2017年07月30日

126.政党助成金について(1)

 みなさんは、毎年一人あたり250円の税金が政党に支出されていることをご存知ですか? 国民のなかには、与党支持の人も野党の支持の人もいますが、同じくどの政党も支持しないという人も少なくありません。また、支持政党のある人のなかでも、その支持の仕方・濃淡にはいろいろとあります。
 このように、国民にはいろいろな政党観や政治観があります。にもかかわらず、その違いを無視して、国民から均しく250円を徴収し政党に支出してしまうのは、国民の思想・良心の自由(消極的自由も含む)に反し、憲法19条に違反すると主張したのが、本件(=政党助成金違憲訴訟)の原告たちです。本件は、2002年3月、埼玉県の住民113人によって、東京地裁に提訴されました。
(法学館憲法研究所「政党助成金違憲訴訟(1)」より)

政党助成金法は、現在1995年から施行されています。考え方としては、国民ひとりにつき250円を政党にあげて政治活動に使ってもらいましょう、ということで、つまり「250円 × 人口=約310億円」が、各政党の議員の数や得票数の数に応じて分配されています。

交付対象となる政党の要件は
@衆議院または参議院に5人以上の議員がいること
A議員がいて、直近の国政選挙で有効投票数の2%以上の得票があること
ですが、この2つの要件を満たしているのにもかかわらず、受け取っていない政党があります。日本共産党です。

受け取らない理由は以下の通り。

 日本共産党が政党助成金を受け取らず、制度の廃止を強く主張しているのは、次の理由からです。
1、国民には政党を支持する自由も、支持しない自由もあります。政党助成金とは、国民の税金の「山分け」ですから、支持していない政党にも献金することを事実上強制する、「思想及び信条の自由」をふみにじる憲法違反の制度だからです。
2、政党の政治資金は、国民とのむすびつきを通じて、自主的につくるべきものです。税金からの分けどりは、この本来のあり方に根本的に反し、政党の堕落と国民無視の政治を助長する制度だからです。
(日本共産党「財政活動のしおり」より)

なるほど一理あると思います。みなさんはこの政党助成金についてどう思いますか? 上記の埼玉県の住民訴訟のように、違憲だと考える人も少なからずいるのではないでしょうか。


※引用参考データ:法学館憲法研究所「政党助成金違憲訴訟(1)」、
2003/7/10法学館LowJournal、
2008/5/11上脇博之「個人の意思を尊重しない政党助制度」、
日本共産党中央委員会発行「財政活動のしおり」
(発行1997.03/改訂2001.09)
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2017年07月23日

125.故・日野原重明さんのメッセージ

終戦を機会に、日本は世界にない「平和の国」になった。でも今また戦争に加担するような自衛隊になってしまうっていうことはね、僕自身の心は裂けるような思いですね。私は憲法というのを、日本こそ平和の国にならなくてはならないということを子どもに一生懸命教えてね、将来の日本を作る子どものためにはやはりね、憲法の本当のことをですね、教えたいと。

7月18日に医師の日野原重明さんが107歳でお亡くなりになりましたが、上記は103歳のときのお言葉です。以下、NHKの『私の中の戦争 医師 日野原重明さん 〜救えなかった命への誓い〜』より。後世に向けた大切なメッセージです。日野原先生の「同志」に私はなろうと思います。


■病院に近づく戦争の足音

「この病院はね、空襲はなかったんですが、憲兵隊やなんかが来てね、『チャペルの上の塔の十字架を外せ』と言うのですよ。この病院の建物の礎石に、この病院は神の栄光のためにそうして人々の福祉のためにできた病院です、と書かれているんです。憲兵隊が来てね、『礎石を取れ』っていうふうに言ってたんですよ。でもそんなことはできないでしょ?それでしかたなしにね、私たちは病院の礎石と同じちょうど畳2畳ぐらいの大きなところにね、御影石を切って、その御影石を貼り付けて釘でそれを隠してしまった。『聖路加国際病院』という名前も、よくないということでですね、『大東亜中央病院』という名前に変えられた」

