2017年04月30日

113.組織犯罪処罰法改正案(テロ等準備罪)は憲法違反?

「テロ等準備罪」とか「共謀罪法案」とか言われていますが、この法案の正式名称は「組織犯罪処罰法改正案」です。この法案を、憲法違反だと言う人たちがいます。実際のところはどうなのでしょうか。詳しく見ていきたいと思います。

「テロ等準備罪」は、現行憲法のどの条文に違反する可能性があるのでしょうか。学識者の見識によると、13条、19条、そして31条です。

まず第13条ですが、ここでは「幸福追求の権利は最大の尊重を必要する」とされており、この幸福追求の権利はプライバシー権をも含む、とされています。テロ準備罪が成立すれば、テロ準備の証拠として私たちの電話やメールが傍受される可能性があります。電話やメールの通信傍受なしに犯罪の立証が難しいからです。だから、プライバシー権が侵害され、幸福追求権が侵されかねないという点において、憲法第13条違反の可能性があるいうわけです。

次に第19条ですが、これは「内心の自由」を保障する条文です。私たちには心の中で何かを考えたり想像したりする自由があります。国家は国民の心の中にまで踏み込んではならないのです。「テロ等準備罪」は、犯罪を犯す前の、人の内心を処罰対象にしようとする法案ですから、人の心の自由を保障している憲法第19条違反の可能性があるというわけです。

最後に憲法第31条ですが、ここでは、何をやらかしたら処罰されるのかを法律で明示するよう定めています。しかしテロ等準備罪では、何をもって準備行為とみなされるのか、はっきりしていません。つまり処罰対象となる行為が不明確なのであって、この点で、憲法第31違反というわけです。

さらに、どうしても指摘しておきたいことが。それは、この「テロ等準備罪」が処罰の対象とする277の犯罪の中に、「テロ等準備罪」が入っていないということです。多くの犯罪を準備の段階で取り締まる、という考え方自体はわからるのですが、その多くの犯罪が「テロ準備 "以外の" 犯罪」 というあたりが不思議で仕方がありません。「テロ等準備罪」の別名を持つ「組織犯罪処罰法改正案」ですが、本当の目的は他にあるのではないか? といぶかしく思わずにはいられません。


※参考データ:4/23東京新聞 「内心」「表現」の自由 侵害
「共謀罪」違憲性の指摘
posted by Lily at 13:20 | 政治と憲法
2017年04月23日

112.憲法があればこそ(2)

憲法というのは、みなさんにとって、あまりなじみのない法なのでしょうが、その果たす役割は重要です。「国家権力」という巨大な権力をコントロールし、国民一人ひとりが生きたいように生きることができるよう、自由を守ってきています(青井未帆著『憲法を守るのは誰か』p5)。

憲法は、私たちにあまり意識されることなく私たちの自由を守っている。だとすれば具体的にどう守っているのでしょうか。そして憲法がなければどうなるのでしょうか。このことについて把握しておこうと思いました。以下、2016年5月4日『東京新聞』「人の一生を支える憲法」より。


11条の「基本的人権の享有」、13条の「個人の尊重」、14条の「法の下の平等」、25条の「生存権・国の社会的使命」。もしもこれらの条文がなければ、健やかに育つのに必要な支援を受けられない子供が出てくる可能性がある。

26条の「教育を受ける権利」。これがなければ、経済的理由等で学校に通えない子供が出てくる可能性がある。

19条の「思想及び良心の自由」、21条の「表現の自由」、23条の「学問の自由」。これらの条文がなければ、好きな学問を選べない、教師と違う意見を言えない、自由にサークル活動ができない、などの可能性がある。

15条の「普通選挙の保障」。これがなければ、女性や貧しい人選挙権がなくなる可能性がある。

22条の「居住移転及び職業選択の自由」。これがなければ、決められた職業につくほかなくなる可能性がある。

20条の「信教の自由」と24条の「家族生活における個人の尊厳」。これがなければ、親が決めた相手としか結婚できず、式のスタイルも選べない可能性がある。

27条の「勤労条件の基準」。これがなければ、育児休暇を取ろうとして解雇される可能性がある。

25条の「生存権・国の社会的使命」。これがなければ、蓄えがない人は満足な医療を受けられず、年金がもらえず苦しい生活を強いられる可能性がある。

あまり意識されないがゆえ、空気にすら例えられることのある憲法ですが、その果たす役割が重要であることがわかります。それなのに、今、この憲法の力が「不当に低く見積もられている」。と私も感じているところであります。

