2017年06月18日

120.6月15日は安保闘争で樺(かんば)美智子さんが亡くなった日

3日前の6月15日(2017年の6月15日)。「改正組織犯罪処罰法」(「いわゆる共謀罪」)が、すったもんだの末に成立しました。7時46分のことでした。この時、国会周辺には、懸念や反対を訴える多くの人たちが。

6月15日で思い起こすのは、60年安保闘争で東大の大学生の樺(かんば)美智子さんが亡くなった日が6月15日だったということ。樺さんは国会議事堂正門前でデモに参加していたのでしたよね。その時の模様が1960年6月16日の朝日新聞の号外で詳しく報じられています。以下は、その時に樺さんの傍らにいた明治大学の学生の話です。見出しは「倒れた上にドロぐつ 樺さん あっという間に死ぬ」。ご覧ください下矢印1

「夜7時すぎ、南門から入った私たちは構内でスクラムを組みなおした。おびただしい数の警官が国会のビルの影に並んでいた。私たちはその群れに向かって前進した。警官たちも、こちらへ歩き出した。歌もシュプレヒコールも起こらない。恐怖の一瞬だった。二つの群れが正面からぶつかった。やがて警官たちは警棒を振るい始めた。隣の女子学生(樺さんのこと)は、髪を乱しながら頭を下げた。男の学生たちも首を縮めた。足もとはドロの海。隣の女子学生がつまづいた。ほかの学生たちも何人かころんだ。倒れた女子学生の上を学生のドログツが踏みにじり、そのあと巻き返しに出た警官たちがまた乗り越えた。そのとき「女が死んでいる」とだれかが叫んだが、手のほどこしようがなかった」。(引用おわり)

その樺美智子さんのお墓にはこういう詩が刻まれています下矢印1

「最後に」
誰かが私を笑っている
向うでも こっちでも
私をあざ笑っている
でもかまわないさ
私は自分の道を行く
笑っている連中もやはり
各々の道を行くだろう
よく云うじゃないか
「最後に笑うものが
最もよく笑うものだ」と
でも私は
いつまでも笑わないだろう
いつまでも笑えないだろう
それでいいのだ
ただ許されるものなら
最後に
人知れずほほえみたいものだ
1956年 美智子作

『コンサイス日本人名事典』によると、樺美智子さんの死について、警察側は転倒が原因の圧死と主張し、学生側は機動隊の暴行による死亡と主張したとのこと。学生側の死亡者を出したことで、警察はマスコミから批判され、6月18日には60年安保最大の33万人が国会を取り囲んだそうです。
posted by Lily at 17:59 | 政治と憲法