「私は京都大学の医学部の2年の時に肺結核になってね、1年休学して結核の療養したんですよ。そのあと徴兵検査を受けたからこれは丙種(へいしゅ)ということになって、もう軍隊にとられないということには一応なったんですよね。その後、戦争がひどくなって、陸軍にとられれば歩兵になって戦線に行かなくちゃならないようになった時にね、海軍を志願すれば4週間のこのトレーニングで軍医ですね、海軍の少尉となる。そういうようなことができたんで、私は36歳の時にね、この聖路加病院に勤めているうちの4週間、(神奈川県の)戸塚でですね、海軍病院で訓練を受けて海軍少尉になったんです。私の海軍少尉の写真なんかもその時、撮ったことを思い出しますがね」



■多くの命を救えなかった東京大空襲

「東京大空襲の時にやけどでですね、重症のやけどで聖路加病院にどんどん(負傷者が)入院したんですが、そのやけどの患者さんがチャペルの前のロビーにね、マットレスをしいて、そこで我々は治療して」

「新聞紙を焼いて灰にして、(やけどで傷口が)じゅくじゅくしてるでしょ、これを乾かすことができないからね、灰をかけたけれども、半分以上ですね、このやけどになるとね、いくらそんなことをやってもね、死んでしまうんでね」

「戦場の第一線がこの病院の中に現れているような感じを持ちましたね」

「ちょうど戦場に行ってね、それでみんな撃たれるでしょ、血が出る。薬がないわけですよ。それと全く同じですよ。薬がないんですよ。今だったらいろいろするんですが、その時は薬はないしね、包帯もないしね。とにかくなんか押さえつけて血を留めて命をなんとか延ばしたいという気持ちになって看護師さんと一緒にね、もう時間の経過することは全く分からなかったですね。本当に悲壮そのもので、形容詞はない。そういう気持ちでしたよ」

「もう生き地獄だというようなかんじですね。生き地獄」


■“命”を考えた終戦の日


「チャペルの前のラウンジですがね、これはそうとう広いから、職員がみんなが集まるのにね、ちょうどいいということで、院長の命令で時間を早く、早めに集まって下さいと言ってね。その時、私は内科医長をやっていたんですよね。びっしりと病院のみんなが集まりましてね。天皇陛下の玉音放送があるということでですね、ラウンジスピーカーを用いて。その音を皆さんがね、座りこんでね、そして玉音を聞いたわけですよ。私はね、いちばん前に近いところにひざまずいてね、そうして玉音を聞いたわけですがね。そうしましたらね、玉音放送で、いよいよですね、日本はですね、アメリカの軍にね、無条件降伏をすることになったという天皇陛下のね、声が聞いた時はね、今でもこの天皇陛下のこのお声がね、ろうろうとしたね、声、それで少し震えるような声でね、天皇陛下が語られたのを私たち聞いてね、この瞬間ね、これでね、もう全ての戦争が打ち切りだなというふうな気持ちを持ったからね、もう何かね、魂がこう抜けたようなもうショックを受けましてね。それで天皇陛下のお声をずっと聞いたんですよ。それを聞きながらね、職員の多くの人が涙を出しました。私も涙を拭きながらね、その天皇陛下のですね、その放送の最後まで聞かされて、これでね、日本はどうなるかと」

「でもですね、やっとこれで空襲がなくなって本当にみんなの命をここで助けられたんだから、これからは立ち上がるためになんとか頑張ろうじゃないかという決心をみんなの心の中にその立ち上がる決心を抱いたのがあの日のですね、15日の大きな出来事ではなかったかと思います」

「もうね180度転向ですよ、気持ちは。私たちがね、殺されるということから、死ぬのを防ぐというより、今度はね、傷ついた人を助けて早くですね、まともな生活に復帰させて、日本を復興するために一緒に働いてくれというふうなことをですね、みんなに頼まなくちゃならないから。前向きの気持ちが強く出てきてですね、これはやはり医者として使命感、義務感がどんどん出てきてそして看護師さんと一緒にそういう行動を私はやったわけですね」