※引用参考データ:青井未帆『憲法を守るのは誰か』(2013)幻冬舎ルネッサンス、
2016/5/4東京新聞「今読む日本国憲法(特別編)条文 一生寄り添う 自由、人権...救いの手にも」
posted by Lily at 10:37 | 政治と憲法
2017年04月16日

111.憲法があればこそ(1)

私たちは憲法の力を知らなさ過ぎるのではないか? これは、改憲ムードが高まる中で、最近とみに感じていることです。言われてみれば確かに憲法は、私たちの多くにとってなじみのない法かもしれません。現に私自身も普段から憲法を意識して暮らしているわけではありません。でも「水や空気と同じく普段あまり意識されない憲法が、私たちの平和で自由な生活を支えている」そうです。そうであるなら、改憲論議の前に、今の憲法がどんなふうに私たちの平和で自由な生活を支えているのか、よくよく知っておく必要があると思いました。以下は2016年5月4日の東京新聞に掲載されていたものです。人生と憲法の関わりを知る上で、参考になろうかと思います。


新しい命が誕生。出生届を出すと、親の社会的立場や財産で差別されることなく健康診断や予防接種の案内が送られてくる。人は生まれながらにして基本的人権を持ち(憲法一一条)、個人として尊重され、幸福を追求する権利が認められている(一三条)のだ。

六歳になると、みんなが小学一年生に。子どもには教育を受ける権利、保護者には受けさせる義務があり、国も無償で義務教育を提供する(二六条)。

高校や大学に進み、好きな科目や専攻を選べるのは学問の自由(二三条)が保障されているから。これがないと、国や教師が決めた分野を学ぶことになりかねない。教師に違う意見をぶつけられるのも、思想及び良心の自由(一九条)があるためだ。サークル活動で自由な創作活動や発表ができるのは、表現の自由(二一条)があるおかげだ。

社会人になり、才能を生かした仕事に就いたり、住みたい街に引っ越したりできるのは居住・移転及び職業選択の自由(二二条)があるから。成年者で意中の人が見つかれば、親の同意なしでも二人の合意だけで結婚できる(二四条)。

妊娠、出産をした場合、産休・育休を取得できるのは勤労条件の基準(二七条)について定めがあるから。この条文は働き続ける限り、過酷な労働からの防波堤の役割を果たす。

憲法は災害や病気、加齢で働けなくなり困窮した場合でも、文化的な最低限度の生活を営めるよう、生存権と国の社会的使命(二五条)を明記している。生活保護の受給も施しではなく、権利なのだ。


いかがでしょう? 確かにこうしてみると、私たちの人生がいかに憲法に支えられているかがわかります。ではこれらの条文がなくなったり変更されたりしたら、どうなるのでしょうか? それについて次回考えてみたいと思います。


※引用参考データ:2016/5/4東京新聞「今読む日本国憲法(特別編)条文 一生寄り添う 自由、人権...救いの手にも」
posted by Lily at 18:46 | 政治と憲法
2017年04月09日

110.教育勅語は憲法違反

小説家の高橋源一郎さんが教育勅語をわかりやすく訳しておられます。以下、ご本人のTwitter(2017/3/15)より。

教育勅語@「はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました? とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね」

教育勅語A「きみたち国民は、いま、そのパーフェクトに素晴らしいぼくたち天皇家の臣下であるわけです。そこのところを忘れてはいけませんよ。その上で言いますけど、きみたち国民は、長い間、臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです」

教育勅語B「その点に関しては、一人の例外もなくね。その歴史こそ、この国の根本であり、素晴らしいところなんですよ。そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。きみたち天皇家の臣下である国民は、それを前提にした上で、父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと」

