2016年12月25日

95.今年の終わりに

日本国憲法の前文はこう始まります。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

下線を引いたのはリリーです。
この「政府の行為によつて
再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」
という文言が、自民党改憲草案から
すっかり消えてなくなっていることを
リリーはたいへん重く見ています。
この部分は、先の戦争を「政府の行為が」起こしたことを
はっきり認めている部分です。
当時の政府の責任を認める言葉が憲法から消えるのは
きわめて由々しきことではないでしょうか。

リリーはこう考えるのです。
日本国憲法を正しく理解するためには
なぜあんな戦争が起こってしまったのかを
正しく理解する必要がある、と。
天皇陛下が平成27年元旦に言及されましたけど
満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学ぶことは
とてもとても大切なことだと思っています。
そしてこの理由から、今、このブログでは
国が起こした戦争の概略をつかもうとしています。
大きな転換期となった一年もそろそろ終わり。
これからも書き続けて参ります。

※参考データ:『戦争をしない国 明仁メッセージ』小学館(2015)
posted by Lily at 10:07 | 政治と憲法
2016年12月18日

94.太平洋戦争へ(5)

旧日本軍の行為については
「過去に学ぶ」の最たるものだと感じます。
では『爆笑問題の戦争論』がら引き続き:

日本軍の捕虜に対する虐待も多く、
フィリピンでは「バターン死の行進」という
事件が起きました。
これは、日本軍が捕虜とした米軍1万2000人と
その傘下のフィリピン兵6万4000人を
炎天下のバターン半島で112キロを
無理矢理歩かせたために
飢えとマラリアなどで何千人もの人が死んだ
という事件です。
ビルマでは日本軍は
独立運動の指導者アウン・サンと接触して
戦いましたが、占領後も日本軍は軍政を続け、
アウン・サンとの約束の独立を
なかなか果たしませんでした。
その後ビルマを独立国家として認めますが、
実際は日本軍のやりたい放題でした。
日本軍は軍票の乱発、日常物資の略奪、
女性への暴行を繰り返しました。
アウン・サンはやがて日本に反乱を起こします。
日本軍政が後の対イギリス独立運動に
大きな役割を果たした事は事実ですが、
アウン・サンやビルマ人は日本軍によるビルマ独立に
感謝していたわけではありません。

※引用参考データ:
『爆笑問題の戦争論』(2006)幻冬舎
posted by Lily at 19:32 | 政治と憲法
2016年12月11日

93.太平洋戦争へ(4)

「理念」は崇高だったかもしれません。
アジア諸国の独立を目指していたのですから。
でもこの戦争がアジア諸国に残したものは
日本に対する憎しみでした。
以下、『爆笑問題の戦争論』より。

この戦争で
日本が崇高な理念として掲げたのは
「大東亜共栄圏」という思想でした。
これは西欧に支配されているアジア諸国を
解放して独立させて、
アジアの新しい秩序を建設する、
というようなことです。
この日本の思想は、
日本にとっても、
アジアの国々にとっても
理想的な考え方のはずでした。
でも戦争を経て、その後も
日本周辺のアジアの国々に
日本に対する「憎しみ」が多く残った。
ということは、この戦争中
日本が現地で行ったことが、
その理想とはかけ離れた、
残虐な行為だったからでしょう。

ドイツが西部戦線で
オランダ、フランスを降伏させると、
その植民地だった東南アジアへ
日本は進出していきます。
日本軍はインドネシアをオランダから解放し、
投獄されていた独立運動の指導者の
スカルノやハッタを解放します。
民衆は最初日本軍を歓迎しましたが、
すぐにそれが幻想であると知ります。
日本軍は民族運動を厳しく取り締まり、
反抗すれば投獄の上、
拷問、殺害しました。
それはオランダの植民地支配よりも
もっと過酷なものでした。

※引用参考データ:
『爆笑問題の戦争論』(2006)幻冬舎


posted by Lily at 15:13 | 政治と憲法
2016年12月04日

92.太平洋戦争へ(3)

この戦争が始まる当時、
日本の情報はアメリカに筒抜けでした。
「アメリカから見たら日本は、
片手に拳銃持ちながら、もう片方の手で
握手しようとしているようなもん」
という太田光さんの例えは的確だと思います。

開戦はいよいよ決定的となりました。
国務長官ハルからの最後通牒(つうちょう)である、
有名な「ハル・ノート」が提起されたのです。
しかしこの戦争は全く大義のない戦争でした。
東条は当時天皇から
「この戦争の大義名分をいかに考えるか」と質問され、
「目下研究中」と答えたといいます。
そして、いよいよ日本は真珠湾攻撃を実行します。
本来は攻撃の30分前にアメリカに
交渉打ち切り通告を手渡す予定でしたが、
大使館の手違いで野村大使がハル長官に渡したのは
攻撃の1時間後でした。
しかしたとえ30分前に渡したとしても、
この攻撃が奇襲であることに変わりはなく、
この通告なしの奇襲は、だまし打ちとして
アメリカ国民を怒らせました。

日本はマレー上陸作戦、マレー沖海戦、
フィリピン攻略戦、シンガポール攻略戦、
蘭印資源獲得作戦、援蔣ルート遮断、
インド洋作戦、と快進撃を果たします。

しかしその後、ポートモレスビー攻略作戦では失敗し、
珊瑚海海戦では多くの飛行機と熟練搭乗員を失います。
そしてミッドウェー海戦で、
日本機動部隊壊滅。
一転して敗戦への道を進み始めました。

※ 爆笑問題著『爆笑問題の戦争論』(2006)幻冬舎 より
posted by Lily at 09:56 | 政治と憲法