきます。こうして若者たちは、12週間の訓練の後、3ヶ月の実践的訓練を積んだだけでイラク、アフガンの戦場に送りこまれます。米軍では、第二次世界大戦で、見える敵への発砲率が15〜20%に過ぎなかったことに衝撃を受けた軍幹部が新兵訓練を見直し、心理学者、精神医学者を動員して躊躇なく人を殺せるようになるプログラムを開発し、現在では発砲率が90%以上に「改善」していると言います。

ですが、こうして人を殺せる殺人マシーンにしててあげることができても、戦地から戻った兵士を真人間に戻すプログラムは未だに開発されていないのです。そのため、帰還兵が戦地での経験に苦しんだ末に自ら命を絶ってしまう。戦死者以上に帰還兵への自殺者が多いのが現代の戦争の特徴です。帰還兵は麻薬、犯罪、貧困に苦しみ、PTSD、うつ病に苦しみ続けています。

posted by Lily at 18:10 | 政治と憲法
2019年02月10日

206.軍隊は国民の生命や財産を守らない、どころか...

「戦争遂行という至上目的もしくは至高思想が前面に出てくると、むしろ日本人を殺すということが論理的に正しくなるのである」「沖縄戦において県民が軍隊に虐殺されたというのも、よくいわれているようにあれが沖縄における特殊状況だったとどうにもおもえないのである」
[『歴史と視点ー私の雑記帖』(1980)]

上記は歴史小説家・司馬遼太郎さんの言である。司馬さんは戦時中、栃木県佐野の戦車第1連隊に所属していたそうだ。そこで大本営から来た少佐参謀と将校のこんなやりとりを聞く。

「われわれの連隊は、敵が上陸すると同時に南下して敵を水際で撃滅する任務をもっているが、しかし、敵上陸とともに、東京都の避難民が荷車に家財を積んで北上してくるであろうから、当然、街道の交通混雑が予想される。こういう場合、わが八十輛の中戦車は、戦場到着までに立ち往生してしまう。どうすればよいか」
「轢き殺してゆく」
[『歴史の中の日本』(1994)]

要するに、軍隊は国民を守らない。守らないどころか、国民を犠牲にしてでも国家を守ろうとするようだ。

以下、『9条の挑戦』(2018)p.20から。

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軍隊における優秀な指揮官とは、目の前の住民を捨てても、命令に従って行動できる者のことです。感情に流されて、部隊を危険にさらすことは戦争のプロのやることではありません。太平洋戦争中の沖縄戦では、足手まといになるとか食料不足の要因になるとかいう理由で、日本軍が住民を殺害したという説もあります。野戦病院にも民間人は入れてもらえませんでした。このことは戦後も現在も変わることはありません。1977年に米軍戦闘機が横浜の住宅地に墜落し、幼児ら市民9人が死傷した事故でも、自衛隊が救出したのは米軍乗務員だけでした。被害者の救出や被害状況の調査よりも、周辺の人たちを事故現場間で締め出すことが優先されたのです。
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なんどでも確認しておこう。

軍隊は国民の生命や財産を守らない。軍隊が守るのは国家である。
posted by Lily at 17:30 | 政治と憲法
2019年02月03日

205.「地震大国」が「原発大国」である理由

なぜ日本は地震大国であるにもかかわらず世界で3番目の原発大国なのか。

なぜ日本は福島第一原発事故を経験したにもかかわらず原発を止められないのか。

日本はアメリカの同意なしに原発を止めることができないことになっている。その理由が上記の疑問の答えとなろう。以下、木村朗・高橋博子『核の戦後史』(2016)pp.268-269より。

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軍需産業と軍部との一体化した結びつきを「軍産複合体(または軍産官学複合隊)」と呼びます。この軍産複合体の萌芽は20世紀初頭にはできていましたが、アメリカにおける軍産複合体の構築に大きなきっかけを与えたのがマンハッタン計画でした。マンハッタン計画には約22億ドルが費やされ、ダウケミカル社、デュポン社、ユニオンカーバイド社、ウェスティングハウス社、ロッキード社、ダグラス社などの軍需産業、シカゴ大学、カリフォルニア大学などの大学が参加・協力しました。動員されたのは約12万人です。マンハッタン計画で生まれたアメリカの軍産複合体は、戦後、ソ連との激しい核軍拡競争を背景に、ますます肥大化していきました。

