2018年01月28日

152.押しつけですとも。民衆から政府への、ね。

安倍首相の憲法観が常識的なそれとは全く違うということを、筆者も長らく気にかけてきた。憲法の定義そのものが違うのだ。一国の首相ともなれば最も憲法尊重擁護義務を負うべき人物である。憲法を変える変えない以前の問題だ。

小沢一郎さん。数日前のツイートでこういうことを言っている(こちら↓)。
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安倍総理はまだ「国のかたち、理想の姿を語るのは憲法だ」などということを言っている。周りに法律の専門家はいないのだろうか。憲法は国のかたちや伝統、理想をお花畑的に語るものではない。今のように暴走する権力から国民やその権利を守るためにこそある。もういい加減に憲法を理解してもらいたい。
2018/01/25 16:42
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誰か首相官邸に行ってレクチャーして来てくれないだろかと思う。が、レクチャーして来なくていい。ご本人が本でも読んで、憲法の本質を勉強してくれたらそれでいい。専門家でもなんでもない筆者だって知っている。現行憲法が何のためにあるかといえば「政府に二度と戦争させないため」だ。「国民の基本的人権を徹底的に守るため」だ。だから、国民から政府に「押しつける」。この意味で「押しつけ」であっていいのである。日本人ではない、アメリカの人だってこう言っている(↓)。

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押しつけ憲法だからいけないとは言えません。いい憲法はすべて、政府に対して押しつけられる形で制定されたんですよ。

立憲政府へのステップはすべて、政府に対する下からの突き上げによって成り立ってきました。フランス革命が初めてのフランス共和国憲法を成立させ、アメリカ革命が米国憲法を成立させました。すべての優れた憲法は何らかの形で、通常は民衆が政府に、押しつけてきたんです。

日本国憲法を政府に押しつけたのは、数か月の間だけ続いた、占領軍と日本国人による一種の短期同盟でした。同一の目的をもつ彼らが、政府の権力を制限する憲法を日本政府にのませたんです。だから、その頃から現在に至るまで、政府の人々の立場からすると、押しつけられた、彼らの権限を制限している、と感じるんでしょう。実際、制限しているんですからね。でも、日本や日本国民に押しつけられたのではありません。また、これだけ長続きしているのは、日本の人々が政府に押しつけ続けてきたからです。
(政治学者 C.ダグラス・ラミス 『映画 日本国憲法 読本』p21)
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(↑)をみて改めて思った。為政者が「押しつけられた」と感じているのなら、それはその憲法が優れた憲法だということだ。首相が「変えたい」と必死なら、なおさらそうだということだろう。


※引用参考データ:『映画 日本国憲法 読本』(2005)有限会社フォイル、
小沢一郎事務所のツイッター

posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2018年01月21日

151.憲法9条の国連決議を

在日のドイツ人学者を中心とする市民運動がある。国連に働きかけ、憲法9条を支持する決議の採択を目指している。もしもこれが実現すれば、核兵器廃絶を超え、戦争廃絶の大きな一歩となる可能性はあるだろう。が、はたして上手くいくだろうか。実現を目指すならば、まずは1人でも多くの人がこの活動を知らねばならない。そこで以下である。1/6の東京新聞より。

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国連総会で憲法九条の支持決議の採択を実現させるという壮大な目標を掲げ、埼玉県日高市に住むドイツ人平和歴史学者や日本の政治学者らが市民運動を始めた。最初の活動として、国連代表部や世界約二十カ国の非武装国の在日大使館に、協力を求める趣意書を送付する。「戦争の放棄と戦力不保持をうたった九条は、世界から戦争をなくす最強の『武器』だ。運動にぜひ参加してほしい」と市民らにも賛同を呼びかけている。 

ドイツ人学者はクラウス・シルヒトマンさん(73)。一九九二年に来日し、九条を評価する立場から幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)元首相を研究。幣原が四六年一月二十四日に連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー最高司令官と会談した際、九条を発案したとの日本提案説に立つ。小学館の学習漫画「少年少女日本の歴史」は、九条発案者を幣原と紹介していたが、ある時からマッカーサーに変えた。シルヒトマンさんはそのことに気づき本紙は二〇一六年十一月六日朝刊で報じた。

