2017年08月27日

130.信頼は憲法によって

日本は「平和の国」「戦争しない国」というイメージが定着しています。このイメージは、日本が世界の人々に好かれる大きな理由のひとつにもなっています。そしてそのことが、戦後の日本を強力に守ってきたともいえるでしょう。

しかし終戦当時の日本は世界中から嫌われていましたし、信頼されてもいませんでした。日本は軍国主義の国。日本は侵略国家でアジアの敵。(日本もアジアのひとつでありながらです。)すべては日本が始めた戦争のせいでした。では、そんな嫌われものがなぜここまで好意をもたれる国なりえたのか。そして、平和国家としてのゆるぎないブランドを築き上げることができたのか。その答えは憲法にあります。

「もう二度と戦争をしない」、いや正確にいうと「政府にもう二度と戦争させない」と憲法に明文化したからこそ、日本は今のように信頼され好かれる国なったのです。重ねていいますが、「戦争しない国」という良いイメージが、戦後の日本(日本国憲法制定後の日本)を守ってきました。だから、この側面に目を向けずに憲法改定を考えるのは、極めて危険なことだと思うのです。以下、アメリカの歴史学者ジョン・ダワー氏の言です。

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当時は世界中が日本に罵詈雑言を浴びせていました。日本が始めた戦争がどれほど無茶なものであったか、そして日本が世界からどれほど信頼されていなかったかを忘れてはいけません。

真珠湾攻撃のせいではありません。中国やアジア諸国に対する戦争のせいです。日本はアジアを破壊し尽くしました。戦時中に殺された中国人の数が分かっていません。たぶん数えられるだけでも1500万人は殺されたはずです。中国側はもっと多いと言っています。いまでは誰もインドネシアでのできごとを口にしませんが、インドネシアでも何百万人が殺されました。フィリピンでは大きな被害を受けました。そして真珠湾攻撃後は多くのアメリカ兵やアメリカ人捕虜も殺されました。

だから世界中が日本に対して不信感を抱いていたのです。世界中が日本を本質的な軍国主義国だとみなしていました。しかしマッカーサーは「そうした認識をくつがえすことは可能だ」と考えました。日本は軍国主義や侵略、抑圧のシンボルではなく、反軍国主義のシンボルになることができる。それを法制化すればいい。人権の尊重や主権在民も盛り込もう。全てを一つのパッケージにしてしまおう。そうすれば世界から尊敬を受ける国に生まれ変わることができるーー。

ドイツのナチやほか侵略国家のような侵略者のモデルになるのではなく、将来の道標のモデルになればいい。ゼロから出直して、戦争のない世界という最高の理想を体現すればいい。そうすれば信頼を回復し、占領を終わらせ、世界国家の一員に復帰することができる。アメリカ側の意向の裏には、そうした複雑な思考があったわけです。

(『「映画日本国憲法」読本』p.76-78)
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しかし、1950年に朝鮮戦争が勃発すると、アメリカ側は「日本非武装化の方針は好ましくない。再度、武装してアメリカとともに戦ってほしい」(同書p.92)と考えるようになったのですが。

※引用参考データ:『「映画 日本国憲法」読本』(2005)有限会社フォイル


posted by Lily at 18:49 | 政治と憲法
2017年08月20日

129.「米国の事情と憲法9条」について

ノルウェーの平和学者で「平和学の父」の名で知られるヨハン・ガルトゥングさん。「積極的平和」という概念の提唱者としても有名なお人です。ちなみに「積極的平和」とは、単に戦争がない状態(これを「消極的平和」と呼びます)ではなく、基本的人権が尊重され、福祉が保障されている状態のことです。念のため。

ガルトゥングさんは、何度か日本にいらしていまして、今年6月に来日された時には、犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」について、「(国民が)国家、政権への批判をしにくくなる法律だ」とおっしゃいました。

さて、そのガルトゥングさん。『日本人のための平和論』という本をお書きになっていまして、その中の一節をご紹介したいと思います。

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過去のどこかの時点で、米国は、日本が思い通りに動いてくれないのは憲法9条が邪魔をしているからだと気づき、取り除こうと思い立った。憲法9条がなくなれば、自分たちが行う他国への軍事介入に日本を参加させられるようになるからだ。
(『日本人のための平和論』p.14)

戦争は悪である ーー このことに意義を唱えるものはいない。しかし、ここにきて正反対のメッセージが日本の政治リーダーから発せられている。曰く、戦わなくてはならない戦争もある。曰く、友軍米国と力は合わせて戦うことは大義に適う。
(同著 p.15)

そこには、日本は米国に強いられて戦地に赴くのではない。対等な土俵の上に立って行動するのだ、というメッセージが潜んでいる。米国政府が書き、広く日本人に伝えるようにと自民党にことづけたメッセージである。
(同著 p.15)

