2017年05月28日

117.「共謀罪」に国連特別報告者が懸念

憲法第19条は思想の自由を保障しています。憲法第21条は表現の自由を保障しています。しかしこれら条項について、憲法違反の可能性のある「組織的犯罪処罰法改正案(「共謀罪法案」「テロ等準備罪法案」)が、5月23日に衆院を通過。この法案が成立するのは時間の問題だと思われます。

しかし、国連の特別報告者ジョセフ・カナタチ氏は5月18日付で、安倍首相宛に懸念の意を示す書簡を送っています。カナタチ氏の書簡には「法案の成立を急いでいるために十分に公の議論がされておらず、人権に有害な影響を及ぼす危険性がある」「どんな行為が処罰の対象となるのか不明確で、刑罰法規の明確性の原則に照らして問題がある」などと書かれています(5/22朝日デジタル)。

この国連特別報告者の書簡に対し、日本政府は反発。「この特別報告者は国連の立場を反映しない」と言ったのです。でも、国連の特別報告者といえば、各国の人権状況を調べる専門家。当然、国連の立場を反映しています。カナタチ氏は「日本政府の抗議文は怒りの言葉だけで中身がない」と反論し、声明文を出しました。以下、その日本語訳です(5/23産経ニュース)。

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 私の書簡は、特に日本政府が今回の法案を十分な期間の公的議論(public consultation)を経ず、提案された諸施策について許容される十分な考慮もないままに、法案を早急に成立させることを愚かにも決定したという状況においては、完全に適切なものです。
 私が日本政府から受け取った「強い抗議」は、ただ怒りの言葉が並べられているだけで、全く中身のあるものではありませんでした。その抗議は、私の書簡の実質的内容について、1つの点においても反論するものではありませんでした。この抗議は、プライバシー権に関する私が指摘した多くの懸念またはその他の法案の欠陥について、ただの1つも向き合ったものではありません。
 私はその抗議を受けて、5月19日の朝、次のような要望を提出しました。
 「日本政府には、法案の公式英語訳を提供することが望まれます。その上で日本政府には、当該法案のどこに、どの部分に、あるいは既存の他の法律のどの部分に、新しい法律が、私の書簡で示唆しているものと同等のプライバシー権の保護と救済が含まれているのか、または他の法律によりカバーされているのか示していただきたいです。私は、私の書簡の内容について不正確であると証明されれば、当該部分については公開の場で喜んで撤回いたします」
 日本政府は、これまでの間、実質的な反論や訂正を含むものを何一つ送付してくることができませんでした。いずれかの事実について訂正を余儀なくされるまで、私は、安倍晋三首相に向けて書いた書簡における、すべての単語、ピリオド、コンマに至るまで維持し続けます。日本政府がこのような手段で行動し、これだけ拙速に深刻な欠陥のある法案を押し通すことを正当化することは絶対にできません。
 日本政府が、その抗議において、繰り返し多用する主張は、2020年の東京オリンピックに向けて国連越境組織犯罪防止条約を批准するためにこの法案が必要だというものでした。
 しかし、このことは、プライバシーの権利に対する十分な保護もないこの法案を成立することを何ら正当化するものではありません。日本が国連条約に批准することを可能にし、同時に、日本がプライバシー権および基本的人権の保護の分野でリーダーとなる機会を付与する法案(それら保護が欠如していることで日本を目立たせる法案ではなく)を起草することは確実に可能です。
 私は日本およびその文化に対して深い愛着をもっています。さらに、私は日本におけるプライバシー権の性質および歴史についてこれまで調査してきており、30年以上にわたるプライバシー権とデータ保護に関する法律の発展を追跡してきたものです。私は、日本が高い人権基準を確立し、この地域における他の国々および国際社会全体にとってよい前例を示していただけるものと期待しております。ですので、私が先の書簡を書かなければならなかったことは、私にとって大いなる悲しみであり、不本意なことでした。
 現在の段階において、ただ一つの望みは、日本政府が私の書簡で触れたプライバシーの権利に着目した保護と救済の制度に注意を払い、法案の中に導入することです。私が書簡にて述べましたとおり、私は日本政府が私の支援の申し出を受け入れてくださるのであれば、日本政府がさらに思慮深い地位へと到達できるように喜んでお手伝いをさせていただきます。今こそ日本政府は、立ち止まって内省を深め、よりよい方法で物事をなすことができることに気付くべき時なのです。私が書簡にてアウトラインをお示ししたすべての保護措置を導入するために、必要な時間をかけて、世界基準の民主主義国家としての道に歩を進めるべき時です。日本がこの道へと進む時、私は全力を尽くして支援することといたしましょう。
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さあ、この国連特別報告者の声明に対し、日本政府は今後どう対応して行くのでしょうか?