記事を読んだ日高市の政治学者大森美紀彦さん(65)がシルヒトマンさんと会い、意気投合。知人の大学非常勤講師阿部一智さん(65)、元東京都職員上原稔男さん(72)らも参加して、一七年秋に九条の意義を学ぶシンポジウムを開催し、市民運動を立ち上げることを決意した。「SA9(憲法九条を支持せよ)キャンペーン」と名付け、大森さんが代表幹事、シルヒトマンさんが顧問に就任した。

設立趣意書では、トランプ米大統領らを念頭に「世界は『自国第一主義』の暗雲に覆われている」と懸念を表明。九条を、大戦の反省から誕生した国連の平和理念の「正当な後継者」と位置付け、日本人が世界に九条を発信する責務とともに、賛同国を増やして国連決議を採択する必要性を説いている。

当面の送付先は、憲法で常備軍の保持を禁じるコスタリカをはじめ、アイスランドやモナコなど非武装国で、反応を踏まえ活動範囲を広げる考え。シルヒトマンさんは「九条と同じ平和条項は、スイスやスウェーデンといった欧州各国などにも見られる。国連が九条を支持すれば、加盟国が武装解除する大きな起爆剤となる」と訴える。問い合わせは大森さん方=電話042(978)9400=へ。
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電話番号まで明記されている。本気と覚悟のほどが窺い知れよう。記事には「趣意書のポイント」としてこう書かれている。「日本は自衛隊を保有しているが、9条のおかげで他国にない抑制的な運用が可能になっている。結果として諸外国と友好関係を築け、自由と安全のバランスがほどよく取れた国として存在感を示している」「平和的手段により平和の達成を目指す国々に9条を発信することは、日本人の務めである」。

そう。「日本人の務め」。これなのだ。「9条さえ唱えていれば平和が自動的に手に入る思っている口先だけのおめでたい平和論者」の類のレッテルを、そうやすやすと貼らせようとは思わない筆者が、常に常に考えていることである。
 
※引用参考データ:2018/1/6東京新聞
posted by Lily at 18:13 | 政治と憲法
2018年01月14日

150.「1927年の人形交換」

人間が将来に備える唯一の方法は「歴史」に学ぶことである。過去に今と同じような時代があれば、その時代に学ぶ。学ぼうと努力する。これは未来に対する当然の責務だろう。以下は「青い目をしたお人形さん」の話である。2017年11月17日のジャパンタイムズより。

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1927年の人形交換(The 1927 doll exchang:By Kip A. Cates)

私たちは今、国家主義と軍国主義が高まっている時代に生きている。世界は偏見と差別にあふれている。平和を広げるために私たちには何ができるだろうか?

1つの方法は、過去を振り返り、国際理解のために努力した人々から学ぶことだ。良い例が1927年に日本とアメリカとの間で行なわれた人形交換だ。

1920年代は、日本とアメリカとの間で緊張が高まった10年間だった。日本人とアメリカ人はお互いを恐怖と不信の目で見ていた。

これに対抗するために2人の人物が行動を起こすことにした:宣教師のシドニー・ギューリックと、日本の実業家、渋沢栄一だ。彼らは一緒に、日本とアメリカの子どもたちの間で親善を深めるため、国際的な人形交換のアイディアを思い付いた。

そのプロジェクトは、ギューリックがアメリカの学校に対し、日本へ親善のための人形を送ってもらえるように呼び掛けをして始まった。アメリカ中の子どもたちが彼の求めに熱意を持って応じた。1927年までに、ギューリックは12,000体もの人形を集めた!

これらの人形はサンフランシスコから日本へ船で送られた。どの人形にもパスポート、贈り物、友情の手紙が添えられていた。

「青い目をした」アメリカの人形が到着すると、マスコミで大きな話題になった。人形を歓迎するために国家的な式典が開かれた。それから、この人形たちは、あらゆる市、町、村に、アメリカの子どもたちからの友情の贈り物として配布された。

お返しに、渋沢は日本の人形をアメリカに送る全国的なキャンペーンを立ち上げた。日本中の子どもたちがお金を寄付した。50体以上の「人形使節」―各県からの1体ずつを含む―が送られた:ミス長崎はニューヨークへ、ミス富山はケンタッキーへ、ミス高知はペンシルベニアへ、といった具合に。

