2016年11月06日

88.アメリカとの全面対決へ

わずか4ヶ月半で退陣した阿部内閣の
次の米内(よない)内閣は、
日米対立の緩和を目指しました。
しかし、ドイツが西部戦線で圧勝し
フランスがドイツに降伏し、再び
日独伊三国同盟推進派(軍部革新派)が
台頭してきます。  
ドイツと組めば戦争に勝てる。
そんなムードになっていったのですね。

ここで「南進論」が浮上します。
南進論とは東南アジアへの侵略で、
英米の蒋介石支援ルートを遮断することと、
南方の資源確保が目的で、要するに
ドイツの勝利とオランダ、フランス降伏に乗じ、
東南アジアを一気に侵略しようという発想。
軍部は「バスに乗り遅れるな」と
南進論の旗を振りました。

そして、第二次近衛内閣が成立し
東亜新秩序、南進論が国策の基本になり、
インドシナへの武力南進が始まります。
この日本の南進行為に対して、
アメリカが実施したのが
石油・屑鉄の輸出制限と、
航空機ガソリンの対日禁輸。
禁輸は日本にとって大打撃となり
それでますます南方への武力行使へと
進まざるをえなくなりました。
そして日独伊枢軸強化が合意され、
1940年9月27日、ついに
日独伊三国同盟が結ばれます。
この体制によって
アメリカとの全面的な対立の構造が
出来上がっていたのです。

いかに戦争を回避するかを考える上で
過去の戦争への経緯を知ることは
極めて意味深いことであります。

※引用参考データ:
『爆笑問題の戦争論』(2006)幻冬舎
posted by Lily at 20:24 | 政治と憲法