「その時のことをね、思い出せるような人はもうほんとにわずかしかなくてね、みんなその伝え話し聞くことだけでしか終戦のことを分からないわけですが、私は幸いにその時に40歳足らずでありましたけれども、ずっと今日まで私が103歳までこの生きてきたために、私がこの話をですね、伝えて、次の時代の人にね、考えてもらうということをする役割を私は今にしてですね、与えられているんじゃないかと私はこういうふうに思いましたね」

■終わらなかった“戦争”


「マッカーサーがですね、GHQを東京に開いてからね、『2週間以内に聖路加国際病院はアメリカの第42病院として使うから、病院の明け渡しをして下さい』と言ってね。2週間後には私たち職員もですね、全部病院から出てね。そしてそのごく近くにね、病室らしい病室がないんですが、わずか20床の病室を持つ有床診療所というのがですね、東京市が経営しているところがあったので、私たちはそこにですね、レントゲンの機械やいろんな機械を置いて、そしてそこで仕事を始めたという、そういうことがあったわけですよね」

「戦争中はひどい大空襲がどんどん続いてね、何もかも家も焼けてしまう。ただこの病院だけはですね、まともに焼夷弾がこないで助けられたのはね、私はキリスト教の病院だったから、これはですね、アメリカ軍が遠慮したかと思ったらね、ちゃんとこれはね、戦後にアメリカの軍病院にしたいということがあったからこれを免れたんだということが後になって分かったんですよ」

「GHQのままにマッカーサーのままにですね、受け身になって私たちは行動しなくちゃならないけれども。患者が入ってくるから、患者の命をですね、助けなくちゃならないということが続いているわけでしょ。実際どういうふうにやるかというは私たちがやらないといけないからね。私たちの責任が非常に強いということをですね、私はその時に感じましたね」

「接収された後、私は病院長に会ってね、『私は聖路加で働いていたんだけれど、この聖路加には図書館があるから、できれば図書館に入るパスをください。そして1日のうちの若干の時間でも図書館に寄って、どういう医学がアメリカにあるかを僕はですね、知りたいから』と言って希望したら、その特別なパスをくれて、私は病院に出入りをして、初めてですね、アメリカ医学がいままでのドイツ医学やそういうものとは違ったね、すばらしい医学であるということを私は発見してね。早くこのアメリカ医学を日本の学会にね、紹介しなくちゃな、という使命感を感じてね、私はですね、アメリカ医学というこの月刊雑誌をね、出版をして、そうしてですね、皆さんの教育に一生懸命になった」


■平和への思い

「終戦の時はね、もう日本には軍隊はなくなったっていうんでね、平和の国家になるんではないかということを私たちは非常に強く感じてね、日本こそね、平和の国として我々が背負っていかなくちゃならないという決心をしたことを今でも強く私は思い出します」

「ところがもうその終戦の時のことをですね、知る人は少なくなったから、残った日本人はそういうことを全然分からないから、平和ということに対する考えがね、非常に不明慮になってきたわけです」

「日本は軍隊を持たないということを宣言したのにもかかわらず、自衛隊ができたら、アメリカと自衛隊が訓練をするということになったわけですよ。今度はですね、(集団的自衛権の行使容認を閣議決定して)アメリカが行くところに自衛隊が一緒にいくとしたら日本は自己矛盾をね、本当に。終戦を機会に、日本は世界にない「平和の国」になった。でも今また戦争に加担するような自衛隊になってしまうっていうことはね、僕自身の心は裂けるような思いですね。私は憲法というのを、日本こそ平和の国にならなくてはならないということを子どもに一生懸命教えてね、将来の日本を作る子どものためにはやはりね、憲法の本当のことをですね、教えたいと」

