2016年10月30日

87.第二次世界大戦へ

日本にとって味方だったはずのドイツが、
日本の敵であるソ連と
「不可侵条約」を結んでしまった。
ノモンハン事件でソ連と戦っていた日本が
「複雑怪奇」と称したのも頷けますが
でも考えてもみましょうよ。
当の日本だって「不拡大方針」を決めておきながら
ソ連との戦闘を激化させたのです。
言ってることとやってることが違うのは
当時の日本にしても同じことだったと思います。
これもあの「関東軍」が暴走したせいですよね。
軍の暴走がどれほど国民にふこうをもたらしたことか、
ここはじゅうぶん歴史に学んでしかるべきでしょう。

歴史を先に進めますね。
日本がこんな風に混乱しているうちに
ドイツはポーランドに侵攻し、
英仏が対独宣戦布告。
とうとう第二次世界大戦が始まってしまいます。
日本はソ連と戦っている。
その上ドイツは味方してくれない。
このまま戦争に参加することになっては大変だ、
と、平沼内閣の後を継いだ阿部内閣は、
ノモンハン事件を慌て停戦。
大戦への不介入と日中戦争の解決を宣言します。

しかし当時のアメリカは
日米通商航海条約の破棄を通告してくる。
日本軍は華北から英仏駐屯軍を撤廃させる。
英仏米との対立は激化していて、
いったい誰と仲良くし誰と対立したいのか、
わからなくなってしまったような状況でした。
阿部内閣はわずか4ヶ月半で退陣することになります。

※引用参考データ:
『爆笑問題の戦争論』(2006)幻冬舎
posted by Lily at 20:26 | 政治と憲法
2016年10月23日

86.「独ソ不可侵条約」と「欧州情勢複雑怪奇」

盧溝橋事件によって始まった日中戦争の、
その最中のノモンハン事件を一言でいうと
「日ソ両軍の大規模な武力衝突」で
この時も関東軍は
大本営や政府の指示を無視して暴走。
このように
中央と最前部が統一されていなかったことが
日中戦争を激化させたといえましょう。
関東軍は、日露戦争で勝った相手だから
また勝てると思ったのかもしれませんが
それは大きな間違いでした。
そしてさらに悪いことに
日本にとって考えられないことが。
ノモンハン事件で日本がソ連と戦っている間に、
ああ、なんということでしょう、
ドイツがソ連と「独ソ不可侵条約」を締結です。
日本にとってドイツは味方だったはず。
そのドイツがソ連と「不可侵条約」を結ぶ。
日本としては当然、混乱します。
当時の内閣は「平沼内閣」で、
この平沼内閣はいたく動揺し
「欧州情勢複雑怪奇」との声明を出しての総辞職。
確かに「複雑怪奇」とはよくいったものです。
ドイツが何を考えているのか、
日本には全く分かりませんでしたから。

※引用参考データ:
『爆笑問題の戦争論』(2006)幻冬舎



posted by Lily at 11:17 | 政治と憲法
2016年10月16日

85.ノモンハン事件 

文民統制(シビリアン・コントロール)。
よく耳にするかと思います。
これぞ、かつての軍の暴走を踏まえての仕組み。
「ノモンハン事件」、軍の暴走がここにもです。

ノモンハン事件(1939年)は
長引く日中戦争の状況下で起きました。
満州国とモンゴル(外蒙古)の国境ノモンハンで
日ソ両軍が大規模な武力衝突をしたのです。
もともと日本は満蒙の国境をハルハ河とし、
ソ連は北方ノモンハン付近としていました。
つまり国境の認識が日ソ両国で違ってたのですね。
そんなわけでしたから、ノモンハン付近で
ハルハ河を越えた外蒙軍と日本の満州国軍が衝突。
日本は外蒙軍を一時撃退しましたが、
外蒙軍にソ連軍が加わり反撃。
日本軍はソ連軍の優勢な火力と戦車の反撃を受け
苦戦することになりました。
これは日中戦争の最中のこと。
日ソ戦争に拡大することを恐れた大本営は
不拡大方針を決め、
政府も、平和的解決の方針を定めましたが
日本の関東軍はこれらを無視。
さらに攻勢をかけ、これに失敗してもなお
兵力の増強を図り、さらなる攻勢を準備。
こうした軍の暴走によって、
日本は壊滅的な打撃を受けることに。