核兵器の開発にあたって軍部から注文を受けていた企業のいくつかは後に原発メーカーに変貌します(例えばウェスティングハウス社)。トルーマンの次に大統領となったアイゼンハワーが1953年12月に「原子力平和利用」の演説を行い、原子力エネルギーの民間利用を推進し、原発を積極的に輸出していく考えを明らかにしました。この政策には原発関連技術や核燃料を輸出することによって、その輸出した相手国をコントロールするとともに、肥大化したアメリカの軍需産業に儲ける仕掛け(特許を持つ原子炉技術と作りすぎた濃縮ウランを売ることによって利益を得る)を提供する狙いもあったと考えられます。

この仕掛けにからみとられている国の1つが日本です。日本は1988年にアメリカと結んだ日米原子力協定(第12条4項)によって、アメリカの同意なしには原発を止めることができません。地震大国であるにもかかわらず日本が54基もの原発を持つような世界で3番目の原発大国になったこと、また福島第一原発事故を経験したにもかかわらず、原発を止められない理由の1つがここにあります。

posted by Lily at 20:30 | 政治と憲法
2019年01月27日

204.武力衝突について歴史的事実から考える

例えば近隣国が軍事費を増やしているからといって、また近隣国が核実験に成功したからといって、日本はすぐさま軍隊で対抗しなければならないのだろうか。論理的に考えて可能性はゼロではないが、現実的に考えて蓋然性はどうであろう。確率として高いといえるのだろうか。

この問題を考える手初めに歴史をひもといておこう。以下、伊藤真氏による『9条の挑戦』(2018)p22-23より。

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まず、日本と近隣諸国との歴史的な事実を確認しておきましょう。

近代史において、中国や朝鮮が日本を侵略しようとした事実はありません。逆に、日本は豊臣秀吉の朝鮮出兵のあとはしばらく静かにしていましたが、明治政府になってからは、1874年の台湾出兵、1875年の江華島(こうかとう)事件、1894年の日清戦争、1895年の台湾植民地戦争、1900年の義和団鎮圧戦争、1904年の日露戦争、1910年の韓国併合、1914年の第一次世界大戦、1931年の満州事変、1932年の平頂山事件、1937年の南京攻略、1941年の太平洋戦争開始と、間断なく領土拡張のために隣国への軍事介入を繰り返してきました。

そのような介入には様々な理由があったし、そうせざるを得ない状況だったという評価もあり得ます。しかし、それらの戦争の口火を切ったのはむしろ日本であったという歴史に照らすと、中国や朝鮮半島の国が日本に攻め込んでくる蓋然性は高いとは言えません。もちろん、責められる可能性はないわけではない。しかし、「低くても可能性がある印象が軍備に金をかけるべきだ」というのは、適切な優先順づけとは言えません。限られた資源の分配により、国民の命と生活を守ることが政治の本質であるとすれば、近隣諸国から攻撃される蓋然性よりも、自然災害により命と生活を奪われる危険性の方が格段に高い日本においては、災害への備えをむしろ優先すると考えることは合理的です。
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さもあらん。なればこの国の政府は、自然災害に対する差し迫った危機を放っておいて、蓋然性の低いことにせっせとお金を使っているのだろうか。


posted by Lily at 12:07 | 政治と憲法
2019年01月20日

203.「原爆投下は人体実験だった」という話もある

いろんな説を知っておくのは悪いことではない。いろんな考え方を幅広く知った上で、どの説が最も筋が通っているかを自分自身で判断する。

表題についていうならば、もしこれが本当なら、原爆投下が「日本の降伏を早め、多くの人命を救済のためだった」という話は違ってくる。

以下、木村朗・高橋博子著『核の戦後史』(2016)103-105頁より。

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人体実験としての原爆投下の側面に早くから注目していたのは、広島大学名誉教授で社会学者・哲学者の柴田進午でした。

