2018年02月25日

156.「9条は懲罰」か?

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第9条は、まるで戦争を行なった懲罰として日本に科せられたもののように言われることがあります。右翼の人々が「あの侮辱的な清掃の懲罰にいつまで耐えなければならないのか。もう解き放たれてもいい時期ではないか」と言うのもそのためですね。
(『映画 日本国憲法 読本』p93)
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上記に対し、ジョン・ダワー氏はこう述べている。

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保守的な評論家も、右翼的な評論家も、間違っているとは思いません。あの当時、日本に科せられた政策の中には、背景に懲罰的な意識が働いていたものがあります。

しかし、それらの懲罰も高邁(こうまい)な理想主義と無縁ではありませんでした。懲罰とは、すなわち日本から軍隊をもつ権利を剥奪することですが、マッカーサーも、そして当時の多くの人々も、それを懲罰とは考えませんでした。マッカーサーにとってそれは、日本が再度、信頼されるに値する国であることを世界に証明するための手段だったのです。

マッカーサーはまた、この第9条を、日本がアジアの中で違った性質のリーダーになるための手段とも考えていました。彼の見解には非常に興味深いものがあります。アメリカ側が日本の再軍備を望むようになったのは、冷戦が国際政治を支配し始め、朝鮮戦争が始まる前のことです。しかしマッカーサーは頑として首をタテに降りませんでした。

彼は「日本はアジアのスイスになれる」という、たいへん有名な言葉を残しています。日本は利害の衝突や侵略行為に巻き込まれることのない反軍事主義のシンボルになれる、アジアにおいてはスイス以上の意味を持つ非武装国家のモデルになれると考えたのです。

こうした考え方は懲罰とは違います。日本が世界の信頼を取り戻すために必要な思想でした。第2次世界大戦末期の1945年頃、日本は世界中から嫌われ、特にすべてのアジア人から憎まれていました。「日本は何を象徴している」と聞かれれば、誰だって戦争と侵略を思い浮かべたでしょう。

「この状況が変えられる」とマッカーサーが考えました。「あれほど軍事的だった国でも方向転換できる、世界の諸問題を平和解決するモデルを示せる。そういう意味で、日本は平和の象徴になれる」と。

この憲法は天皇を象徴として戴くだけではない。侵略的な力を所持したり、紛争解決を武力に頼らなくても大きな影響力をもつのは可能なのだ。この憲法はそれを世界に示すための象徴をも戴いていると考えたのです。懲罰ではありません。高邁な理想主義の産物です。
(『映画 日本国憲法 読本』p93-95)
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いかがであろう? 「懲罰」と聞くと面白くない。不名誉かつ不快に思う。が、懲罰であろうがなかろうが、筆者はどちらでも良いと思っている。大したことではない。それより、9条が日本の180転換に大きく影響したということの方が重要だ。反感から好感へ。これは9条に負うところが大きい。「高邁な理想主義の産物」。いい響きではないか。

※引用参考データ:『映画 日本国憲法 読本』(2005)p93-95
posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2018年02月18日

155.ニクソンいわく「憲法9条は間違いだった」

改憲を望んだのはアメリカ側。こう語るのは歴史家のジョン・ダワー氏である。「理由は朝鮮戦争の勃発にあり」との説を、筆者は様々に耳にしてきた。ダワー氏もその1人であるが、シンプルに言えば、日本にもアメリカの戦争を手伝わせたい、といったところであろうか。以下、ダワー氏へのインタビューより。

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日本国憲法が施行されたのは1947年です。翌48年までに、中国の共産党政権が樹立されることが確実となりました。冷戦は目に見えて激化していきました。そして1949年、いよいよ中華人民共和国が誕生し、1950年には朝鮮戦争が勃発したのです。