「人の命を守るというのはね、戦争をやめてしまうという方向に持っていかないといけないから、子どもたちのためにも、多くの人にですね、語りかけているわけですね」

「私はそこで講演会をする時ははね、平和こそ目指さなくちゃならない、平和を子どもにも伝えるためには子どものですね、10歳の子どもにですね、小学校に訪問をしてですね、いのちの授業という45分の授業を始めて、毎月1回は日本のどこかの小学校に行って平和の授業ですね。授業で「いじめをなくすることと同じことだ」と。お互いに許し合うことによっていじめがなくなるように。平和というのはね、お互いが国同士が許し合うというようなことがされないと平和は起こらないということを、私はですね、あちこちで話をしているわけです」

「戦争というものはね、全て人の心、人を殺し合うこと。戦争というのは人の命を奪うことでしょ。人間に与えられた命をですね、全部ですね、非情にですね、武器を用いながら全部命を殺してしまうという。お互いに殺人をやっているという、敵味方ね」

「人が人を殺すことがよくないということをね、現実を体験した者としてみんな知らないんだからね。それをとにかく知らせようというのにね、次の時代を使う子どもにこそ、それがですね、大切であってそれを伝えることがいじめをなくすことにもなるから。今の命を無視することをね、なくするようにね、お互いにやろうじゃないか、仲良くやろうじゃないですかっていう気持ちがますます強くなって、そのために私は少しでも長い間生きていたいという望みを持っていますね」

「戦争をするということをなくすることがですね、必要であって、その思いを子どもたちにですね、私たちは伝えなくちゃならない」

「次の時代にですね、何をどのように伝えていくかを考えなくちゃならない」

「戦争体験を伝えなくてはという気持ちは非常にだんだん強くなる。つまり私も人間だから寿命があるでしょ。今103歳。何歳まで生きるか分からないけど、寿命があるのは私は分かっている。だから私は寿命がある間に伝えなくちゃならないという使命感が非常に私には強いんですね」

「私のね、講演活動は病気をする前よりも多くなった。だから私のスケジュールは非常に忙しいんですがね、それをやることが自分の使命であるというね、そういうミッションの気持ちを持って行動しているというのが私の心境です」

「今私が叫んでもね、叫んでいる声を伝える人を作らないと。そうであるなら子どもにそれを伝えることがいちばん大切だなと。そのことがいじめをなくすることにもなるからということを私はですね、ミッションという言葉、これは使命感ですね、私はそのために命があるんだなっていうその使命をね、やはり広めようというですね。命を大切にするということにサインをして欲しいと私は思っております」

「今は70年を感じる人がないから。だからそういう人に実感を持たせるような話をすることは非常に難しい。難しいですね。一から話をしなくちゃならないし。なんでも食べられる食事が十分にある時に飢えの話をしてもね、実感が与えられないようにね、今、戦後70年を記念するんだけれども、しゃべるほうは実感を感じながらしゃべるけれど、聞く人にそこまで、徹底するのは難しい。至難の業だと思いますね。でもやらなくちゃならないっていうね」

「体験した人たちは少ないけれども、やっぱり語り継がないとね、だめじゃないでしょうかね。そういう意味で同志が必要なんです、私に同志が必要です」


※出典:2015年4月5日。NHK 私の中の戦争 医師 日野原重明さん 〜救えなかった命への誓い〜

posted by Lily at 13:02 | 政治と憲法
2017年07月16日

124.もしも「共謀罪」が適用されたら

共謀罪はあまりにも問題が多いが、最大の懸念は一般市民への適用についてだろう。四月二十一日の衆院法務委員会では、盛山正仁法務副大臣が「一般の人が対象にならないということはない」と述べ、一般市民が対象になる可能性を認めている(後に修正)。とにかく警察が嫌疑をかければ、あらゆる団体やグループが「組織的犯罪集団」と見なされ、監視の対象とされてしまう。その線引きは警察の主観に依拠しており、極めて恣意的(しいてき)に行われる。
(中島岳志東京工業大教授 2017/5/29中日新聞「『共謀罪』法で一般市民は 散歩が『下見』 萎縮を憂う」より )