広島・長崎への原爆攻撃の目的は何だったのか。一つには戦後世界での米国の覇権確立であり、二つには「原爆の効果」を知るための無数の人間への「人体実験」だった。だからこそ、占領直後に米軍が行っことは、第一に、原爆の惨状についての報道を禁止し「人体実験」についての情報を独占することだった。第二に、史上前例のない恐ろしい火傷、放射能障害の治療方法を必死に工夫していた広島・長崎の医者たちに治療方法の発表と交流を禁止するとともに、死没被爆者のケロイドの皮膚や臓器や被爆者の血液やカルテを没収することだった。第三に、日本政府をして国際赤十字からの医療品の支援申し出を拒否させることだった。たしかに「実験動物」を治療するのでは「実験」にならない。そこで、米軍は全力を尽くして被爆者の治療を妨害したのである。第四に、被爆者を「治療」せず「実験動物」のように「観察」するABCCを広島・長崎に設置することだった。加害者が被害者を「調査」するというその目的自体が被爆者への人権蹂躙ではなかったか(「被爆者救護法ーーもうひとつの法理」『毎日新聞』1994年9月6日より)。

原爆は人が最も外出する朝の通勤・通学ラッシュの時間帯を選んで、都市の中心部に落とされました。人的被害が最大になるべく使われたわけです。そのうえ、戦後、アメリカは被爆者を治療するどころか、治療する日本人医師の活動を妨害までしました。そればかりでなく、アメリカは外部から広島市、長崎市入ることを禁止し、国際赤十字など海外からの支援も妨害し、一切の原爆報道を禁止しました。原爆の威力を最大限引き出そうとし、それが人体に与える影響を調べつくそうとしたわけです。当時の日本政府もそれに協力しました。

なぜそのような無茶苦茶なことが可能だったのか。トルーマンは、長谷川毅『暗闇』(文春文庫)によれば、長崎への原爆投下後、ラジオで「真珠湾で警告なしにわれわれを攻撃した者たちにたいして、アメリカの捕虜を餓死させ、殴打、処刑したものたちにたいして、また戦争における行動を規定する国際法を遵守しようとしてみせることさえすべて放棄した者たちにたいしてこの爆弾を使用した」と声明を発しました。

日本の降伏前は、このような激しい報復の感情をトルーマン大統領だけでなく、圧倒的多数のアメリカ国民も共有していました。そして、日本の奇襲攻撃であった真珠湾攻撃で始まった戦争であり(日本側の開戦責任)、軍事的敗北が明らかになって以降も一向に降伏(政治的決定)に応じようとしない日本軍の死に物狂いの戦い方、ポツダム宣言という最後の降伏の機会さえ「拒否」した日本政府の対応などは、原爆を投下する千載一遇のチャンスと口実をアメリカに与えたのだろうと私は考えています。
posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2019年01月13日

202.日本の約束

日本の軍事産業を含め非軍事化を 定めたポツダム宣言を受諾したこと。そして、戦争の永久放棄と戦力の不保持を宣言した憲法を持ったこと。これらは日本から世界に向けた「約束」である。約束を反故にするような国を世界はどう見るか。改憲論議にはこうした視点も必要であろう。以下、『検証・法治国家崩壊』(2014)pp.183-184より。

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1945年(昭和20年)8月14日、日本はポツダム宣言を受諾して連合国に無条件降伏しました。ポツダム宣言は同年7月26日に、アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、中国の蒋介石総統によって署名されました。

宣言は「日本国軍隊は、完全に武装を解除せられたのち、各自の家庭に復帰し」とのべて日本の武装解除を定め、さらに経済を支持するための産業を維持することは許されるとしながらも、「ただし、日本国が戦争のための再軍備をできるような産業は、この限りではない」と非軍事化を命令しました。