結局、戦後70年以上経った現在でも、日本の政治は米国の意向で動いている。日本の政治家たちは、六本木ヘリポートに降り立つ米国の軍や政府の関係者の顔色をうかがい、ワシントンの意向を忖度(そんたく)しながら政治を行っている。日本以外の主要国で、他国の軍人や外交官がこれほど簡単に首都中枢に出入りすることを許している国は世界広しといえども他には存在しない。この光景は、今も日本が米国の占領下にあることを象徴している。
(同著 p.15-16)
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なるほどね。ガルトゥングさんによれば、日本は今でも「アメリカの占領下」にあるということで、だとすれば、「日本は決してアメリカにノーと言えない」「日本はアメリカの言うなり」なのもうなずけます。安全性が確認できるまでオスプレイを飛ばさないで下さい、と日本政府が一生懸命頼んでも聞き入れてくれなかったりするのは、やっぱ、占領下に置かれていて立場が弱いからなのでしょう。

2015年9月19日に成立した「安全保障関連法」。あれは、集団的自衛権の行使を容認する法ですから、いってみれば憲法9条を骨抜きにする法ですよね。「日本が思い通りに動いてくれないのは憲法9条が邪魔をしているからだ。憲法9条がなくなれば、自分たちが行う他国への軍事介入に日本は参加させられるようになる」と考えていたアメリカは、この法の成立をそれはそれは喜んだことだろう。と、今、あらためて感じます。

※引用参考データ:
ヨハン・ガルトゥング著『日本人のための平和論』(2017)ダイヤモンド社、
6/15 AFPBB News、
デジタル大辞林


posted by Lily at 19:04 | 政治と憲法
2017年08月13日

128.憲法9条は「謝罪」である

確かに日本は戦後にドイツが謝罪したような謝罪をしていません。「でも日本は謝罪している。憲法9条によって」。これはあるアメリカ人の言葉です。その人の名はチャルマーズ・ジョンソン(Chalmers Johnson 1931-2010)。元カリフォルニア大学教授・元CIA顧問の政治学者です。以下『「映画 日本国憲法」読本』p.29-30より。

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日本は第二次世界大戦中の侵略行為に関して謝罪しなかったとして、いまだに批判されています。少なくとも日本は、戦後にドイツが行ったような謝罪を行っていません。私が初めて来日したのは1953年、この問題がまだ熱く議論されている頃でした。そのときから感じていることですが、日本は謝罪したのです。憲法第9条こそが謝罪だったのです。東アジア諸国へ向けられた宣言だったのです。

「今後、あなた方が、1930年代から40年代に起こったような日本の軍事行為の再発を恐れる必要はありません。なぜなら、日本は公式に、そして法的にも、武力行使を放棄したからです。自衛の最終段階における行為を除いて」

憲法第9条を破棄することは、謝罪を破棄することにほかなりません。そうすれば、中国でも、東南アジアの華僑(*注)社会でも、朝鮮半島では、「日本はほんとうに謝罪したのか、戦争犯罪の重さを本当に理解する気があるのか」という問題が再燃するでしょう。

*注 華僑 長期にわたり海外に居住する中国人及びその子孫。
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憲法9条が持つ「謝罪」の意味について、われわれ日本人としても認識しておく必要がありますね。

※引用参考データ:『「映画 日本国憲法」読本』(2005)有限会社フォイル

posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2017年08月06日

127.政党助成金について(2)

疑問に思うことがあります。それは、日本共産党が受け取りを拒否している政党助成金の、その後の行き先のことなのですが、今の制度はこのようになっています。
 
「政党助成法制度は、政党助成を希望して届け出た政党に分配される仕組みになっている。もしも届け出ない政党がいた場合、そのお金は他党が分け合うことになる」。

何かおかしいと思いませんか? 共産党が受け取らなかった分を国庫に戻し、税金として国民のために使う、というのなら分かります。でも、共産党が受け取らなかった分を他党が分け合ってしまうというのは、税金の使い道としてもおかしくないでしょうか。

わたしが一生懸命に働いて納めた税金の一部が、わたしが支持しない政党へと流れて行くのだとしたら、わたしは納得できません。これまでに共産党が受け取りを拒否してきた政党助成金の総額は相当な額になるはずで、それを他党が山分けし続けてきたわけです。国に戻して国民のために使おうという発想が、なぜ出てこないのでしょうか。繰り返しますが、政党助成金は、われわれの税金です。

いっそ、共産党はちゃんと受け取った方が良いのでは? とも思うのですが、彼らの言い分はこうです。

「日本共産党の受け取り拒否によって他党のとり分が増えるのはたしかに矛盾ですが、だからといって他党のとり分がふえないように制度を手直ししてみても、憲法違反の政党による税金の山分けという本質は、何ら解決されません」。

頑固ですね。一理ありますが。やっぱり政党助成制度の廃止しかない。わたしはそう思っていますが、現に、同様の意見書を可決した地方議会もあるようです。「税金を政党助成に使うのはやめろ」という世論が高まれば、事態は変わると思います。逆にいえば、国民の世論の高まりなくしては、事態は何ら変わらないということです。

※引用参考データ:法学館憲法研究所「政党助成金違憲訴訟(1)」、
2003/7/10法学館LowJournal、
2008/5/11上脇博之「個人の意思を尊重しない政党助制度」、
日本共産党中央委員会発行「財政活動のしおり」
(発行1997.03/改訂2001.09)
posted by Lily at 11:06 | 政治と憲法