2019年01月27日

204.武力衝突について歴史的事実から考える

例えば近隣国が軍事費を増やしているからといって、また近隣国が核実験に成功したからといって、日本はすぐさま軍隊で対抗しなければならないのだろうか。論理的に考えて可能性はゼロではないが、現実的に考えて蓋然性はどうであろう。確率として高いといえるのだろうか。

この問題を考える手初めに歴史をひもといておこう。以下、伊藤真氏による『9条の挑戦』(2018)p22-23より。

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まず、日本と近隣諸国との歴史的な事実を確認しておきましょう。

近代史において、中国や朝鮮が日本を侵略しようとした事実はありません。逆に、日本は豊臣秀吉の朝鮮出兵のあとはしばらく静かにしていましたが、明治政府になってからは、1874年の台湾出兵、1875年の江華島(こうかとう)事件、1894年の日清戦争、1895年の台湾植民地戦争、1900年の義和団鎮圧戦争、1904年の日露戦争、1910年の韓国併合、1914年の第一次世界大戦、1931年の満州事変、1932年の平頂山事件、1937年の南京攻略、1941年の太平洋戦争開始と、間断なく領土拡張のために隣国への軍事介入を繰り返してきました。

そのような介入には様々な理由があったし、そうせざるを得ない状況だったという評価もあり得ます。しかし、それらの戦争の口火を切ったのはむしろ日本であったという歴史に照らすと、中国や朝鮮半島の国が日本に攻め込んでくる蓋然性は高いとは言えません。もちろん、責められる可能性はないわけではない。しかし、「低くても可能性がある印象が軍備に金をかけるべきだ」というのは、適切な優先順づけとは言えません。限られた資源の分配により、国民の命と生活を守ることが政治の本質であるとすれば、近隣諸国から攻撃される蓋然性よりも、自然災害により命と生活を奪われる危険性の方が格段に高い日本においては、災害への備えをむしろ優先すると考えることは合理的です。
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さもあらん。なればこの国の政府は、自然災害に対する差し迫った危機を放っておいて、蓋然性の低いことにせっせとお金を使っているのだろうか。


posted by Lily at 12:07 | 政治と憲法
2019年01月20日

203.「原爆投下は人体実験だった」という話もある

いろんな説を知っておくのは悪いことではない。いろんな考え方を幅広く知った上で、どの説が最も筋が通っているかを自分自身で判断する。

表題についていうならば、もしこれが本当なら、原爆投下が「日本の降伏を早め、多くの人命を救済のためだった」という話は違ってくる。

以下、木村朗・高橋博子著『核の戦後史』(2016)103-105頁より。

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人体実験としての原爆投下の側面に早くから注目していたのは、広島大学名誉教授で社会学者・哲学者の柴田進午でした。

広島・長崎への原爆攻撃の目的は何だったのか。一つには戦後世界での米国の覇権確立であり、二つには「原爆の効果」を知るための無数の人間への「人体実験」だった。だからこそ、占領直後に米軍が行っことは、第一に、原爆の惨状についての報道を禁止し「人体実験」についての情報を独占することだった。第二に、史上前例のない恐ろしい火傷、放射能障害の治療方法を必死に工夫していた広島・長崎の医者たちに治療方法の発表と交流を禁止するとともに、死没被爆者のケロイドの皮膚や臓器や被爆者の血液やカルテを没収することだった。第三に、日本政府をして国際赤十字からの医療品の支援申し出を拒否させることだった。たしかに「実験動物」を治療するのでは「実験」にならない。そこで、米軍は全力を尽くして被爆者の治療を妨害したのである。第四に、被爆者を「治療」せず「実験動物」のように「観察」するABCCを広島・長崎に設置することだった。加害者が被害者を「調査」するというその目的自体が被爆者への人権蹂躙ではなかったか(「被爆者救護法ーーもうひとつの法理」『毎日新聞』1994年9月6日より)。

原爆は人が最も外出する朝の通勤・通学ラッシュの時間帯を選んで、都市の中心部に落とされました。人的被害が最大になるべく使われたわけです。そのうえ、戦後、アメリカは被爆者を治療するどころか、治療する日本人医師の活動を妨害までしました。そればかりでなく、アメリカは外部から広島市、長崎市入ることを禁止し、国際赤十字など海外からの支援も妨害し、一切の原爆報道を禁止しました。原爆の威力を最大限引き出そうとし、それが人体に与える影響を調べつくそうとしたわけです。当時の日本政府もそれに協力しました。