※引用参考データ:デジタル大辞林、世界大百科事典、
『爆笑問題の戦争論』、
『防衛庁戦史室編『戦史叢書・関東軍(1)』(1969・朝雲新聞社)』
in 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説



posted by Lily at 19:32 | 政治と憲法
2016年10月09日

84.「日独伊三国同盟」という軍事同盟

日独伊(にちどくい)三国同盟は
1940年(昭和15年)9月に、
日本、ドイツ、イタリアの間で結ばれた軍事同盟です。
1937年の盧溝橋事件によって始まった日中戦争は
かなり長期化していましたから
日中戦争の膠着状況を打破するとの意味合いもあり、
それまでの「日独伊防共協定」を強化し
軍事同盟に格上げするとの話が浮上したのでした。
ちなみに「日独伊防共協定」は
1937年に締結されておりました。
「日独伊三国同盟」の内容には、
こういうものが含まれていました:

いずれか一国が
現在交戦中でない他国に攻撃されたときは、
三国はあらゆる政治的・経済的・軍事的方法により、
互いに援助すること。

ここでいう「現在交戦中でない他国」とは
実のところアメリカでのことでした。
「アメリカに攻撃されたときは三国は協力する」
というわけでしたから「集団的自衛権」ですね。
でも、この軍事同盟には危ない側面がありました。
こうしてドイツ、イタリアと軍事同盟を結ぶと
英仏米との対立を深めることになりかねない。
だから当然、日本国内に賛否両論がありました。
陸軍は基本的に前向きでしたが、
海軍の山本五十六(いそろく)は反対でした。
彼はこう予測していたといいます。

日独伊三国同盟から日米戦争となり、
日本が敗北するであろう。
(黒羽清隆『太平洋戦争の歴史』)

先を見通していたのですね。先見の明です。
もしもこの人の言うことが認められていたなら
あの戦争は避けられたのに。
歴史から学ぶ。
大切なことであり、かつ、できることです。

※引用と参考データ:
デジタル大辞泉の解説、
毎日新聞2016年5月2日(月) 東京夕刊、
『世界史の窓』世界史用語解説 






posted by Lily at 12:15 | 政治と憲法
2016年10月02日

83.「国家総動員法」

「国家総動員法」って、
聞いたこと、ありますでしょう?
これは日中戦争(1937~45)の最中に
制定された法律でして、
「国民が持っている権利を全面的に
政府に譲り渡す」というものでした。

日本が南京への爆撃を開始し、
日中戦争が激化の一途をたどる中、
中国は国際連合に提訴して、
日本の侵略行動を非難します。
が、日本はすでに国際連盟を脱退しています。
日本は「和平工作」を試みますが、
これが実らないと知った近衛内閣は
「国民政府を対手(あいて)とせず」
という声明を出しました。
これはつまり「当時の中国政府を
政府として認めずに無視し、
交渉も何も行わない」という、
当時の蒋介石(しょうかいせき)政権を
見下した態度にほかなりません。

その後日本は中国南部へと戦線を拡大し、
戦争はますます泥沼化していくのですが、
日中戦争が始まった翌年、1938年(昭和13)、
日本では「国防目的達成のため」との理由で
「国家総動員法」が制定されました。
政府は国民を自由に戦線に送り込めたり、
国民が所有する財産を自由に没収できたり、
したのですね。
ふだん気にも留めないけれど
今に生きる私たちには、
国民を主権者とする日本国憲法がある。
このことの意味をわかっていたいと思います。

※引用参考データ:
キッズネット ニューワイド学習百科事典、
ブリタニカ国際大百科事典、
『爆笑問題の戦争論』(2006)幻冬舎
posted by Lily at 20:39 | 政治と憲法