教育勅語C「そして、友だちは信じ合い、何をするにも慎み深く、博愛精神を持ち、勉強し、仕事のやり方を習い、そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、徳と才能をさらに立派なものにし、なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません」

教育勅語D「もちろんのことだけれど、ぼくが制定した憲法を大切にして、法律をやぶるようなことは絶対しちゃいけません。よろしいですか。さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください」

教育勅語E「というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。それが正義であり「人としての正しい道」なんです。そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです

教育勅語F「いままで述べたことはどれも、ぼくたち天皇家の偉大な祖先が残してくれた素晴らしい教訓であり、その子孫であるぼくも臣下であるきみたち国民も、共に守っていかなければならないことであり、あらゆる時代を通じ、世界中どこに行っても通用する、絶対に間違いの無い「真理」なんです」

教育勅語G「そういうわけで、ぼくも、きみたち天皇家の臣下である国民も、そのことを決して忘れず、みんな心を一つにして、そのことを実践していこうじゃありませんか。以上! 明治二十三年十月三十日 天皇」


さすが高橋源一郎さん。原文の方は難解ですが、これならとってもよくわかります。それで上記のBCあたり、確かに道徳的に良い事が書かれています。親を敬い、兄弟仲良くし、夫婦も仲良く、友だちを大切に、よく学び働く立派で謙虚な人間になと言うのですから。そしてそれは社会のため天皇のため。DとEにあるように、いざ戦争が起こったら戦争に行けという。戦争を放棄している現行憲法と合いません。憲法違反です。教育勅語そのものは昭和23年に廃止になっています。当然ですね。主権在民ではなく「主権在君」という点でも憲法に矛盾しています。

憲法98条に「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」とあります。憲法は最高法規です。だから憲法に矛盾する法律や詔勅はすべて無効で教育勅語だって無効です。
posted by Lily at 12:44 | 政治と憲法
2017年04月02日

109.憲法は最高法規

憲法は「最高法規」である。と、よく言われます。でも、「最高法規」って具体的にどういうことなのでしょう? そして最高法規である憲法とふつうの法律はどう違うのでしょう? これについて憲法学者の木村草太さんは「その法を無効にするための方法の違いによる」と言います。以下は木村草太さんの説明をもとに書いたものです。

ふつうの法律は、国会の議決を経て施行される。ふつうの法律の場合、今ある法律と矛盾する別の法律が作られれば、新しい法律が優先される。これを「後法は前法を廃する」という。わかりやすい例が「消費税法」。消費税率が5%のところへ新しい法律で8%と決まれば、消費税は8%である。これに対し、憲法の場合は、憲法と矛盾する法律が新しく作られても、憲法の効力は失われない。無効となるのは新しくできた法律の方。もしも今ある憲法を無効にしたい場合には、議会の議決を経て法律を作ってもダメであって、憲法改正手続を経て憲法そのものを変えなければならない。このように憲法はふつうの法律より強い効力を持つ。ふつうの法律と区別して「最高法規」と呼ばれる所以である。

はい。なるほど確かに木村草太さんのいうように、憲法が最高法規であることは、法を無効にするための方法の違いに見てとれますね。要はこういうことなんですから。
・法律は法律を無効にすることはできる。
・法律は憲法を無効にすることはできない。
・法律は法律によって無効にされる。
・憲法は法律によって無効にされない。

法律は立法府(つまり国会)で作られます。つまり国会議員が法律を作るのですが、その法律は憲法と矛盾してはならないのですね。だから、国会議員が誤って(または憲法解釈を誤って)憲法と矛盾する法律を作ってしまっても、その法律は無効ということになる。1年前(2016/3/29)に施行された安全保障関連法。あれは集団的自衛権の行使を可能にする法です。わたしたちの憲法は集団的自衛権の行使を認めているのでしょうか? もしも認めていないのなら、この安全保障関連法は無効ということになりませんか? 今一度、憲法をよく読んで確認したいと思います。


※参考データ:2014/5/2木村草太「憲法議論の前に知っておきたい『憲法の3つの顔』」
PHP新書『テレビが伝えない憲法の話』より
posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法