2018年03月25日

160.ベアテ女史の憲法観

親日派のアメリカ人であるベアテさん曰く。「第9条は全世界のために必要であると考えます。だから変えないで、ほか国々にも教えて、モデルとして認めてもらい、それぞれの国の憲法にも入れたらいいのではないかと思うんです」「日本が平和の指導者になればいいと思うんです」

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ーーーーーよく日本の憲法が占領軍に押しつけられたというように批判されますが、それについてどう思いますか。

ほかの人に何かを押しつけるときにですね、自分のものよりいいものを押しつけないでしょ。日本の憲法はアメリカの憲法よりすばらしい憲法ですから、「押しつけた」とは言えないだろうと思います。日本の国民はほんとうに喜んで受けました。前からそういう権利を望んでいたんです。男性もそうだった、明治憲法には男性もあんまり権利がなかったんですよね。女性はもちろん全然金がなかったですけど。男性もずいぶん困っていましたよ。だからほんとうに日本の国民が権利を望んでいたっていうことはよくわかりました。

もう一つ、外から来た憲法であるから改憲しなければならないと思う人たちがいますが、日本は歴史的にいろんな国からいろんなものを導入し、それを自分のものにして、もっといいものにしたこともずいぶんありますね。たとえば中国から漢字が来ましたでしょ。仏教はインドと中国から。そして陶器、雅楽などがありますね。みんな外から来て日本のものになりました。だからいい憲法だったらそれを受けて、いいように使えばいいじゃないかって私は思うんです。

ーーーーー第9条を米軍から押しつけられたということで、いま改憲の対象になっているんですけれど、それについてどう思いますか。

第9条は全世界のために必要であると考えます。だから変えないで、ほか国々にも教えて、モデルとして認めてもらい、それぞれの国の憲法にも入れたらいいのではないかと思うんです。いまは、チャンスです。日本が平和の指導者になればいいと思うんです。いまはどこに行っても戦争が起こっているので、新しい考え方で、何かしなければならないと思います。恐ろしくなりますよ。ほんとうに。「わあ、危ない、危ない」ていう感じなんですよね。
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※引用参考データ:『映画 日本国憲法 読本』pp138-140(2005)有限会社フォイル
posted by Lily at 14:16 | 政治と憲法
2018年03月18日

159.「女性の権利」を書いたベアテ女史ー憲法第24条ができるまでー(3)

ベアテ・シロタ・ゴードンさんは1945年12月に再来日し、翌年2月に憲法草案を作成した。その当時の女性たちの様子が以下のインタビュー記録にのこされている。

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ーーーーー東京に着いたときには、街を見てだいぶショックを受けたでしょう。

ええ、ショックだった。ほんとうに全部破壊されていました。残ったビルは、第一生命と日比谷のそばの建物だけだった。とても悲しかった、店もあんまりなかったので、ものを買うために長い行列ができ、2時間も3時間も待たなければならなかった。そして女性が子どもをおんぶしてそこに立っている。たいへんでした。

ーーーーーそういう食料も住宅もないところで、いろいろな政党を作ったり民主主義に参加しようという精神があったんですか。

ええ、ありました。ほんとうに驚きました。女性がすごく強い精神と体をもっている感じだったんです。加藤シヅエといった人たちが、政治的なことについて興味をもって、女性たちを集めていました。私の記憶では、女性のほうが男性よりすごかったと思います。1945年の12月の頃は、女性の方がいろんなことをやってみて、食料とかいろんなものを集めるために何でも一生懸命やっていました。男性もやっていたと思いますが、目立ったのは女性でした。

ーーーーー憲法の草案を作成したのは、そういう雰囲気のなかなんですね。

そうです。極秘だったから、私たちは日本の女性と話すことができなかったんです。しかし運営委員会が、社会党や日本憲法研究会など、いくつもの草案を集めていたんです。ケーディス大佐などはそれを見ていた。だからいろんな意見が、彼らのもとに入ったんです。しかし女性の権利については誰も何も私に言わなかった。ほんとうに自分でやらなければならなかったんです。日本の女性はまったく権利がなかったから、権利を作るのはそんなにむずかしくなかった。でも、日本では1885年から婦人参政権の運動が始まっていた。だから参政権をもらいたいっていうことも、ずいぶんいろんな女性の心にあったんです。運動もありました。市川房枝先生に加藤シヅエ先生たちがいました。だからあの人たちの声も草案には少し入っています。日本の方とその1週間の間に話すことができませんでしたが、あの人たちが期待していることはよくわかりました。
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日本では1885年から女性たちの参政権を求める運動が始まっていた。そうした女性たちの声を、ベアテさんは憲法に反映させようと第24条を起草した。この条項を見た当時の日本政府は女性の権利に強く反対した。しかし、ベアテさんが起草した第24条は、GHQによってのこされた。日本国憲法草案が新聞で発表されると、日本国民の多くはこれを歓迎した。そして戦後初の普通選挙で選ばれた女性議員を含む国会で審議され、日本国憲法は成立した。結婚は当事者である男女の合意だけで成立することになった。また、家族内で男の子と女の子が平等となった。

改めて。
第24条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】
@ 婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
A 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

※引用参考データ:『映画 日本国憲法 読本』pp136-138(2005)有限会社フォイル 、
「シリーズ 今、憲法が危ない!D 日本国憲法第24条―女性の権利―について(その1)」
posted by Lily at 16:30 | 政治と憲法
2018年03月11日