こういうことだそうですから、われわれ一般市民としては油断なりません。

「共謀罪法(組織犯罪処罰法等の改定)」は7月11日に施行されましたけど、これに抗議する人々が同じ日の夕方から新宿駅に集結し、抗議活動を行いました。この時『ブッ飛ばせ!共謀罪』百人委員会が、共謀罪が適用された場合の対応策(フライヤー)を配布していまして、それにはこうあります。

・警察が事情を聴きたいと言ってきたら
→応じる必要はない。聴取に応じると、話したことを逆手に取られ、逮捕される危険性がある。

・応じてしまった場合
→弁護士の選任を強く要求する。聴取の内容をメモする。

・逮捕された場合
→日本国憲法37条3項、38条1項に基づき、黙秘し弁護士を呼ぶこと。

・「共謀」を見ていたとして捜査に協力を求められた場合
→捜査への協力は強制力はなく、意に反して協力する必要はない。

・弁護士の知り合いがいない場合
→救援連絡センターに連絡(03−3591−1301)

以上、一般市民が対象になりうるからには知っておかねばと思います。

※引用参考データ:志葉玲7/12「共謀罪に問われたらどうする?新宿を反対派がジャック、対策法を配布―法律施行日に」、5/29中日新聞
posted by Lily at 20:12 | 政治と憲法
2017年07月09日

123.国民「全体の」奉仕者です

憲法第15条の2項にこうあります。
2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

つまり、すべての公務員は、全体の奉仕者なのだから、国民みんなのために存在することを意識していなければならないのであって、間違っても一部の人たちを「こんな人たち」と呼び、その反対側を「私たち」と呼ぶなどして、「全体(国民みんな)」を分け隔てたりしてはいけないように思うのですが。それにそもそも「こんな人たち」という言い方は時に悪意を感じさせるもの。安倍首相は都議選前日の7月1日に、秋葉原駅前で応援演説に立ち、聴衆から「安倍辞めろ!」の声が飛ぶと、選挙カーの上からその声の方を指さしてこう言いました。

「皆さん、あのように、人の主張の、訴える場所に来て、演説を邪魔するような行為を私たち自民党は絶対にしません!私たちはしっかりと政策を真面目に訴えていきたいんです!憎悪からは、何も生まれない。相手を誹謗中傷したって、皆さん、何も生まれないんです。こんな人たちに、皆さん、私たちは負けるわけにはいかない!都政を任せるわけにはいかないじゃありませんか!」。

(念のために申し添えますと、「自民党総裁としての立場で言った」のかもしれませんが、聞くところによると、垂れ幕には「内閣総理大臣」と書いてあり、しかも司会の石原伸晃議員は「ただいま、安倍総理が到着しました」と紹介したそうですから、やはり公務員である総理大臣としての発言と言うべきでしょう)。

こちらは東京新聞のコラムです。

▼指示語のこれ、あれ、それ、どれ。なにかを指し示しているだけでそこには判断も感情も含まれないのだが、形容動詞の「こんな」「そんな」「あんな」になると話はやや違ってくる▼「こんなことも分からないのか」「そんなばかな」。「こんな女に誰がした」(「星の流れに」)。なぜか、否定の評価や嫌い、気に入らぬという意味や感情が強くなる▼「こんな人たちに負けるわけにはいかない」。首相の先の演説での発言である。「帰れ」「やめろ」と首相を批判する聴衆にそう叫んだ言葉が頭を離れぬのは「こんな」の冷たさのせいだろう▼批判に腹が立ったか。それでもすべての国民を守るべき首相が反対派であろうと国民に向かい、悪意のこもる「こんな人たち」を使った。それが寂しい▼異論に首相が取り組むべきは説得であり、少しでも理解を得ること。「こんな」と呼ぶことは相手にせぬと切り捨てるに等しいだろう。(7/5の東京新聞「筆洗」より)

どうか全体の奉仕者であることをおわすれなきようお願いいたします。


※引用参考データ:7/5東京新聞、
7/3江川紹子「『こんな人たち』発言にみる安倍自民の本当の敗因」
posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2017年07月02日

