2018年07月22日

177.日米関係さもあらん(1)〜孫崎享『戦後史の正体』より〜

筆者が憲法と向き合って久しいが、その過程で避けては通れない2つの問題に気がついた。1つは歴史。具体的には満州事変以降の日本の歴史である。そしてもう一つが日米関係だ。人権は憲法で保障されているはずである。その人権が守られない時、アメリカが関与しているケースのなんと多いことか。沖縄がいい例だ。

なぜ日本はここまでアメリカに弱いのか? なぜすべての政策においてアメリカの言いなりなのか? この疑問は長らく筆者の中でくすぶり続けていた。そして「日米関係と日本国憲法は両立しない」ということを確信するに至った。今、この疑問の核心がくっきりと見えるところまであと一歩、というところまで来たように思う。優れた本たちのおかげである。孫崎享さんの『戦後史の正体』もそうした書物の1冊。さもあらん! と納得する箇所が随所にあった。うろこがいくつあっても足りないと思うほど目からうろこが落ち、次第にそうしたポイントを資料として控えておきたくなった。この作業はしばらく続きそうである。ぜひ、お付き合いされたし。


01. 日本の戦後史は「米国からの圧力」を前提に考察しなければ、その本質が見えてきません。

02. 戦後の日本外交は、米国に対する「追従」路線と「自主」路線の戦いでした。

03. 日米の外交におけるもっとも重要な課題は、つねに存在する米国からの圧力(これは想像以上に強力なものです)に対して、「自主」路線と「対米追随」路線のあいだでどのような選択をするかということです。そしてそれは終戦以来、すっとつづいてきたテーマなのです。

04. 「なぜ日本はこうも米国の圧力に弱いのだろう」この問いは、私の外務省時代を通じて、常につきまとった疑問でもありました。

05. 米国からの圧力や裏工作は、現実に存在します。

06. 日本は1945年9月2日、ミズーリ号で降伏文書に署名しました。そこから「戦後」が始まります。この戦後の最初の日から、日本は「対米追随」と「自主」のあいだで重大な選択をつきつけられたのです。

07. 多くの政治家が「対米追随」と「自主」のあいだで苦悩し、ときに「自主」路線を選択しました。歴史を見れば、「自主」を選択した多くの政治家や官僚は排斥されています。

08. 私は日本のなかでもっとも米国の圧力に弱い立場にいるのが首相だと思っています。

09. 冷戦期にアメリカ(CIA)やソ連(KGB)がイタリアで行なっていた裏工作は、同じく日本でも行われていたと考えるのが常識です。事実、1950年代から60年代にかけて、CIAが自民党や民社党の政治家に巨額の資金を提供していたことは、米国側の公文書によってあきらかにされています。歴史を勉強していない人だけが、それを「陰謀論だ」などといって安易に否定するのです。

10. 日本が今後、国家としての方針を決定するときも、過去の歴史のなかでどうような形で米国から圧力をかけられ、どうような形で路線選択をしてきたか、よく知っておく必要があります。とくに米国に対し「自主」路線をつらぬくことがどれほどむずかしいか、よく理解しておく必要があります。

11. 日本の戦後史について、いろいろと素晴らしい研究があります。しかし日本の戦後史全体を、米国からの圧力とそれへの抵抗を軸に記述した本はありません。

12. 米国に対する「追随路線」と「自主路線」の対立という視点から大きな歴史の流れをみることによって、はじめて日本人は過去の歴史を正確に理解することができ、日本の行く先も見えるようになるのだと思います。

13. 私は長く外務省にいたため、米国からのさまざまな圧力や、「対米追随」と「自主」というふたつの外交路線の対立について、実際に現場で体験しています。その大きな歴史の流れを描くことを、もしだれかがやらなければならないとすれば、勇気をもって行うべきはおそらく外務省のOBでしょう。

14. 戦後の混乱のなかで、米国に毅然と立ち向かい、意見を主張した政治家たちがいました。重光葵、石橋湛山、芦田均、鳩山一郎などです。驚くことに多くの人の印象とは逆に、岸信介もこのなかに入ります。そして彼らの多くは、米国によって政治の表舞台から排斥されています。

15. 対米追随路線と自主路線。このふたつの糸で戦後の日米関係を書いてみたいと思います。冷戦後ではなく、1945年9月2日から始めたいと思います。


posted by Lily at 15:17 | 政治と憲法