2018年10月07日

188.日米関係さもあらん(7)〜孫崎享の『戦後史の正体』より〜

自衛隊の結成はアメリカ軍部の事情による。自衛隊の前身は「警察予備隊」であるが、この警察予備隊は1950年の朝鮮戦争勃発直後に結成されている。結成を求めたのはマッカーサーではなく、当時のアメリカ軍部とトルーマン大統領である。マッカーサーは再軍備に反対していたのだ。結局、マッカーサーがアメリカ軍部側に負ける形で、75000人規模の警察予備隊つまり今の自衛隊のもとになる部隊が結成された。完全にアメリカ軍側の都合である。日本から朝鮮戦争へ出動した米軍兵の数が75000人。これが何を意味するか、明々白々であろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
52. 朝鮮戦争の勃発で、米国の対日政策は根本から変わりました。日本の経済を自立させなければならない。軍隊も、もたせなければならない。そのためには経済面でも軍事面でも、優秀な人間が必要だ。追放されている人びとを日本社会に復帰させなければならない・・・。こうして米国の対日政策は180度転換することになったのです。国際情勢が変われば、米国の対日政策も劇的に変わるのです。

53. 朝鮮戦争で日本経済が立ち直りました。日本は第二次世界大戦によって経済的な打撃をうけました。とくに食糧事情が深刻でした。こうしたなか、朝鮮戦争が起こりました。米軍は戦争に必要な膨大な物資とサービスを日本で調達するようになります。これを朝鮮特需とよんでいます。こうした朝鮮特需のおかげで、1950年10月、日本の鉱工業生産は戦前を上まわるようになります。戦争が起こることによって大きな利益を得る層もあるのです。

54. 冷戦の高まりのなか、マッカーサーは日本の再軍備に反対します。マッカーサーは日本の占領は早く終わらせるべきであると考えていました。また日本の再軍備には反対の立場をとっています。占領軍の当初の目的(非軍事化)は終了しました。しかし冷戦の勃発により、将棋のコマとしての日本に新たな役割が生まれました。第一は重要性を増した在日米軍基地を今後も維持しつづけること。第二は再軍備をして米国の世界戦略の一翼をになうことです。第一の問題は米軍が占領を延長すれがいいだけの話です。なにも日本と協議する必要はありません。日本と協議する必要があるのは二番目の再軍備の問題です。しかし冷戦が始まったからといって、日本はもちろん、占領軍もすぐに「日本の再軍備」に賛成できたでしょうか。そもそも占領軍の一番の目標は、なんだったでしょう。それは日本の非軍事化です。マッカーサーはそれをもっとも重視していました。そのマッカーサーが再軍備に賛成するはずがありません。ここから日本をめぐり、なんとか再軍備させようとするトルーマン大統領および軍部と、マッカーサーとの戦いが始まります。

55. 米軍部は日本の再軍備をあきらめることはなく、1947年3月1日には「日本防衛における米国の負担を減らす観点から、日本軍の創設は望ましい」(「統合参謀本部覚書」)という結論に達します。そして1950年6月、朝鮮戦争が起こりました。これで「トルーマン大統領+軍部」対「マッカーサー」の戦いに決着がつきます。共産主義の脅威が日本のすぐとなりの朝鮮半島で、侵略という形で起こりました。だれもが日本の軍事力強化の方向に向かったのは自然な流れでした。1950年7月8日(朝鮮戦争発生後13日目)、マッカーサーは吉田首相に次のような書簡を送っています。「日本政府に、政府直属の国家警察予備隊7万5千人と海上保安庁要員8千人の増加の権限をあたえる」。この「国家警察予備隊」という組織がのちの自衛隊です。日本の再軍備にずっと反対してきたマッカーサーが、ついにここで間接的な言い方ながら、再軍備を許可したのです7万5千人という数は、日本から朝鮮戦争へ出動した米軍の数とほぼ同じでした。
posted by Lily at 16:02 | 政治と憲法