122.「学者の会」の抗議声明

憲法第12条にこうあります。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」。 憲法が保障する自由や権利を守り抜いていくために、主権者として声を上げ、行動することが必要な時がある。今はまさにその時ではないか! このことを改めて認識させる抗議声明が、「安全保障関連法に反対する学者の会」から6月18日付で発表されました。その抗議声明文を紹介する前に、先に2015年9月20日付で発表された「安全保障関連法」に対する抗議声明を転載しておきたいと思います。こちらです。

抗議声明
2015年9月19日未明、与党自由民主党と公明党およびそれに迎合する野党3党は、前々日の参議院特別委員会の抜き打ち強行採決を受け、戦争法案以外の何ものでもない安全保障関連法案を参議院本会議で可決し成立させた。私たちは満身の怒りと憤りを込めて、この採決に断固として抗議する。  国民の6割以上が反対し、大多数が今国会で成立させるべきではないと表明しているなかでの強行採決は、「国権の最高機関」であるはずの国会を、「最高責任者」を自称する首相の単なる追認機関におとしめる、議会制民主主義の蹂躙である。
 
また圧倒的多数の憲法学者と学識経験者はもとより、歴代の内閣法制局長官が、衆参両委員会で安保法案は「違憲」だと表明し、参院での審議過程においては最高裁判所元長官が、明確に憲法違反の法案であると公表したなかでの強行採決は、立憲主義に対する冒涜にほかならない。

 歴代の政権が憲法違反と言明してきた集団的自衛権の行使を、解釈改憲にもとづいて法案化したこと自体が立憲主義と民主主義を侵犯するものであり、戦争を可能にする違憲法案の強行採決は、憲法9条のもとで68年間持続してきた平和主義を捨て去る暴挙である。
 
こうした第3次安倍政権による、立憲主義と民主主義と平和主義を破壊する暴走に対し、多くの国民が自らの意思で立ち上がり抗議の声をあげ続けてきた。戦争法案の閣議決定直前の5月12日、2800人だった東京の反対集会の参加者は、衆院強行採決前後の7月14日から17日にかけて、4日連続で、国会周辺を2万人以上で包囲するにいたった。そして8月30日の行動においては12万人の人々が、国会周辺を埋めつくした。  
これらの運動は「戦争をさせない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会」が、政治党派はもとより、思想や信条もこえた共同を実現するためにあらゆる努力をしてきたことによって形成された。「安全保障関連法案に反対する学者の会」と学生たちの「SEALDs」、そして日本弁護士連合会との共同行動も、こうした新しい運動の繋がりのなかで実現した。  
「安全保障関連法案に反対する学者の会」は学問と良識の名において組織され、発起人と呼びかけ人が発表した声明に、賛同署名を呼びかける活動によって一気に全国に拡がった。6月15日と7月20日の記者会見後、各大学において有志の会が組織され、学生、教職員はもとより、卒業生や退職者も含めた、それぞれに独自で多様な声明が発せられて、集会が開かれ、パレードが行われた。「学者の会」に寄せられた署名者の数は現在、学者・研究者14120人、市民30957人に達し、声明等の行動に立ち上がった大学は140大学以上に及んでいる。私たち「学者の会」は、知性と理性に反する現政権の政策を認めることはできないし、学問の軍事利用も容認することはできない。

 戦後70年の節目の年に、日本を戦争国家に転換させようとする現政権に対し、1人ひとりの個人が、日本国憲法が「保障する自由及び権利」を「保持」するための「不断の努力」(憲法第12条)を決意した主権者として立ち上がり、行動に移したのである。私たち「学者の会」も、この1翼を担っている。
 
この闘いをとおして、日本社会のあらゆる世代と階層の間で、新しい対等な連帯にもとづく立憲主義と民主主義と平和主義を希求する運動が生まれ続けている。この運動の思想は、路上から国会にもたらされ、地殻変動のごとく市民社会を揺るがし、生活の日常に根を下ろしつつある。ここに私たちの闘いの成果と希望がある。
 
