2018年12月30日

200.日米安保に利はあるか

思考停止に陥ってはいないだろうか。日米安保は日本になくてはならないものだろうか。日米安全保はわれら国民の安全に寄与しているだろうか。

この問題については再考の必要性を感じざるを得ない。以下、『9条の挑戦』(2018)より「安保条約は有効か」(p122-124)。引用を含み執筆者は神原元さん。

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(1) 自衛隊は米軍とますます一体化を強めており、実質的には米軍の指揮下に入っている状況を深めています。仮にアメリカが台湾あたりで中国と交戦状態に入れば、日本列島はアメリカ防衛のための前線基地になる一方、中国から見れば米軍基地のある日本列島は最初の攻撃目標なのであって、日本は焦土と化して、米軍はアメリカ本土を守ることになるように思われます。かつて沖縄を本土防衛の「捨て石」にしたように。安保体制は、日本を守るためというより、アメリカの世界侵略の一部でしかないということです。

(2) 近年、日本政府はますますアメリカへの従属を深めており、アメリカからの無理難題にはすべて応じる傾向が強まっています。2017年に朝鮮半島の危機が強まると、日本はアメリカに多額の兵器を大量に購入させられました。ところが米中会談が始まり、北朝鮮の核放棄の可能性が見えてくると、今度は、アメリカ大統領の一声で非核化の費用を負担させられることが決まるのです。その間、日本国民には何の相談もされません。日本人はアメリカの属国以下の状態におかれ、日本人の支払った税金はアメリカ政府の意のままに使用され、何の抗議もできないのです。このような事態は、日本が国の防衛をすべてアメリカに委ね、いわば安心を人質に取られているからと言っても過言ではありません。

(3) 北朝鮮や中国が仮に日本本土に核攻撃をするとすれば、その動機は、自国の安全を確保するため、日本国内にある米軍基地を攻撃するためのほかには考えられません。米軍基地を日本国内に置くことによって、逆に敵国に日本本土攻撃の動機と口実を与え、核攻撃すら誘導しかねないというのは、今も昔も変わらないのです。

(4) 冷戦終結後、日本が自国の防衛と関係のない戦火にまき込まれる惧れはますます高まっているように思います。冷戦終結でソ連というライバルがいなくなったことで、アメリカは自由に軍隊を使う余地が増えました。そして、2001年のアフガニスタン戦争、2003年のイラク戦争には、アメリカの同盟国が有志連合としてこぞって参加したのです。とりわけイラク戦争がその後10年以上も続く内戦の契機となり、多くのイラク国民とアメリカの若い兵士たちの命を奪ったことは記憶に新しいところです。そして、戦争の口実とされたイラクの大量破壊兵器が結局発見されなかったことからも、その正当性は疑わしいところであり、その後、アメリカ軍はイラク国内の混乱に収拾をつけることなく撤退したのです。日本は、安保体制に組み込まれている限り、このような無謀な戦争に巻き込まれる危険があり、その危険は、冷戦時代より現在のほうがはるかに大きいのです。



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2018年12月23日

199.天皇陛下の記者会見全文 

2018年12月23日。明仁天皇は85歳になられた。象徴天皇としての最後のお誕生日を迎えるにあたり、陛下は事前に記者会見にて御心境を述べられた。「沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」と陛下はおっしゃる。陛下の沖縄に対する思いは胸をうつ。そして考える。実は沖縄こそ、日本の縮図ではないか。日本の本当の姿なのではないか。と。

陛下お言葉の全文がこちらである。以下、NHK NEWS WEBより。

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この1年を振り返るとき、例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨、地震、そして台風などによって多くの人の命が落とされ、また、それまでの生活の基盤を失いました。

新聞やテレビを通して災害の様子を知り、また、後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが、自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに、被害を受けた人々が1日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。

ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは、昭和34年、昭和天皇の名代として、伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。

天皇の望ましい在り方を求める日々

今年も暮れようとしており、来年春の私の譲位の日も近づいてきています。私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います。

第二次世界大戦後の国際社会は、東西の冷戦構造の下にありましたが、平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ、冷戦は終焉を迎え、これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。

しかし、その後の世界の動きは、必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ、さらには、多数の難民が苦難の日々を送っていることに、心が痛みます。

戦後の道のり

以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。

終戦を11歳で迎え、昭和27年、18歳の時に成年式、次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は国際社会への復帰を遂げ、次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年、英国のエリザベス二世女王陛下の戴冠式に参列し、その前後、半年余りにわたり諸外国を訪問しました。

それから65年の歳月が流れ、国民皆の努力によって、我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め、平和と繁栄を築いてきました。

