2019年01月13日

202.日本の約束

日本の軍事産業を含め非軍事化を 定めたポツダム宣言を受諾したこと。そして、戦争の永久放棄と戦力の不保持を宣言した憲法を持ったこと。これらは日本から世界に向けた「約束」である。約束を反故にするような国を世界はどう見るか。改憲論議にはこうした視点も必要であろう。以下、『検証・法治国家崩壊』(2014)pp.183-184より。

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1945年(昭和20年)8月14日、日本はポツダム宣言を受諾して連合国に無条件降伏しました。ポツダム宣言は同年7月26日に、アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、中国の蒋介石総統によって署名されました。

宣言は「日本国軍隊は、完全に武装を解除せられたのち、各自の家庭に復帰し」とのべて日本の武装解除を定め、さらに経済を支持するための産業を維持することは許されるとしながらも、「ただし、日本国が戦争のための再軍備をできるような産業は、この限りではない」と非軍事化を命令しました。

また第二次世界大戦で日本、ドイツ、イタリアと戦った連合国が1945年6月26日に署名した国際連合憲章は、20世紀に起きた2つの世界大戦のような戦争の惨害から将来の世代を救うために「加盟国の共同の利益となる場合以外は武力を用いない」(前文)とし、「すべての加盟国は…武力による威嚇または武力の行使を…つつしまなければならない」(2条4項)と定めました。

ポツダム宣言を受諾したことによって、日本は侵略戦争を始めたことを根本的に反省し、国連憲章にも示される平和のルールを守ることを世界の人々に約束したのです。

そして、日本は1946年11月3日に公布し翌日47年5月3日に施行した日本国憲法に、戦争と武力による威嚇や武力の行使の永久法規(第9条第1項)、陸海空の戦力の不保持(同第2項)を明記しました。これは国際社会に対する約束であるとともに、アジア諸国民に多大な損害を与え、みずからも核兵器の被害を受けるなど、戦争の残虐さ、悲惨さを体験した国民として、もう二度と絶対に戦争しないという決意の表明でした。
posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2019年01月06日

201.「軍事の常識」

軍隊は国民を守るものではない。これは肝に銘じておくべきだ。

だから「外国が攻めてきた時に、私たちの生命や財産を守ってもらうために軍隊が必要だ」という議論は、前提において「軍事の常識」から外れている。

軍隊は本来、自国民を守るものではない。軍隊が守るのは国家である。このことは歴史が証明しているし、現にいまだにそうである。以下、『9条の挑戦』(2018)pp.20-21より。

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太平洋戦争中の沖縄戦では、足手まといになる、とか、食料不足の要因になる、とかいう理由で、日本軍が住民を殺害したという説もある。民間人は野戦病院に入れてもらえなかった。

このことは戦後も現在も変わらない。

1977年に米軍戦闘機が横浜の住宅地に墜落し、幼児ら市民9人が死傷した事故でも、自衛隊が救出したのは米軍乗務員だけ。被害者の救出や被害状況の調査よりも、周辺の人たちを事故現場から締め出すことが優先された。

自衛官出身の軍事専門家(潮巨lさん)は明言する。「軍隊は何を守るのかと言い換えるなら、その答えは国民の生命・財産ではありません。それらを守るのは警察や消防の仕事であって、軍隊の「本来人も本来任務では無いのです」

また、元統幕議長(栗栖弘雄臣さん)も同様に言う。「国民の生命、身体、財産を守るのは警察の使命(警察法)であって、武装集団たる自衛隊の任務ではない。自衛隊は『国の独立と平和を守る』(自衛隊法)のである」
posted by Lily at 10:14 | 政治と憲法