2018年11月11日

193.「伊達判決」の主旨[吉田敏浩著『検証・法治国家の崩壊』より]

「伊達判決」として知られる東京地裁の判決は、筋が通っている。以下、この判決の主旨である。出典は、吉田敏浩著『検証・法治国家の崩壊』p102。

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日米安保条約では、日本に駐留する米軍は、日本の防衛のためだけでなく、極東における平和と安全の維持のため、戦略上必要と判断したら日本国外にも出動できるとしている。その場合、日本が提供した基地は米軍の軍事行動のために使用される。その結果、日本が直接関係のない武力紛争に巻きこまれ、戦争の惨禍が日本におよぶおそれもある。

したがって、安保条約によりこのような危険をもたらす可能性を含む米軍駐留を許した日本政府の行為は、『政府の行為によってふたたび戦争の惨禍が起きないようにすることを決意』した日本国憲法の精神に反するのではないか。

このような実質をもつ米軍の駐留は、日本政府の要請と米政府の承諾があったからで、つまり日本政府の行為によるものだといえる。米軍の駐留は、日本政府の要請と基地の提供と費用の分担など協力があるからこそ可能なのである。

この点を実質的に考察すると、米軍の駐留を許容していることは、指揮権の有無、米軍の出動義務の有無にかかわらず、憲法第九条第二項で禁止されている戦力の保持に該当するものといわざるをえない。結局、日本に駐留する米軍は憲法上その存在を許すべからざるものといわざるをえない。
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2018年11月04日

192. 「『米軍駐留は憲法違反』と明言した伊達判決」[吉田敏弘著『検証・法治国家崩壊』より]

憲法第九条は「戦力の不保持」を謳っている。しかし日本国内に米軍基地がある。おかしいじゃないか! 米軍は紛れもなく戦力じゃないか! あってはならないはずの「戦力」が、日本国内にあるじゃないか!
その通りである。実際、東京地裁は米軍駐留について「憲法違反」の判決を出している。「伊達判決」といわれる名判決である。以下、吉田敏弘著『検証・法治国家崩壊』pp.22-24より。

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1957年、東京都砂川町(現立川市)にある米軍基地内に、数メートル入ったデモの参加者二三人が逮捕され、そのうち七人が起訴されるという「砂川事件」が起こりました。
 その裁判を担当した東京地裁刑事第十三部(裁判長伊達秋雄、裁判官清水春三、裁判官松本一郎)は、判決のなかで「米軍駐留は憲法第九条違反」という前例のない判断を示しました。その判決の要点は、以下のとおりです。

@憲法第九条は、日本が戦争をする権利も、戦力をもつことも禁じている。
一方、日米安保条約では、日本に駐留する米軍は、日本防衛のためだけでなく、極東における平和と安全の維持のため、戦略上必要と判断したら日本国外にも出動できるとしている。その場合、日本が提供した基地は米軍の軍事行動のために使用される。その結果、日本が直接関係のない武力紛争にまきこまれ、戦争の被害が日本におよぶおそれもある。
 したがって、安保条約によりこのような危険をもたらす可能性をもつ米軍駐留を許した日本政府の行為は、『政府の行為によってふたたび戦争の惨禍が起きないようにすることを決意』した日本国憲法の精神に反するのではないか。

 Aそうした危険性をもつ米軍の駐留は、日本政府が要請し、それをアメリカ政府が承諾した結果であり、つまり日本政府の行為によるものだといえる。米軍の駐留は、日本政府の要請と、基地の提供と費用の分担などの協力があるからこそ可能なのである。
 この点を考えると、米軍の駐留を許していることは、指揮権の有無、米軍の出動義務の有無にかかわらず、憲法第九条第二項で禁止されている戦力の保持に該当するものといわざるをえない。結局、日本に駐留する米軍は憲法上その存在を許すべきではないといえる。

 B刑事特別法は、正当な理由のない基地内への立ち入りに対し、一年以下の懲役または二〇〇〇円以下の罰金もしくは科料を課している。それは軽犯罪法の規定よりもとくに重い。しかし、米軍の日本駐留が憲法第九条第二項に違反している以上、国民に対し軽犯罪法の規定よりもとくに重い刑罰をあたえる刑事特別法の規定は、どんな人でも適正な手続きによらなければ刑罰を科せられないとする憲法第三一条〔適正手続きの保障〕に違反しており、無効だ。したがって、全員無罪である」