なぜそのような無茶苦茶なことが可能だったのか。トルーマンは、長谷川毅『暗闇』(文春文庫)によれば、長崎への原爆投下後、ラジオで「真珠湾で警告なしにわれわれを攻撃した者たちにたいして、アメリカの捕虜を餓死させ、殴打、処刑したものたちにたいして、また戦争における行動を規定する国際法を遵守しようとしてみせることさえすべて放棄した者たちにたいしてこの爆弾を使用した」と声明を発しました。

日本の降伏前は、このような激しい報復の感情をトルーマン大統領だけでなく、圧倒的多数のアメリカ国民も共有していました。そして、日本の奇襲攻撃であった真珠湾攻撃で始まった戦争であり(日本側の開戦責任)、軍事的敗北が明らかになって以降も一向に降伏(政治的決定)に応じようとしない日本軍の死に物狂いの戦い方、ポツダム宣言という最後の降伏の機会さえ「拒否」した日本政府の対応などは、原爆を投下する千載一遇のチャンスと口実をアメリカに与えたのだろうと私は考えています。
posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2019年01月13日

202.日本の約束

日本の軍事産業を含め非軍事化を 定めたポツダム宣言を受諾したこと。そして、戦争の永久放棄と戦力の不保持を宣言した憲法を持ったこと。これらは日本から世界に向けた「約束」である。約束を反故にするような国を世界はどう見るか。改憲論議にはこうした視点も必要であろう。以下、『検証・法治国家崩壊』(2014)pp.183-184より。

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1945年(昭和20年)8月14日、日本はポツダム宣言を受諾して連合国に無条件降伏しました。ポツダム宣言は同年7月26日に、アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、中国の蒋介石総統によって署名されました。

宣言は「日本国軍隊は、完全に武装を解除せられたのち、各自の家庭に復帰し」とのべて日本の武装解除を定め、さらに経済を支持するための産業を維持することは許されるとしながらも、「ただし、日本国が戦争のための再軍備をできるような産業は、この限りではない」と非軍事化を命令しました。

また第二次世界大戦で日本、ドイツ、イタリアと戦った連合国が1945年6月26日に署名した国際連合憲章は、20世紀に起きた2つの世界大戦のような戦争の惨害から将来の世代を救うために「加盟国の共同の利益となる場合以外は武力を用いない」(前文)とし、「すべての加盟国は…武力による威嚇または武力の行使を…つつしまなければならない」(2条4項)と定めました。

ポツダム宣言を受諾したことによって、日本は侵略戦争を始めたことを根本的に反省し、国連憲章にも示される平和のルールを守ることを世界の人々に約束したのです。

そして、日本は1946年11月3日に公布し翌日47年5月3日に施行した日本国憲法に、戦争と武力による威嚇や武力の行使の永久法規(第9条第1項)、陸海空の戦力の不保持(同第2項)を明記しました。これは国際社会に対する約束であるとともに、アジア諸国民に多大な損害を与え、みずからも核兵器の被害を受けるなど、戦争の残虐さ、悲惨さを体験した国民として、もう二度と絶対に戦争しないという決意の表明でした。
posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2019年01月06日

201.「軍事の常識」

軍隊は国民を守るものではない。これは肝に銘じておくべきだ。

だから「外国が攻めてきた時に、私たちの生命や財産を守ってもらうために軍隊が必要だ」という議論は、前提において「軍事の常識」から外れている。

軍隊は本来、自国民を守るものではない。軍隊が守るのは国家である。このことは歴史が証明しているし、現にいまだにそうである。以下、『9条の挑戦』(2018)pp.20-21より。

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太平洋戦争中の沖縄戦では、足手まといになる、とか、食料不足の要因になる、とかいう理由で、日本軍が住民を殺害したという説もある。民間人は野戦病院に入れてもらえなかった。

このことは戦後も現在も変わらない。

1977年に米軍戦闘機が横浜の住宅地に墜落し、幼児ら市民9人が死傷した事故でも、自衛隊が救出したのは米軍乗務員だけ。被害者の救出や被害状況の調査よりも、周辺の人たちを事故現場から締め出すことが優先された。

自衛官出身の軍事専門家(潮巨lさん)は明言する。「軍隊は何を守るのかと言い換えるなら、その答えは国民の生命・財産ではありません。それらを守るのは警察や消防の仕事であって、軍隊の「本来人も本来任務では無いのです」

また、元統幕議長(栗栖弘雄臣さん)も同様に言う。「国民の生命、身体、財産を守るのは警察の使命(警察法)であって、武装集団たる自衛隊の任務ではない。自衛隊は『国の独立と平和を守る』(自衛隊法)のである」
posted by Lily at 10:14 | 政治と憲法