その頃になると、アメリカ側は「日本非武装化の方針は好ましくない。再度、武装してアメリカと共に戦ってほしい」と考えるようになりました。朝鮮戦争に参加し、アメリカと共に戦ってほしかったのです。ヒロシマ・ナガサキ、終戦からわずか5年後のことですよ。アメリカが日本に対し、再軍備して共産主義者と戦ってほしいと望むようになったのは。

アメリカ側は日本国憲法を変えることを望み、かなり早い段階から日本に圧力をかけるようになりました。当時、副大統領だったリチャード・ニクソンは「第9条は間違いだった。改憲すべきだ」と公言しました。しかし、それは実現しませんでした。なぜでしょう。

その理由もまた複雑だと思います。政治的かつイデオロギー的だと思うのです。1945年から47年の日本には理想主義が根強く存在していました。民主的で反軍事的な国になること。戦争ではなく平和の象徴となること、そして世界にとって真のモデルとなること。日本がそういう特異な存在になることを目指していました。そうした理想主義はその後、何十年間も国民の間に生き続けました。しかし、その度合いは年々弱まっていきました。逆に反対論者が増え、今日の状況を迎えています。
(『映画 日本国憲法 読本』pp.92-93)
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※引用データ:『映画 日本国憲法 読本』(2005)有限会社フォイル
posted by Lily at 20:17 | 政治と憲法
2018年02月11日

154.恩恵

例えば酸素。吸うたび意識している人は稀だろう。でも酸素なしでは生きてはゆけぬ。なくなってからでは遅いのだ。窒息しかけでもしたら気づくだろうか。

われらが憲法。恩恵にどれほど浴してきたことか。一生を支える憲法を今一度ふりかえる。

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新しい命が誕生。出生届を出すと、親の社会的立場や財産で差別されることなく健康診断や予防接種の案内が送られてくる。人は生まれながらにして基本的人権を持ち(憲法一一条)、個人として尊重され、幸福を追求する権利が認められている(一三条)のだ。

六歳になると、みんなが小学一年生に。子どもには教育を受ける権利、保護者には受けさせる義務があり、国も無償で義務教育を提供する(二六条)。

高校や大学に進み、好きな科目や専攻を選べるのは学問の自由(二三条)が保障されているから。これがないと、国や教師が決めた分野を学ぶことになりかねない。教師に違う意見をぶつけられるのも、思想及び良心の自由(一九条)があるためだ。サークル活動で自由な創作活動や発表ができるのは、表現の自由(二一条)があるおかげだ。

社会人になり、才能を生かした仕事に就いたり、住みたい街に引っ越したりできるのは居住・移転及び職業選択の自由(二二条)があるから。成年者で意中の人が見つかれば、親の同意なしでも二人の合意だけで結婚できる(二四条)。

妊娠、出産をした場合、産休・育休を取得できるのは勤労条件の基準(二七条)について定めがあるから。この条文は働き続ける限り、過酷な労働からの防波堤の役割を果たす。

人生に思わぬ壁が立ちはだかった時、憲法が救いの手を差し伸べることも。

実例がある。暴力を振るわれた夫と離婚し、新たな相手と出会ったものの、女性のみ再婚を六カ月間禁じた民法の規定のために苦しんだとして岡山県の女性が訴訟を起こした。最高裁は二〇一五年十二月、百日を超える部分の禁止期間は憲法一四条(法の下の平等)、二四条(両性の平等)違反との判決を下した。政府は再婚禁止期間を百日間とする民法改正案を今国会に提出した。

一三年九月には、結婚していない男女間の子(婚外子)の遺産相続分を法律上の夫婦の子(嫡出子)の半分とする民法の規定は憲法一四条違反とした和歌山県の婚外子女性の訴えを最高裁が認めた。同年、改正民法が成立。これらを含め最高裁は戦後十件の法律の規定を違憲としている。