昭和28年に奄美群島の復帰が、昭和43年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。

そうした中で平成の時代に入り、戦後50年、60年、70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています。

そして、戦後60年にサイパン島を、戦後70年にパラオのペリリュー島を、更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。

平成に起きた災害

次に心に残るのは災害のことです。平成3年の雲仙・普賢岳の噴火、平成5年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり、平成7年の阪神・淡路大震災、平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。

ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また、災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には、いつも心を打たれています。


障害を抱える人に

障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも、私どもの大切な務めと思い、過ごしてきました。

障害者のスポーツは、ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが、それを越えて、障害者自身がスポーツを楽しみ、さらに、それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います。

海外と日本

今年、我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね、その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら、各国を訪れた際には、できる限り会う機会を持ってきました。

そして近年、多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も、将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。

日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国から我が国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。

また、外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め、各国との親善友好関係が進むことを願っています。

皇后陛下

明年4月に結婚60年を迎えます。

結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました。また、昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし、愛情深く3人の子供を育てました。振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。

天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います。

そして、来年春に私は譲位し、新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において、天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。

今年もあと僅かとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。





posted by Lily at 12:52 | 政治と憲法
2018年12月16日

198.2018年12月14日「屈辱の日」ふたたび

恐ろしい話である。政府がこうと決めれば国民がどんなに反対しようがやってしまう。これがまかり通る国はおよそ民主主義国家とは言い難い。2018年12月14日は、民主主義の崩壊は沖縄だけの問題ではないと日本中が気づいていい日であった。

辺野古沿岸に土砂が投入された。政府は沖縄住民の民意を無視し「国防」(はたして本当に国防になるのかどうか、甚だ疑問)につっぱしっている。希少生物が数多く生息する辺野古の美しい海に土砂が投入された12月14日は「屈辱の日」の再来か。以下、2018年12月15日『琉球新報』社説「辺野古へ土砂投入 第4の「琉球処分」強行だ」より。

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この光景は歴史に既視感を覚える。沖縄が経験してきた苦境である。

政府は、名護市辺野古沿岸に米海兵隊の新基地を造るため埋め立て土砂を投入した。昨年4月の護岸着工以来、工事を進める政府の姿勢は前のめりだ。9月の知事選で新基地に反対する玉城デニー知事誕生後わずか約1カ月後に工事を再開し、国と県の集中協議中も作業を進めた。手続きの不備を県に指摘されても工事を強行し土砂を投入したのは、基地建設を早く既成事実化したいからだ。

県民の諦めを誘い、辺野古埋め立ての是非を問う県民投票に影響を与えたり、予想される裁判を有利に運ぼうとしたりする狙いが透けて見える。

辺野古の問題の源流は1995年の少女乱暴事件にさかのぼる。大規模な県民大会など事件への抗議のうねりが沖縄の負担軽減に向けて日米を突き動かし、米軍普天間飛行場の返還合意につながった。

ところが返還は県内移設が条件であるため曲折をたどる。関係した歴代の知事は県内移設の是非に揺れ、容認の立場でも、使用期限や施設計画の内容などを巡り政府と対立する局面が何度もあった。

5年前、県外移設を主張していた仲井真弘多前知事が一転、埋め立てを承認したことで県民の多くが反発。辺野古移設反対を掲げる翁長県政が誕生し玉城県政に引き継がれた。県内の国会議員や首長の選挙でも辺野古移設反対の民意が示されている。

今年の宜野湾、名護の両市長選では辺野古新基地に反対する候補者が敗れたものの、勝った候補はいずれも移設の是非を明言せず、両市民の民意は必ずしも容認とは言えない。本紙世論調査でも毎回、7割前後が新基地建設反対の意思を示している。

そもそも辺野古新基地には現行の普天間飛行場にはない軍港や弾薬庫が整備される。基地機能の強化であり、負担軽減に逆行する。これに反対だというのが沖縄の民意だ。

その民意を無視した土砂投入は暴挙と言わざるを得ない。歴史的に見れば、軍隊で脅して琉球王国をつぶし、沖縄を「南の関門」と位置付けた1879年の琉球併合(「琉球処分」)とも重なる。日本から切り離し米国統治下に置いた1952年のサンフランシスコ講和条約発効、県民の意に反し広大な米軍基地が残ったままの日本復帰はそれぞれ第2、第3の「琉球処分」と呼ばれてきた。今回は、いわば第4の「琉球処分」の強行である。