※引用参考データ:5/26朝日新聞、5/25民進党ニュース、5/23産経ニュース「訂正するまで、安倍晋三首相に書いたすべての単語を維持する」 ケナタッチ国連特別報告者が菅義偉官房長官の抗議に再反論、5/22朝日デジタル
posted by Lily at 11:19 | 政治と憲法
2017年05月21日

116.安保闘争(1960)の時は

2017年5月19日。「共謀罪法案」「テロ等準備罪処罰法」など呼ばれるところの「組織的犯罪処罰法改正案」が衆院法務委員会で強行採決され、自民党、公明党、日本維新の会の3党の賛成多数で可決されました。

折しも1960年5月20日に自民党が衆議院で新日米安保条約を単独で強行採決しています。当時の総理大臣は岸信介で、この新安保条約(正式名称は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」)をめぐっては、各地で反対運動が繰り広げられていました。この闘争の中、東大生の樺美智子さんが亡くなった話は有名です。

この1960年の安保闘争と、今の政治情勢とは非常によく似ていると言われていますよね。そこで今回は、当時の模様について改めて把握しておきたいと思います。以下、蔭山克秀氏の『やり直す戦争史』より抜粋させていただきます:

人々の記憶には、まだ先の大戦が生々しく残っている。もう二度とあんな経験はしたくない。しかも岸は、東條内閣の閣僚で日本の宣戦布告文書にも名を連ねる“元A級戦犯容疑”だ。ひょっとしたら日本は、再び軍国主義化するのかもしれない――。

人々は1959年に結成された「安保改定阻止国民会議」の統一行動の下に集い、国会審議が始まる前から、「安保改定阻止」は学生から主婦まで参加する大衆運動に発展しつつあった。

そして1960年2月より、国会審議が始まった。日本社会党は日本をアメリカの戦争に巻き込むつもりかと猛反対し、話し合いはもつれにもつれた。

しかし5月19日、採決阻止のために委員会室で座り込みを続ける社会党議員たちを警官隊や秘書を使って強引に排除し、ついに安保改定案は、まず委員会で強行採決され、次いで翌日の本会議でも可決された。

この強行採決を機に、「安保闘争」は一気に盛り上がった。安保改定阻止国民会議の呼びかけには560万人が集い、全国各地で大規模な集会やデモが実施された。抗議集会は1959年から60年にかけてだけで6000ヵ所以上、またデモ行進は5000ヵ所以上で行われている。

また学生組織としては、日本共産党とケンカ別れした急進派学生たちが「共産主義者同盟(ブント)」を結成し、その下にあった「全日本学生自治会連合(全学連)」が、激しい反対闘争を展開した。

このように、国会議事堂の周囲は連日デモ隊に取り囲まれ、警官隊、学生、運動家、右翼団体構成員などの小競り合いが常態化した。

そして、参議院の採決がないまま日にちが過ぎていく。このまま衆議院で可決された後30日間参議院での採決なしが続けば、条約は「衆議院の優越」規定により自然承認される。

6月10日には、アイゼンハワー大統領の来日日程を協議しに羽田に来たジェームズ・ハガチー米報道官が、空港に押し寄せたデモ隊に包囲され、命からがら脱出するという「ハガチー事件」が起き、結局アイゼンハワー大統領の訪日もかなわなかった。

そして6月15日には、全学連運動家で東大生の樺美智子さんが、国会議事堂前でのデモで衆議院の南通用門から国会内に突入した際、機動隊ともみ合って圧死するという事件まで起きてしまった。

警察が一般人女性に暴力を振るい殺した――この事件はマスコミ各社から大々的に取り上げられ、岸内閣は窮地に立たされた。ここまで事態が悪化したら、誰かが責任を取るしかない。結局岸は、この条約が自然承認された四日後、首相を辞任した。
(引用おわり)

そうなんですよね。あの時は、新米安全保障条約は承認され、一方、岸内閣は窮地に陥り、岸信介は辞任。今回に関しては、どういった結末を迎えることになるのでしょう?