憲法は災害や病気、加齢で働けなくなり困窮した場合でも、文化的な最低限度の生活を営めるよう、生存権と国の社会的使命(二五条)を明記している。生活保護の受給も施しではなく、権利なのだ。
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なるほどね。憲法というものは、かくもありがたきものなのか、と思えてくる。が、憲法の恩恵にずっと浴していられるか、というと、そうではない。われわれ国民の「不断の努力」が要るのである。その条文が第12条のこの箇所だ。

第十二条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。

見ての通り「〜ねばならない」と書かれている。要するに「不断の努力」は義務である。「われらとわれらの子孫」に対する義務なのだ。

※引用参考データ:2016/5/4 東京新聞【いま読む日本国憲法】
(特別編)条文 一生寄り添う 自由、人権…救いの手にも


 
posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2018年02月04日

153.グローバルに考える

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今年は、日本国憲法にとっての「正念場」の年となるだろう。安倍政権がいよいよ「改憲」を仕掛けてくるであろうことは、ほぼ確実視されるから。いまのところ、連立与党の公明党は慎重な姿勢だとされ、また、各種世論調査でも「安倍改憲」には反対のほうが多いと伝えられている。だが、公明党は政権にとどまることだけが目的の政党だから、最後には押し切られることは目に見えているし、「世論」のほうも、政権やメディアによる世論操作によってコロッと変わる危険性があるから、全面的にあてにすることはできない。政権側の思惑にのせられて「改憲ムード」を高めることになってしまうのか、それともそれを打ち砕くことができるのか、この1年が大きな分かれ目となるだろう。
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と言うお人がいる。法学館憲法研究所顧問・浦部法穂という方である。「浦部法穂の『憲法雑記帳』」というものを書いておられ、その第20回の「正念場」から引用した。

筆者もおおかたこの通りだと思う。公明党は与党でいることがお好きなようだ。これは東京都議会選挙の時にも感じたことで、あの時は自民党と手を切って、都民ファーストと手をつなぎ、依然与党でいた。それに世論というのは物事の真髄を見るのが苦手である。日本に限ったことではない。つい表面的なことに目を奪われがちだ。だから改憲派の望む通りに「コロッ」となる可能性はじゅうぶんにある。

結局何が求められるかというと、国民の物事を正確に見抜く力だろう。洞察力といってもいい。だからそれなりの教養が必要だ。知ることは力なり。視野を広くもち、様々な考え方に出会うことが必要だ。こと憲法9条に関しては、日本人の見方に限らず、である。そんなわけで、筆者は外国の方の視点を持ち込むことを結局的にしようとする。こちらをご覧あれ。

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私はこの憲法第9条は非常に高尚な憲法だと思います。まるで、神が私たち人類に贈ってくれた宝物のようです。しかし、年輩者がだんだんとこの世を去り、歴史的事実・歴史の傷痕について何も知らない多くの若い人々が増えました。今日まで日本は平和憲法は何十年も堅持してきたにもかかわらず、若い世代が過去の民族主義の道を歩もうとして、憲法9条を変えようとしているのです。そのようなやり方は愚かだし、非常に危険な行為です。私は第9条を守ることは日本人の責任だけではなく、私たち、現代に生きる人類の責任でもあると思います。私たち人類の急務だと思います。
班忠義(『映画 日本国憲法 読本』p37)
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ご覧のごとく、「現代に生きる人類の責任」として憲法9条を守るという。この班忠義(バン・チュンイ)というお人、中国の作家で映画監督の方である。してみると、憲法問題を考える際にはグローバルな視点が必要な気が、ますますしてくる。日本と「今の」アメリカの関係にのみ目を向けるべきではない。

このブログではこれまでにも度々アメリカの方やドイツの方の憲法観を取り上げてきた。引き続きそうしていこうと思う。

※引用参考データ:『映画 日本国憲法 読本』(2005)有限会社フォイル、
2018年1月22日 法学館憲法研究所 浦部法穂の「憲法雑記帳」第20回 「正念場」





posted by Lily at 16:56 | 政治と憲法