また第二次世界大戦で日本、ドイツ、イタリアと戦った連合国が1945年6月26日に署名した国際連合憲章は、20世紀に起きた2つの世界大戦のような戦争の惨害から将来の世代を救うために「加盟国の共同の利益となる場合以外は武力を用いない」(前文)とし、「すべての加盟国は…武力による威嚇または武力の行使を…つつしまなければならない」(2条4項)と定めました。

ポツダム宣言を受諾したことによって、日本は侵略戦争を始めたことを根本的に反省し、国連憲章にも示される平和のルールを守ることを世界の人々に約束したのです。

そして、日本は1946年11月3日に公布し翌日47年5月3日に施行した日本国憲法に、戦争と武力による威嚇や武力の行使の永久法規(第9条第1項)、陸海空の戦力の不保持(同第2項)を明記しました。これは国際社会に対する約束であるとともに、アジア諸国民に多大な損害を与え、みずからも核兵器の被害を受けるなど、戦争の残虐さ、悲惨さを体験した国民として、もう二度と絶対に戦争しないという決意の表明でした。
posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2019年01月06日

201.「軍事の常識」

軍隊は国民を守るものではない。これは肝に銘じておくべきだ。

だから「外国が攻めてきた時に、私たちの生命や財産を守ってもらうために軍隊が必要だ」という議論は、前提において「軍事の常識」から外れている。

軍隊は本来、自国民を守るものではない。軍隊が守るのは国家である。このことは歴史が証明しているし、現にいまだにそうである。以下、『9条の挑戦』(2018)pp.20-21より。

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太平洋戦争中の沖縄戦では、足手まといになる、とか、食料不足の要因になる、とかいう理由で、日本軍が住民を殺害したという説もある。民間人は野戦病院に入れてもらえなかった。

このことは戦後も現在も変わらない。

1977年に米軍戦闘機が横浜の住宅地に墜落し、幼児ら市民9人が死傷した事故でも、自衛隊が救出したのは米軍乗務員だけ。被害者の救出や被害状況の調査よりも、周辺の人たちを事故現場から締め出すことが優先された。

自衛官出身の軍事専門家(潮巨lさん)は明言する。「軍隊は何を守るのかと言い換えるなら、その答えは国民の生命・財産ではありません。それらを守るのは警察や消防の仕事であって、軍隊の「本来人も本来任務では無いのです」

また、元統幕議長(栗栖弘雄臣さん)も同様に言う。「国民の生命、身体、財産を守るのは警察の使命(警察法)であって、武装集団たる自衛隊の任務ではない。自衛隊は『国の独立と平和を守る』(自衛隊法)のである」
posted by Lily at 10:14 | 政治と憲法
2018年12月30日

200.日米安保に利はあるか

思考停止に陥ってはいないだろうか。日米安保は日本になくてはならないものだろうか。日米安全保はわれら国民の安全に寄与しているだろうか。

この問題については再考の必要性を感じざるを得ない。以下、『9条の挑戦』(2018)より「安保条約は有効か」(p122-124)。引用を含み執筆者は神原元さん。

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(1) 自衛隊は米軍とますます一体化を強めており、実質的には米軍の指揮下に入っている状況を深めています。仮にアメリカが台湾あたりで中国と交戦状態に入れば、日本列島はアメリカ防衛のための前線基地になる一方、中国から見れば米軍基地のある日本列島は最初の攻撃目標なのであって、日本は焦土と化して、米軍はアメリカ本土を守ることになるように思われます。かつて沖縄を本土防衛の「捨て石」にしたように。安保体制は、日本を守るためというより、アメリカの世界侵略の一部でしかないということです。

(2) 近年、日本政府はますますアメリカへの従属を深めており、アメリカからの無理難題にはすべて応じる傾向が強まっています。2017年に朝鮮半島の危機が強まると、日本はアメリカに多額の兵器を大量に購入させられました。ところが米中会談が始まり、北朝鮮の核放棄の可能性が見えてくると、今度は、アメリカ大統領の一声で非核化の費用を負担させられることが決まるのです。その間、日本国民には何の相談もされません。日本人はアメリカの属国以下の状態におかれ、日本人の支払った税金はアメリカ政府の意のままに使用され、何の抗議もできないのです。このような事態は、日本が国の防衛をすべてアメリカに委ね、いわば安心を人質に取られているからと言っても過言ではありません。

