2019年02月24日

208.安保法制の制定経緯

集団的自衛権の行使容認を含む「安保法制」が制定されたのはは2015年のことだった。その制定経緯をふりかえる。以下、木村草太『自衛隊と憲法』(2018)pp.105-108から。

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2012年末の総選挙で自民党が大勝し、第二次安倍晋三政権が発足します。安倍首相は、2013年2月に、私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の活動を再開し、安全保障関連法の検討を始めさせました。2014年5月15日、安保法制懇は、報告書を提出します。7月1日、この内容を一部取り込む形で、政府は、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」と題された閣議決定(2014 ・ 7 ・ 1 閣議決定)を行いました。

従来、政府は、日本が武力を行使できるのは、日本自身が武力攻撃を受けている場合(武力攻撃事態)のみだとしてきました。しかし、2014 ・ 7 ・ 1閣議決定は、「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」場合(村立危機事態)にも武力行使が認められるとし、さらに、その武力行使は、「国際法上は、集団的自衛権の根拠となる場合がある」としました。またこの閣議決定は後方支援の範囲を拡大するなど、安全保障法制についてのいくつかの重大な方針転換を含んでいました。

2015年2月からこの閣議決定に基づく自民・公明両党の与党協議が行われ、同年5月に「平和安全法制」という名で法案が国会に提出されました。この法案には、集団的自衛権の行使を容認する規定や、後方支援・ PKOで危険な任務を付加する内容が含まれたため、野党や反対派市民は強く批判しました。法案審議では、閣僚が明確な答弁ができないせいで速記が止まったり、招致された参考人・公聴人から法案は違憲だとの指摘が相次いだりしました。

1専門家による違憲の指摘の中で、特に重要だったのが、6月4日の憲法審査会での長谷部恭男参考人(早稲田大学教授)の発言です。長谷部教授は、「集団的自衛権の行使が許されるというその点について、私は憲法違反であ」り、「従来の政府見解の基礎的な論理の枠内では説明がつきませんし、法的な安定性を大きく揺るがすものであるというふうに考えております」と指摘しました。長谷部教授は、当時(今でも)、最も権威あるとされる憲法学者です。しかも、この日、長谷部教授を参考人として推薦したのは自民党でした。与党推薦の参考人ですら違憲と指摘したことで、大騒ぎになったのです。

この事件の前後から、テレビや新聞による憲法学者のアンケート調査が行われていました。その先陣を切ったのは、テレビ朝日系列「報道ステーション」が実施した、『憲法判例百選(第六版)』の解説担当研究者に回答を求めたアンケートです。6月15日放送の番組で、集計が発表されましたが、集団的自衛権の限定容認については、回答者の約96%が違憲ないし違憲の疑いありとし、合計はわずか2%という結果でした。もちろん、アンケートが全てではなく、違憲とする論拠も完全に一致したわけではありません。それでも、専門家の圧倒的多数が違憲と評価している事実は、社会に大きな衝撃を与えました。

これらの事件、報道、専門家の意見表明を受け、国民の多くはこの法案は違憲らしいと感じるようになったようです。同年の6月20日・ 21日の共同通信の世論調査では、安保法案を違憲とする回答が56.7%に上っています。さらに、7月以降、国会前などで、法案反対の大規模デモが行われるようになりました。

しかし、政府・与党は、方針を変えることはなく、7月16日、法案は衆議院を通過し、9月19日には参議院でも可決され、安保法制が成立しました。

posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法