2019年01月20日

203.「原爆投下は人体実験だった」という話もある

いろんな説を知っておくのは悪いことではない。いろんな考え方を幅広く知った上で、どの説が最も筋が通っているかを自分自身で判断する。

表題についていうならば、もしこれが本当なら、原爆投下が「日本の降伏を早め、多くの人命を救済のためだった」という話は違ってくる。

以下、木村朗・高橋博子著『核の戦後史』(2016)103-105頁より。

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人体実験としての原爆投下の側面に早くから注目していたのは、広島大学名誉教授で社会学者・哲学者の柴田進午でした。

広島・長崎への原爆攻撃の目的は何だったのか。一つには戦後世界での米国の覇権確立であり、二つには「原爆の効果」を知るための無数の人間への「人体実験」だった。だからこそ、占領直後に米軍が行っことは、第一に、原爆の惨状についての報道を禁止し「人体実験」についての情報を独占することだった。第二に、史上前例のない恐ろしい火傷、放射能障害の治療方法を必死に工夫していた広島・長崎の医者たちに治療方法の発表と交流を禁止するとともに、死没被爆者のケロイドの皮膚や臓器や被爆者の血液やカルテを没収することだった。第三に、日本政府をして国際赤十字からの医療品の支援申し出を拒否させることだった。たしかに「実験動物」を治療するのでは「実験」にならない。そこで、米軍は全力を尽くして被爆者の治療を妨害したのである。第四に、被爆者を「治療」せず「実験動物」のように「観察」するABCCを広島・長崎に設置することだった。加害者が被害者を「調査」するというその目的自体が被爆者への人権蹂躙ではなかったか(「被爆者救護法ーーもうひとつの法理」『毎日新聞』1994年9月6日より)。

原爆は人が最も外出する朝の通勤・通学ラッシュの時間帯を選んで、都市の中心部に落とされました。人的被害が最大になるべく使われたわけです。そのうえ、戦後、アメリカは被爆者を治療するどころか、治療する日本人医師の活動を妨害までしました。そればかりでなく、アメリカは外部から広島市、長崎市入ることを禁止し、国際赤十字など海外からの支援も妨害し、一切の原爆報道を禁止しました。原爆の威力を最大限引き出そうとし、それが人体に与える影響を調べつくそうとしたわけです。当時の日本政府もそれに協力しました。

なぜそのような無茶苦茶なことが可能だったのか。トルーマンは、長谷川毅『暗闇』(文春文庫)によれば、長崎への原爆投下後、ラジオで「真珠湾で警告なしにわれわれを攻撃した者たちにたいして、アメリカの捕虜を餓死させ、殴打、処刑したものたちにたいして、また戦争における行動を規定する国際法を遵守しようとしてみせることさえすべて放棄した者たちにたいしてこの爆弾を使用した」と声明を発しました。

日本の降伏前は、このような激しい報復の感情をトルーマン大統領だけでなく、圧倒的多数のアメリカ国民も共有していました。そして、日本の奇襲攻撃であった真珠湾攻撃で始まった戦争であり(日本側の開戦責任)、軍事的敗北が明らかになって以降も一向に降伏(政治的決定)に応じようとしない日本軍の死に物狂いの戦い方、ポツダム宣言という最後の降伏の機会さえ「拒否」した日本政府の対応などは、原爆を投下する千載一遇のチャンスと口実をアメリカに与えたのだろうと私は考えています。
posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法