(3) 北朝鮮や中国が仮に日本本土に核攻撃をするとすれば、その動機は、自国の安全を確保するため、日本国内にある米軍基地を攻撃するためのほかには考えられません。米軍基地を日本国内に置くことによって、逆に敵国に日本本土攻撃の動機と口実を与え、核攻撃すら誘導しかねないというのは、今も昔も変わらないのです。

(4) 冷戦終結後、日本が自国の防衛と関係のない戦火にまき込まれる惧れはますます高まっているように思います。冷戦終結でソ連というライバルがいなくなったことで、アメリカは自由に軍隊を使う余地が増えました。そして、2001年のアフガニスタン戦争、2003年のイラク戦争には、アメリカの同盟国が有志連合としてこぞって参加したのです。とりわけイラク戦争がその後10年以上も続く内戦の契機となり、多くのイラク国民とアメリカの若い兵士たちの命を奪ったことは記憶に新しいところです。そして、戦争の口実とされたイラクの大量破壊兵器が結局発見されなかったことからも、その正当性は疑わしいところであり、その後、アメリカ軍はイラク国内の混乱に収拾をつけることなく撤退したのです。日本は、安保体制に組み込まれている限り、このような無謀な戦争に巻き込まれる危険があり、その危険は、冷戦時代より現在のほうがはるかに大きいのです。



posted by Lily at 11:52 | 政治と憲法
2018年12月23日

199.天皇陛下の記者会見全文 

2018年12月23日。明仁天皇は85歳になられた。象徴天皇としての最後のお誕生日を迎えるにあたり、陛下は事前に記者会見にて御心境を述べられた。「沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」と陛下はおっしゃる。陛下の沖縄に対する思いは胸をうつ。そして考える。実は沖縄こそ、日本の縮図ではないか。日本の本当の姿なのではないか。と。

陛下お言葉の全文がこちらである。以下、NHK NEWS WEBより。

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この1年を振り返るとき、例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨、地震、そして台風などによって多くの人の命が落とされ、また、それまでの生活の基盤を失いました。

新聞やテレビを通して災害の様子を知り、また、後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが、自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに、被害を受けた人々が1日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。

ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは、昭和34年、昭和天皇の名代として、伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。

天皇の望ましい在り方を求める日々

今年も暮れようとしており、来年春の私の譲位の日も近づいてきています。私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います。

第二次世界大戦後の国際社会は、東西の冷戦構造の下にありましたが、平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ、冷戦は終焉を迎え、これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。

しかし、その後の世界の動きは、必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ、さらには、多数の難民が苦難の日々を送っていることに、心が痛みます。

戦後の道のり

以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。

終戦を11歳で迎え、昭和27年、18歳の時に成年式、次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は国際社会への復帰を遂げ、次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年、英国のエリザベス二世女王陛下の戴冠式に参列し、その前後、半年余りにわたり諸外国を訪問しました。

それから65年の歳月が流れ、国民皆の努力によって、我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め、平和と繁栄を築いてきました。

昭和28年に奄美群島の復帰が、昭和43年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。

そうした中で平成の時代に入り、戦後50年、60年、70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています。

そして、戦後60年にサイパン島を、戦後70年にパラオのペリリュー島を、更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。

平成に起きた災害

次に心に残るのは災害のことです。平成3年の雲仙・普賢岳の噴火、平成5年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり、平成7年の阪神・淡路大震災、平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。

ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また、災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には、いつも心を打たれています。


障害を抱える人に

障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも、私どもの大切な務めと思い、過ごしてきました。

障害者のスポーツは、ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが、それを越えて、障害者自身がスポーツを楽しみ、さらに、それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います。

海外と日本

今年、我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね、その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら、各国を訪れた際には、できる限り会う機会を持ってきました。

そして近年、多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も、将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。

日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国から我が国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。

また、外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め、各国との親善友好関係が進むことを願っています。