歴史から見えるのは、政府が沖縄の人々の意思を尊重せず、「国益」や国策の名の下で沖縄を国防の道具にする手法、いわゆる植民地主義だ。

土砂が投入された12月14日は、4・28などと同様に「屈辱の日」として県民の記憶に深く刻まれるに違いない。だが沖縄の人々は決して諦めないだろう。自己決定権という人間として当然の権利を侵害され続けているからだ。
posted by Lily at 11:36 | 政治と憲法
2018年12月09日

197.どんなに低空を飛んでもかまわないオスプレイの話

オスプレイは「未亡人製造機(ウィドウ・メーカー)」との異名をもつ。オスプレイはそれほど危険だということだ。そんな危険なオスプレイは、この日本の空をどれだけ低空で飛んでもかまわない。なぜなら最低高度が「平均150メートル」だからである。
「最低高度150メートル」ではなく「平均高度150メートル」である。要するに、「どんな低空飛行も許される」ということだ。「飛行高度平均が150メートル」は「150メートル以下の飛行もあり得る」ことを意味する。以下、前泊博盛『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』(2013)pp.5-7より。

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 2012年7月、オスプレイ(MV22)という新型軍用機の日本への配備が決まる過程でだれの目にも明らかになったことがあります。
この「未亡人製造機」と呼ばれるほど危険な12機の軍用機(MV22は、沖縄の普天間基地に配備されたものですが、その前にまず山口県の岩国基地に運ばれ、普天間基地に配備されたあとも、沖縄と本土の上空で平均150メートルの超低空飛行訓練を実施することが明らかになったのです。
ここでみなさんに注目してほしいのが、「平均150メートル(500フィート)」で超低空飛行訓練をするという、米軍発表の内容です。なにかおかしくないですか?
そう。普通、飛行機はもっと上空を飛んでいますよね。それが超低空飛行をするから問題になっているのに、なぜ「平均」の高度で発表されるのでしょう。そもそもいつからいつまでの平均なのでしょう。よく考えてみると、一番問題なのは安全性なのですから、規制されるべきなのは「最低高度」のはずです。なのにそれをなぜ「平均150メートル」での飛行訓練と書くかといえば、

@日本の航空法令で決められた最低安全高度(人口密集地以外)が150メートルだから
A「平均」というのはそれ以下の高度で飛ぶことがあるから

なのです。事実、海兵隊の訓練マニュアル(「MV22B訓練/即応マニュアル」2010年3月)によると、オスプレイには最低高度60メートルでの訓練が求められています。
 絶対におかしいですよね。車におきかえてみると、
「米軍の車両に関しては、高速道路の時速制限は『平均100キロ』とする」
と言っているのと同じことなのです。つまり日本の法律を守るつもりは、初めからないということです。どうしてこんなことが許されるのでしょう。
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理不尽ではないか。
posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2018年12月02日

196. イージス・アショアに隠された本当の目的

もしもこの話が本当なら日本人ほどおめでたい国民はいない。日本がべらぼうな値段で購入しているあの「イージス・アショア」。あれを日本に配備する本当の目的とは? 以下、[伊藤真・神原元・布施祐仁『9条の挑戦−非軍事中立戦略のリアリズム』p183]から。

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 北朝鮮は日本全土をほぼ射程に収めるミサイルを数百発配備しているとみられており、能力的には脅威となり得ます。しかし、発射から7〜8分で日本に到達するミサイルを、すべて迎撃するのは困難です。「飽和攻撃」と言って、こちらの迎撃能力を超える量のミサイルを一度に打ち込まれた場合は、なおさらです。しかも、日本海の沿岸部には27基もの原発が存在し、それらにミサイルが命中した場合、広範囲にわたって壊滅的な被害を受ける可能性があります。

 それにもかかわらず、日本政府は原発に迎撃ミサイルを配備していません。この事実一つをとってみても、日本政府は北朝鮮の弾道ミサイルの脅威を差し迫ったリアルなものとして捉えていないことがわかります。

 それにもかかわらず、日本政府はこれまでに、実に5兆円を超える税金をミサイル防衛のために使ってきました。そして、さらに5000億円をかけてイージス・アショアをアメリカから購入するというのです。

 また、イージス・アショアも含めて日本のミサイル防衛システムはアメリカのミサイル防衛システムに組み込まれており、アメリカ防衛を最優先に運用される可能性が高いと言えます。アメリカがイランのミサイルの脅威を理由にルーマニアとポーランドに配備したイージス・アショアも米本土に向かうミサイルの迎撃が最大の目的となっていますが、日本のイージス・アショア導入も米本土や米太平洋軍の拠点であるハワイやグアムの防衛に貢献することが隠された本当の目的です。
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どうだろう、この話? ひょっとしたら日本国民はそろそろ目を覚ましていいころかもしれない。

posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法