2017年02月26日

104.太平洋戦争へ(13)

今さら言っても仕方ないとわかっていても、
もしもあの段階で「ポツダム宣言」を受け入れていたら!
と思わずにはいられません。
もしもそれで「広島」「長崎」を避けられたのたとしたら。


日本軍は自分たちが中国でやったこと、
つまり虐殺と強姦を、
今度は自分たちが米兵にやられると
思い込んでいました。
だから米兵に捕まるぐらいだったら
自決しろと民間人を指導しました。
それによってたくさんの民間人が
集団自決しました。

本土ではその頃から
米軍による空襲が始まっていました。
東京大空襲では8万3000人が死に、
100万人の人が家を失いました。
その空襲に対して軍部が住民に指導したのは
竹槍による応戦でした。

慢性的な食糧不足で、
配給も底をつくようになりました。
政府の標語は「ぜいたくは敵だ」から
「欲しがりません勝つまでは」。

そしていよいよドイツ降伏。
この時点で世界を相手に戦っている国は
日本ただ一国となり、2月には
ルーズベルト、チャーチル、スターリンによる
「ヤルタ会談」が開かれていて、
ソ連の対日参戦が決まっていました。

そうとは知らない日本は、
沖縄戦の圧倒的惨敗を見て、
天皇がようやく「最高戦争指導会議」を開き、
ソ連を仲介とした終戦工作を開始します。
当然ソ連はこれを無視。その後、
トルーマン、チャーチル、スターリンが
ポツダムで会談し、
日本に対する即時無条件降伏要求が決定。
「ポツダム宣言」が出されます。

この時点で日本が、ポツダム宣言を受諾していれば、
その後の原爆投下は避けられたであろうという見方がある。
リリーもそう考えます。


※引用参考データ:『爆笑問題の戦争論』(2006)幻冬舎
posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2017年02月19日

103.太平洋戦争へ(12)

アメリカ軍による「馬乗り攻撃」。
洞窟にいる日本兵を皆殺しにするための作戦でした。
爆薬を投げ込み、火炎放射器を噴きつける。
洞くつの上を掘削機でこじ開け爆薬を投じる。
こんな非道な作戦が
沖縄戦では何度も何度も行われていました。
戦争の話を続けます。

日本軍が到底かなわぬ米軍の威力を前に
第三二軍の牛島司令官が自決したあと、
残された兵士は言い遺された命令通り戦い続けました。
それも終戦後の9月7日までです。
米軍は「馬乗り作戦」と称して
洞窟・トンネルに爆弾を投げ込み、
ガソリンを流し込み、
火炎放射で焼き払いました。
沖縄は完全に日本から見捨てられていて、
大本営からの増援はなし。
その戦力不足を補うため
15歳以下の少年から60歳以上の老人までもが
兵士にされたと言われています。
また、戦争協力者として師範学校・中学校生徒を
「鉄血勤皇隊」として銃を持たせ、
女子師範学校・高等女学校の生徒を
「ひめゆり部隊」として従軍看護婦に動員しました。
沖縄での民間人の戦死者は9万人以上です。
沖縄県民は米軍に殺されたばかりでなく、
日本軍によっても虐殺されています。
日本軍は、隠れ壕の中がいっぱいになると
民間人を追い出し、食料を強奪し、
乳幼児が泣けば米軍に見つかると言って絞め殺し。
味方であるはずの日本軍に殺された沖縄県民は
800人以上にものぼります。


※引用参考データ:『爆笑問題の戦争論』(2006)幻冬舎、
2010/2/16『琉球新報』15歳の通信兵(4)]悪夢の馬乗り攻撃

posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2017年02月12日

102.太平洋戦争へ(11)

「沖縄は、先の戦争で地上戦が行われ、
大きな被害を受けました。
沖縄本島の島民の3分の1の人々が
亡くなったと聞いています」。
「このような沖縄の歴史を深く認識することが
復帰に努力した沖縄の人々に対する
本土の人々の務めであると思っています」。
上記は平成8年の63歳のお誕生日会見での
天皇陛下のお言葉です。
沖縄戦を一言で言うなら「捨て石」でしょうか。
先に進みます。

いよいよ米軍の沖縄上陸は必至となり
ここで大本営は沖縄防衛をあきらめます。
沖縄を硫黄島と同じように
消耗戦によって本土決戦を準備するための
時間稼ぎの場所として考えました。
つまり切り捨てたのです。
国体護持のための捨て石とした。
この時点で日本は完全に沖縄を見捨てたのです。

連合国軍は圧倒的戦力で沖縄に上陸。
日本軍は特攻隊を何度も出撃させ、
人間魚雷・回天も出撃させるという悲惨な戦い。
また、戦艦大和も海上特攻隊として出撃。
しかし航行2日目にあっけなく九州南方で撃沈しました。
米軍は日本が中国の重慶爆撃で行った無差別殺戮を
数倍の威力で沖縄に見せつけました。
第三二軍の牛島司令官は
「最後まで敢闘し悠久の大義に生くべし」、
つまり消耗持久戦としての役割を果たし
最後まで戦い抜くことを残る者に命じ、
自分は自決します。

※引用参考データ:『爆笑問題の戦争論』(2006)幻冬舎、
『戦争をしない国 明仁天皇のメッセージ』(2015)



posted by Lily at 00:00 | 政治と憲法
2017年02月05日

101.太平洋戦争へ(10)

百回を超えてたんですね。いつの間にか。

それではちょっと振り返っておきましょうか。

日本が玉砕につぐ玉砕で、
いよいよ絶対防衛戦といわれたサイパンが占領され
米軍はいよいよ硫黄島を占領。
硫黄島はサイパンと東京の中間地点にあって
米軍としてはここを占領すれば、
日本への空襲がどんどんできる。
日本は最初から既に玉砕覚悟で
戦う目的は、できるだけ戦って時間をかせぎ、
本土決戦の準備を助けるというものだった。

と、ここまで参りましたが、
ここまでで既にこう思わざるを得ません。
「勝ち目なしとわかっていた戦争が多くの命を奪ったのだ」。
先へ進みましょう。

日本軍は米軍をかなり苦しめましたが最後には全滅し、
米軍は擂鉢(すりばち)山の山頂に
米軍兵士6人で星条旗をたてました。
この写真がNYタイムズのトップに載った有名な写真です。
ここまでくると日本の敗戦は
誰がどう見ても必至となりました。
(一説によると、元首相の近衛文麿は、
これ以上戦争を継続するのは無理とし、
国体を守るためには
余力のあるうちに戦争終結するべきだと
天皇に提案します。しかし天皇は
「もう一度戦果あげてからでないと、
なかなか話は難しいと思う」として
近衛の進言を拒否したといいます)。
そしていよいよ米軍の沖縄上陸が
必至となっていったのです。

※引用参考データ:『爆笑問題の戦争論』(2006)幻冬舎
posted by Lily at 17:29 | 政治と憲法