皇后陛下

明年4月に結婚60年を迎えます。

結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました。また、昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし、愛情深く3人の子供を育てました。振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。

天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います。

そして、来年春に私は譲位し、新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において、天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。

今年もあと僅かとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。





posted by Lily at 12:52 | 政治と憲法
2018年12月16日

198.2018年12月14日「屈辱の日」ふたたび

恐ろしい話である。政府がこうと決めれば国民がどんなに反対しようがやってしまう。これがまかり通る国はおよそ民主主義国家とは言い難い。2018年12月14日は、民主主義の崩壊は沖縄だけの問題ではないと日本中が気づいていい日であった。

辺野古沿岸に土砂が投入された。政府は沖縄住民の民意を無視し「国防」(はたして本当に国防になるのかどうか、甚だ疑問)につっぱしっている。希少生物が数多く生息する辺野古の美しい海に土砂が投入された12月14日は「屈辱の日」の再来か。以下、2018年12月15日『琉球新報』社説「辺野古へ土砂投入 第4の「琉球処分」強行だ」より。

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この光景は歴史に既視感を覚える。沖縄が経験してきた苦境である。

政府は、名護市辺野古沿岸に米海兵隊の新基地を造るため埋め立て土砂を投入した。昨年4月の護岸着工以来、工事を進める政府の姿勢は前のめりだ。9月の知事選で新基地に反対する玉城デニー知事誕生後わずか約1カ月後に工事を再開し、国と県の集中協議中も作業を進めた。手続きの不備を県に指摘されても工事を強行し土砂を投入したのは、基地建設を早く既成事実化したいからだ。

県民の諦めを誘い、辺野古埋め立ての是非を問う県民投票に影響を与えたり、予想される裁判を有利に運ぼうとしたりする狙いが透けて見える。

辺野古の問題の源流は1995年の少女乱暴事件にさかのぼる。大規模な県民大会など事件への抗議のうねりが沖縄の負担軽減に向けて日米を突き動かし、米軍普天間飛行場の返還合意につながった。

ところが返還は県内移設が条件であるため曲折をたどる。関係した歴代の知事は県内移設の是非に揺れ、容認の立場でも、使用期限や施設計画の内容などを巡り政府と対立する局面が何度もあった。

5年前、県外移設を主張していた仲井真弘多前知事が一転、埋め立てを承認したことで県民の多くが反発。辺野古移設反対を掲げる翁長県政が誕生し玉城県政に引き継がれた。県内の国会議員や首長の選挙でも辺野古移設反対の民意が示されている。

今年の宜野湾、名護の両市長選では辺野古新基地に反対する候補者が敗れたものの、勝った候補はいずれも移設の是非を明言せず、両市民の民意は必ずしも容認とは言えない。本紙世論調査でも毎回、7割前後が新基地建設反対の意思を示している。

そもそも辺野古新基地には現行の普天間飛行場にはない軍港や弾薬庫が整備される。基地機能の強化であり、負担軽減に逆行する。これに反対だというのが沖縄の民意だ。

その民意を無視した土砂投入は暴挙と言わざるを得ない。歴史的に見れば、軍隊で脅して琉球王国をつぶし、沖縄を「南の関門」と位置付けた1879年の琉球併合(「琉球処分」)とも重なる。日本から切り離し米国統治下に置いた1952年のサンフランシスコ講和条約発効、県民の意に反し広大な米軍基地が残ったままの日本復帰はそれぞれ第2、第3の「琉球処分」と呼ばれてきた。今回は、いわば第4の「琉球処分」の強行である。

歴史から見えるのは、政府が沖縄の人々の意思を尊重せず、「国益」や国策の名の下で沖縄を国防の道具にする手法、いわゆる植民地主義だ。

土砂が投入された12月14日は、4・28などと同様に「屈辱の日」として県民の記憶に深く刻まれるに違いない。だが沖縄の人々は決して諦めないだろう。自己決定権という人間として当然の権利を侵害され続けているからだ。
posted by Lily at 11:36 | 政治と憲法