私たちはここに、安倍政権の独裁的な暴挙に憤りをもって抗議し、あらためて日本国憲法を高く掲げて、この違憲立法の適用を許さず廃止へと追い込む運動へと歩みを進めることを、主権者としての自覚と決意をこめて表明する。

2015年9月20日
安全保障関連法に反対する学者の会

そしてこちらが2017年6月18日付「共謀罪法案」に対する声明です。

■共謀罪法案の強行採決に対する抗議声明
 2017年6月15日に、自民党・公明党・日本維新の会は、参議院において、組織的犯罪処罰法改正法案につき、法務委員会での採決を経ることなく本会議での採決を強行した。内容的にも、手続的にも、民主主義を破壊する暴挙である。
 閣僚・与党および法務省は本法案を「テロ等準備罪」を創設するものと称したが、当初明らかになった案には「テロ」の語が存在しなかった。その後も「テロリズム集団その他」の語が挿入されただけで、テロ対策を内容とする条文は全く含まれない。しかも、日本はテロ対策主要国際条約をすべて批准し、国内法化を終えていることから、組織的なテロの準備行為はすでに網羅的に処罰対象である。本立法にテロ対策の意義はない。内閣が法案提出にあたって理由とした国連国際組織犯罪防止条約も、その公式「立法ガイド」の執筆者が明言するとおり、テロ対策を内容とするものではない。
 本改正法の処罰対象は、犯罪の計画の合意と「実行準備行為」から成る、国際的に共謀罪(conspiracy)と理解されるものにほかならない。主体の要件とされる「組織的犯罪集団」には、一般の団体の一部をなす集団の性質が犯罪的なものに変化すれば該当することとなり、人権団体や環境保護団体として組織されたものも対象たりうることを政府答弁は認めている。「実行準備行為」は実質的な危険を含まない単なる「行為」で足り、無限定である。約300に及ぶ対象犯罪は、テロにもマフィアにも関係のない多数の類型を含む一方で、警察の職権濫用(らんよう)・暴行陵虐罪や公職選挙法違反など公権力を私物化する罪や、民間の商業賄賂罪など組織的経済犯罪を意図的に除外しており、国連条約の趣旨に明らかに反している。
 こうした点について国会で実質的な議論を拒み、虚偽の呼称により国民をだまし討ちにしようとする政府の姿勢は、議会制民主主義への攻撃である。さらに参議院での採決は、委員会採決を経ない手続を「特に緊急を要する」場合にしか認めない国会法に違反している。
 これらの内容・手続の問題点を問いただす公式の書簡がプライバシー権に関する国連特別報告者から首相宛てに出されたにもかかわらず、政府は質問に回答するどころかこれに抗議した。国連人権委員会においては、表現の自由に関する特別報告者によって、日本の政治家の圧力によるメディアの情報操作も公式に報告されている。国連との関係の悪化は、北朝鮮問題の解決や国連国際組織犯罪防止条約への参加を要する日本の国益を侵害している。
 ここに、本強行採決に強く抗議し、今後、市民の自由を侵害する怖(おそ)れのある法が悪用されないよう厳しく監視することと、立憲主義と民主主義を回復する勢力によって、この法を廃止することを広く社会に対して呼びかける。
2017年6月18日
安全保障関連法に反対する学者の会・呼びかけ人一同

もしもこのの2つの法が、憲法で定められている国民の自由や権利を侵害する悪法であったとして、われわれ有権者はどうすれば良いのか? いちど成立してしまった法だもの、なすすべは無いのだ、とあきらめてしまったらおしまいです。

上記の声明文が示唆するように、ひとたび成立してしまった法であっても「立憲主義と民主主義を回復する勢力」によって、その法を廃止することはできるのです。具体的な方法として、「立憲主義と民主主義を回復する勢力」を、選挙によって誕生させることもそのひとつ。もちろん、有権者として声を上げ行動に移す手段は他にもあります。大切なのは、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない」ということを常に意識し、「不断の努力」の具体的方法を模索していくことではないでしょうか。
posted by Lily at 16:54 | 政治と憲法