158.「女性の権利」を書いたベアテ女史ー憲法第24条ができるまでー(2)

「日本の女性は戦争前には全然権利がなかったでしょ。だから私はできるだけいろんな権利のことを憲法に書きたかったんです」。ベアテ女史の言である。

1923年生まれの彼女は5歳半の時にピアニストの父親とともに来日。戦前は日本の子供たちと遊び、互いの家に行き来するなど日本の生活を体験し、日本語を習得した。1939年に単身でアメリカに渡り、カリフォルニアの女子大へ。終戦後の1945年の12月、日本にいる両親に会うためGHQ民政局に職を得て再来日。翌年2月、マッカーサー元帥の命令により憲法草案作成に携わることになる。この大仕事に親日派のベアテ女史はどのようにとり組んだのか。以下は彼女自身が語る当時の模様である。

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憲法を書くのだったら、何か参考にしなければならないと思い、すぐジープに乗っていろんな図書館を探しました。ほかの国のいろいろな憲法を見たかったんです。リサーチのために。ほんとうに東京は破壊されていたので、どこへ行ったかは全然覚えていません日本人の運転手が図書館を探してくれたんです。あまり建物がなかったからたいへんだったと思います。なぜいろんなところへ行ったかというと、1カ所の図書館だけに行くと、館長さんがなぜ司令部の代表がそんなに憲法に興味があるのかと疑うかもしれないからです。これは極秘でしたからね。あっちい行って2冊だけ借りて、今度はほかのところへ行って。10冊くらいありました。ドイツのワイマール憲法とソビエトの憲法とスカンジナビアのいろんな国の憲法など。本を事務所に持って帰ると、引っ張りだこになりました。みんな見たがりました。ほかの草案を書いている人も参考になるので、みんなに貸してあげました。

朝から晩まで憲法を読んでびっくりしたのは、ヨーロッパの憲法には基本的な自由だけじゃなくて、女性のために社会福祉の権利も入っていたんです。それはアメリカの憲法にはなかった。でもヨーロッパの憲法にはずいぶんたくさんあったんです。私はいろんな憲法をよく見て、何が日本の社会に合うか考えました。日本の女性は戦争前には全然権利がなかったでしょ。だから私はできるだけいろんな権利のことを憲法に書きたかったんです。社会福祉の権利のことも入れたかったんです。
(pp.130-131)
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「日本の女性は戦争前には全然権利がなかった」ことを、ベアテ女史はその目で見て知っていた。日本の妻たちは夫のためにいろいろな世話をする。夫が会社から同僚を連れ帰ると食事を出す。妻が全てをやり、サービスをし、会話には立ち入らず、一緒に食べることはしない。家の外では夫より前には出ず、後ろをついて歩く。「私は日本の社会のなかに入っていたから、女性が圧迫されていることを自分の目で見ていました」(p.133-134)。こうした経験が大きく影響したのだろう、ベアテ女史は男女平等について非常に関心をもっていたそうだ。

男女平等。今ではすっかり当然視されている。もちろん概念の上での話であるが。

あらためて憲法第24条である。

第24条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】
@ 婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
A 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。


※引用参考データ:『映画 日本国憲法 読本』(2005)有限会社フォイル
東京都公立学校教職員組合「シリーズ 今、憲法が危ない!D 日本国憲法第24条―女性の権利―について(その1)
posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2018年03月04日

157.「女性の権利」を書いたベアテ女史ー憲法第24条ができるまでー(1)

ベアテ・シロタ・ゴードン(Beate Sirota Gordon:1923-2012)。日本国憲法GHQ草案作成メンバーで、憲法第24条(家族生活における個人の尊厳と両性の平等)を書いたとされる人物である。

ベアテさんいわく「日本の女性は戦争前には全然権利がなかったでしょ。だから私はできるだけいろんな権利のことを憲法に書きたかったんです」(『映画日本国憲法読本』p131)。
実際、大日本帝国憲法(=明治憲法)の下では、女性の権利など無いに等しかった。以下、ご参考までに見られたし。

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大日本帝国憲法下の明治民法では、「戸主」を頂点とする家制度が定められていました。戸主権は長男が相続し、女性と長男以外の男性は差別されました。結婚は家と家の間のもので、女性は結婚式で初めて夫の顔を見ることさえ珍しくありませんでした。結婚した女性は、一切の決定権を持たない「無能力者」として扱われ、自分の財産も持てず、選挙権もありませんでした。妻妾同居さえありました。子どもの教育権もなく、学校では、母親が来るのに「父兄会」と言っていました。母親は父や兄(長男)の代理にすぎなかったからです。
(2013/06/28「東京都公立学校教職員組合」のホームページ:「シリーズ 今、憲法が危ない!D 日本国憲法第24条―女性の権利―について(その1)」)
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ベアテさんが書いた「女性の権利条項」たる24条はGHQの憲法草案に受け入れられ、これが新聞で発表されると、日本国民の多くが喜んだ(日本政府の方は強く反対していたが)。

24条を含むこのGHQ草案。選挙で選ばれた議員による国会で審議された後、日本国憲法として成立した。

あらためて憲法第24条である。

第24条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】
@ 婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
A 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。


※引用参考データ:『映画 日本国憲法 読本』(2005)有限会社フォイル
東京都公立学校教職員組合「シリーズ 今、憲法が危ない!D 日本国憲法第24条―女性の権利―について(その1)

posted by Lily at 19:23 | 政治と憲法