 判決当日の新聞各紙勇敢の一面には、「米軍駐留は憲法違反、砂川基地立ち入り、全員に無罪判決」などの大きな見出しが、かかげられました。この画期的な判決はのちに、伊達秋雄裁判長の名前をとって、「伊達判決」と呼ばれるようになります。
posted by Lily at 17:55 | 政治と憲法
2018年10月28日

191.日米関係さもあらん(8)〜孫崎享の『戦後史の正体』より〜

歴史にもしもは無いのだが、もしも朝鮮戦争が勃発しなければ、マッカーサーは解任されなかっただろうし、岸信介にしてもそのまま獄中にいたであろう。冷戦と朝鮮戦争が日本の運命を大きく変えたことになる。

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56. マッカーサーは朝鮮戦争に関する意見の衝突で、1951年4月11日にトルーマン大統領によって解任されました。それは、マッカーサーが進めた、
@非軍事化 
A戦争犯罪人の処分 
B民主化の最優先
を軸とする日本占領政策の終わりを意味していました。
 
57. マッカーサーに代わって連合国最高司令官となったリッジウェイは、政治家や将校たちに出されていた公職追放令をゆるめ、25万人以上の追放解除を行ないました。鳩山一郎や石橋湛山、岸信介といった著名な政治家たちが、このとき政治的権利を回復しました。1952年10月に行なわれた占領終結後、最初の国会議員選挙では、衆議院の議席の42%を追放解除者が占めることになります。
 
58. マッカーサーが解任されてから5カ月後の1951年9月8日、日本はサンフランシスコで講和条約(平和条約)と日米安保条約に調印しました。講和条約はサンフランシスコの華麗なオペラ・ハウスで、48カ国の代表が調印して結ばれました。では、日米安保条約はどうだったでしょう。米国側は、アチソン、ダレス、ワイリー、ブリッジスの4人が署名しています。では日本はと見ると、吉田首相ひとりです。
 
59. 「印象的な事実は、安保条約調印の場が、同じサンフランシスコでも、華麗なオペラ・ハウスではなく、米第六軍司令部の下士官クラブであったことである。これはいかにも印象的ではないか。下士官クラブで安保条約の調印式をあげたことは、吉田一行と日本国民に『敗戦国』としての身のほどを知らせるにはうってつけだったと考えたら思いすごしだろうか」(『寺崎太郎外交自伝』私家版)。 注;寺崎太郎;日米開戦前の外務省アメリカ局長。1946年に外務次官になった。
 
60. 「周知のように、日本が置かれているサンフランシスコ体制は、時間的には平和条約〔講和条約〕− 安保条約 − 行政協定の順序でできた。だが、それがもつ真の意義は、まさにその逆で、行政協定のための安保条約、安保条約のための平和条約でしかなかったことは、今日までに明らかになっている」「つまり本能寺〔本当の目的〕は最後の行政協定にこそあったのだ」(寺崎太郎の記述より)
 
61. 旧安保条約の最大の問題は、旧安保条約には米軍の日本駐留のあり方についての取り決めが、なにも書かれていないということです。それは「条約」が国会での審議や批准を必要とするのに対し、政府間の「協定」ではそれが必要ないため、都合の悪い取り決めは全部この行政協定のほうにいれてしまったからなのです。
 
62. 日米安全保障条約(日米安保条約);
1951年9月8日調印、翌年4月28日に発効した。日本全土における米軍基地の自由使用を認める一方、米国は日本の防衛義務は負わないとするきわめて不平等な条約だった。1960年に岸政権のもとで改定されたが、形式としては改定ではなく、新条約の締結という形をとったため、両者を区別するときは、それぞれ「旧安保条約」[新安保条約]などという。
 
63. 日米行政協定;
日米安保条約にもとづいて駐留する在日米軍と米兵他の法的地位を定めた協定。1952年2月28日調印、同年4月28日に発効した。占領中にしようしていた基地の継続使用や、米軍関係者への治外法権、密約として合意された有事での「統一指揮権(日本軍が米軍の指揮下に入る)」など、占領中の米軍の権利をほぼすべて認めるものだった。新安保条約の締結と同時に「日米地位協定」と名称を変えたが、「米軍が治外法権をもち、日本国内で基地を自由使用する」という実態はほとんど変わっていない。


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