この善意の波は10年以上続いた。残念ながら、国家主義と軍国主義の力の方が強まっていった。

1941年に戦争が始まると、アメリカの友情の人形は突然「敵の」人形になった。教師や生徒は、その人形を蹴り、刺し、燃やすように指示された。政府の官僚たちは人形を破壊するように命じた。

第二次世界大戦が1945年に終わり、「青い目をした」人形は歴史の中で失われたように思えた。驚くべきことに、1970年代に、いくつかの人形が発見された。戦時中、何人かの勇敢な日本人の教師と生徒は、命令に背き人形を隠していたのだ。今までに、300の人形が日本中で発見されている。

1927年の人形交換は、90年前のことだ。当時の憎しみと偏見に立ち向かおうとする2人の個人―1人はアメリカ人、1人は日本人―による勇気ある試みだった。生き残った人形は、平和と国際理解の象徴として大切にされている。どの人形にもユニークなストーリーがある。あなたの県にはいくつあるだろうか?
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歴史上の人物たちが語りかける言葉に素直に耳を傾けるべきであろう。


※引用参考データ:2017/11/17ジャパンタイムズ
posted by Lily at 16:48 | 政治と憲法
2018年01月07日

149.歴史の蹉跌を繰り返しはならない(なぜ「満州事変」なのか)

明仁天皇は、平成元年(1989年)1月9日の即位後の朝見の儀(ちょうけんのぎ)で述べられた。

「ここに皇位を継承するに当たり、みなさんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓います」

今の日本国憲法に対する強い思いが感じられよう。その明仁天皇、3年前の元旦、すなわち平成27年(2015年)1月1日に、以下のように述べておられる。

「本年は終戦から70年という節目の年に当たります」「この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、いま、極めて大切なことだと思っています」

なぜ「満州事変」なのか。これを聞いた当時の筆者は思った。なにゆえに「満州事変に始まるこの戦争の歴史」なのか。陛下があえて「満州事変」に言及されたご意図は何なのか。あえて「満州事変」に言及されたからには、なにかしら深い意味があるに違いない。そう、筆者は考えた。

(この後、このブログで満州事変以降の戦争史について取り上げることにし、実際、書いた。気が向いたらご参照されたし。ただし、お断りしておくが、あくまでも1つの見方である。よって鵜呑みにしない程度に読まれるのがよろしかろうと思うところである)

お言葉から3年経った新年。改めて「満州事変」をみておくとしよう。ここでは矢部宏治さんを拝借する。矢部氏によれば「満州事変」を一言で言うなら:

海外に住住する軍隊(関東軍)が、本国の指令を聞かずに暴走し、勝手な謀略(自分たちで南満洲鉄道の線路を爆破しながら、それを中国人による犯行としました)をめぐらして、海外の広大な領土(「満州」/現在の中国・東北地方)を占領したという出来事。この無法な軍事行動を境に、日本は満州国の建設、国際連盟の脱退、日中戦争、三国同盟、真珠湾攻撃と、破滅への坂道を転げ落ちていくことになった。
(『戦争をしない国』p85)

ふむふむと改めて思うのだ。戦後70年という節目の年の年明けに、明仁天皇がなぜわざわざ「満州事変」に言及されたのか。ひとつには、当時の憲法(これは大日本帝国憲法とも明治憲法とも呼ばれる)がこうした軍の暴走を許してしまったことに対する、国民への注意喚起であったと思われる。

われわれは歴史に学ぶべきだ。過去に生きた人々の成功にも失敗にも学ぶべきだ。先人たちの功績にも汚点にも学ぶべきだ。良いものはならえばよい。悪いものは反面教師とすればよい。

悲しいかな、何百年たっても人間は同じような失敗を繰り返す。しかしそろそろ抜け出してもいい頃だ。歴史の愚を繰り返したその先に待っているのは何なのか、真剣に考えていい頃だ。私たちは時に立ち止まって歴史に学ぶべきである。歴史の蹉跌を繰り返してはならない。


※引用参考データ:矢部宏治『戦争をしない国 明仁天皇のメッセージ』(2015)小学館
posted by Lily at 11:52 | 政治と憲法