※引用参考データ:蔭山克秀『やり直す戦後史』
「まるで今と同じ!?今こそ知っておきたい1960年の安保闘争とデモの結末」
(2015年8月7日)
posted by Lily at 11:43 | 政治と憲法
2017年05月14日

115.NHKスペシャル「憲法70年 “平和国家”はこうして生まれた」(2)

日本国憲法の3原則は「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」ですが、この最後の「平和主義」は、憲法9条の「国際平和を誠実に希求し」という文言に明確に表れています。しかしこの文言は、もとのGHQの草案にはありませんでした。現行憲法9条のもとになったのは、GHQ草案の8条ですが、このGHQ案には「武力の威嚇または使用は永久にこれを廃棄す」とあるだけ。今の9条にある「国際平和を誠実に希求」という文言はないんですね。つまり、どういうことかというと、日本国憲法三大原則のひとつである「平和主義」の究極の文言は、日本人の手によって加えられた、ということです。

「平和」の言葉を入れるよう、とりわけ強く訴えたのは、先述した鈴木義男です。鈴木は「まず平和を愛好すると宣言すべき」「ただ戦争をしない、軍備を皆棄てるということは、ちょっと泣き言のような消極的な印象を与えるから、まず平和を愛好するのだということを宣言しておいて、その次にこの条文を入れようじゃないか」と主張しました。

日本国憲法が平和憲法といわれる所以たる第9条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」は、GHQに押しつけられたものではありません。当時の日本政治家たちが真剣な思いでつくりあげた、日本人の手による条文です。
 
ちなみにこちら。鈴木義男が残した言葉です。

「問題は憲法の規定そのものではなく、これを守る精神にある」

※引用参考データ:NHK4/3放送「憲法施行70年『平和』の言葉に込めた思い」、
4/30放送NHKスペシャル「憲法70年 “平和国家”はこうして生まれた」
posted by Lily at 20:45 | 政治と憲法
2017年05月07日

114.NHKスペシャル『憲法70年 “平和国家”はこうして生まれた』(1)

4月30日に、NHKスペシャル「憲法70年 “平和国家”はこうして生まれた」が放送されました。内容はこのようなものでした。以下、「番組内容」より引用。

日本国憲法の施行から70年。平和主義の出発点が新たな資料で明らかになった。昭和20年9月、昭和天皇は勅語で平和国家の確立を明らかにした。しかし、GHQ草案の条文には平和の文字はなかった。その後、衆議院の小委員会で鈴木義男議員の発言を機に議論があり「国際平和を誠実に希求」する条文が第九条に盛り込まれたことが明らかになった。番組では速記録をもとに小委員会をドラマで再現。“平和国家”誕生の舞台裏に迫る。(引用終わり)

改憲派の人たちは、日本国憲法はGHQに「押し付けられたもの」だと主張してきました。しかし番組は、日本国憲法がアメリカに押し付けられたものではなく、当時の日本人の議論によって作られたものであることを明らかにしました。

主として取り上げられていたのは、14名からなる「帝国憲法改正小委員会」での議論です。この小委員会は、GHQ草案をもとにした政府案の修正議論をしていました。委員長は芦田均。後に首相になる人物です。

憲法の第9条は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」で始まりますが、この中の「平和」と言う言葉は、この委員会が入れたもので、つまりGHQ草案にはなかった、ということを、番組は積極的に伝えていたように思います。

興味深かったのは、芦田均と鈴木義男のやりとりです。芦田が、「日本国民は正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、陸海空軍その他の戦力を保持せず、国の交戦権を否認することを声明す」はどうだろうかと尋ねます。これに対し、鈴木は「声明す」の削除を提案するのですが、その時の言葉を引用します。

「戦力を保持しない」「国の交戦権を否定する」と言い放せば良い。(引用終わり)

こうして第9条は日本人の手によって完成をみたのでした。


※引用参考データ:『もっとNHKドキュメンタリー』、
5/2 LITERA「9条の条文は日本人が作っていた!
NHKが日本国憲法はGHQの押し付けを真っ向否定する検証番組」
posted by Lily at 18:45 | 政治と憲法